読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

野口米次郎「影」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

 私は影を喜ぶ、輝く善美のやうに自然で、真実の奴隷のやうに従順で、寂寞の表象とも云へる、又思想の姿だとも云へる。
 私の霊は自分の影の上に横はつて、「運命」が私に立てと命ずるのを待つている。私は自分の体の柱によりかかる一時の訪問者に過ぎないかも知れない。或は私の体を支配する永久の王様であるかも知れない。
 私が一時の訪問者でも又は永久の王様でも、それは私に何の意味を与へるものでない。私は私自身の影と一緒に喜んだり悲しんだりすることを幸福だと思つてゐる。
 

(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

野口米次郎
1875 - 1947

 
野口米次郎の詩 再興活動 No.007

GOMA・絵+谷川俊太郎・詩『Monado モナド』(2019)

交通事故の後遺症で光を過敏に感じるようになった画家GOMAの作品に谷川俊太郎の詩をあわせた一冊。押しとどめることのできないインプットに押し流されてしまわぬように向き合うほかなかったアウトプットの時間。過剰なものに向き合うことを可能にした点描画は、これまた病に向き合わざるをえなかった草間彌生の水玉の作品にきわめてよく似ている。作品の良し悪しよりも先に、生き辛さに向き合うために生み出された作品というものを見させ考えさせてくれる。


既にある形を宇宙に捨てて
まだない形をここで受胎しても
流産を恐れて悪夢が続く
信ずる存在の破片が虚空に飛び散る
呟きがかすれた悲鳴になる
GOMA作品「夜に咲いた朝顔」にあわせられた谷川俊太郎詩篇


過剰なものの中でかろうじて堰き止められた秩序ある時間と空間。

prtimes.jp

GOMAオフィシャルウェブサイト

gomaweb.net

GOMA
1973 -
谷川俊太郎
1931 -

野口米次郎「敬意」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

敬意

 私は口を閉ぢる。時間に私を支配する権利がない。私は世界の凡てから離れる。
 私は私の魂の前に跪まづく貧しい修行者だ………知識を忘れ言葉を忘れ思想を忘れ生活を忘れる空虚の僧侶だ。
 私は私の魂の目の窓を閉ぢる、耳の戸口に塀を築く、世界の香気は私の魂の鼻の穴を見舞わない………歓喜悲哀、問答に返答、入る呼吸、出る呼吸も今日は私の魂を煩はさない。世界のすべてが私から遠ざかり行く。私は私の閉ぢた口を再び開かないであろう………それが私の世界への敬意だ。
 

(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

野口米次郎
1875 - 1947

 
野口米次郎の詩 再興活動 No.006

堀江貴文『情報だけ武器にしろ お金や人脈、学歴はいらない!』(2019)

行動しながら情報を摂取していくことを勧める一冊。

情報を持たなければ、人は恐怖に駆られる。
仕事や人生の、将来についての不安や恐怖の大半は「情報不足」が原因だ。
今、「未来」の何かを怖がっているのなら、残念ながら、あなたは「情報弱者」ということ。
情報があれば、不思議とそうした恐怖や不安は消え去っていく。
(「まえがきに代えて 必要なことは誰も教えてくれない。」p5-6)

正しい。私はどこかしら情報弱者で、これから先いつまでも何かを怖がりつづけていくことだろうが、情報の不均衡で損をした経験はこれまで幾度となくあるので、なるべく損をせず、不安で押しつぶされない程度には情報を継続摂取していきたいと思っている。見させられるのではなく、自分から見にいく気持ちを枯れさせない。

 

www.poplar.co.jp

目次:
第1章 情報は「狩り」にいけ!―浴び続ける情報収集術
第2章 情報を所持することは、未来を見抜くことだ―思考停止するな、考えながら動け
第3章 誰でも技術を簡単に学べる時代―情報の価値をどう高めるか
第4章 アウトプットするから情報が価値を持つ―「見切り発車」がすべての質を上げる
第5章 おかしな情報はスルーする―「常識という嘘」に毒されるな


堀江貴文
1972 -

野口米次郎「群青色の空」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

群青色の空

 空は群青色の天井ででもあらうか、どこかに立つている無形の春といふ煙突から吐きだす靄(もや)が、空の天井の穴から入つて来て、私共の広い世界といふ部屋を一杯にする。無邪気といふ形容詞も変だが、この靄には小児の呼吸みたやうなものがある、恐らくそれは美の蒸発気であらう。
 御覧なさい、今四月の大地は波立たないこの靄に包まれて、私共は云はば夢の海底に潜つてゐるやうなものだ。ああ、この海底生活は喜ばしい、ここから私共は浮き上らないやうにしたいものだ。
 

(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

野口米次郎
1875 - 1947

野口米次郎の詩 再興活動 No.005

野口米次郎「破れた笛」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

破れた笛

 底の有るやうな無いやうな陽炎の海は平野に波うつ、一点彩色つけるのは寂しい孤児の草雲雀(くさひばり)が旅する影。
 真昼時太陽は開けるだけ大きく眼を開き、地上に影がない。狂気な一寸ばかりの蝶、位を蹴落とされた天人かも知れないが、あたりを彷徨(さまよ)ひ、サーベルのやう光の間に秘密をお喋べりする乾草の上にその影を投げる。
 思ふに私共の宇宙も影をどこかに投げてゐるであろう……ああだが私の詩の影は?
 若し私の声に最後まで何の反響がないならば、私の破れた喉の笛は二度とはもと通りになるまい。
 
(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

野口米次郎
1875 - 1947
 
野口米次郎の詩 再興活動 No.004

前野隆司『AIが人類を支配する日 人工知能がもたらす8つの未来予想図』(2019)

受動意識仮説+幸福学の前野隆司がシンギュラリティを見据える世界について語った一冊。現状認識は正しく精密に、将来展望においては最大限の希望を掲げて前進することをすすめているように感ぜられた。特に東洋的あるいは日本人的な感覚からするとシンギュラリティにあまり振り回されるのはいかがなものかという視点は参考になった。ハルマゲドンや最後の審判という思想は、日本には最近になって入ってきたものだ。どちらかというと「山川草木悉皆成仏」といった天台本覚思想のほうにわれわれ日本人は親近感がある。だからといって能天気にというか受動的に未来を迎えるのではなく、よりよい未来をつくるべく創意工夫していくことをすすめているのは好感が持てた。ただし読み物として本書はそれほど面白いものではない。理詰めで論考を組み立てている書記の著作のほうがパワフルだ。

日本のロボットといえば、鉄腕アトムアンパンマンドラえもん。みんな正義の味方です。日本人が擬人化すると、善良なロボットになるというのは、日本人の心根を反映しているということなのではないでしょうか。
ですから、シンギュラリティを超える技術を発明するのは、日本人のほうが良いように思います。いつも一番になりたがる人々がシンギュラリティを超えると、危険なのではないでしょうか。
ここはみんなで力を合わせて、平和なロボットを生み出していこうではありませんか。(第8章「AIがもたらす8つの明るい未来」p199)

平和なロボットを生み出していくには、やはり技術力も必要であるので、しっかり勉強はしておいた方がよい。ロボットと共生していくには、ロボットに関する知識があったほうがないよりも良いに決まっている。

www.makino-g.jp

目次:
第1章 AIがもたらす8つの恐ろしい未来
第2章 ディープラーニングのどこがすごいのか~AIとロボットと私~
第3章 われ思う、しかしわれなし~受動意識仮設とAI~
第4章 心のあるロボットの造り方~ヒトとゾンビとAI~
第5章 なぜ日本は負け続けるのか~イノベーションとAI~
第6章 経営学×幸福学~幸福学とAI~
第7章 死ぬとはどういうことか~死とAI~
第8章 AIがもたらす8つの明るい未来
終章 全体調和型の社会をめざして~森とAI~

 

前野隆司
1962 -