読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジェラール・マセ『記憶は闇の中での狩りを好む』(原書 1993, 水声社 2018)


写真と夢と記憶をめぐる散文詩

輪郭も存在感もあいまいでありながら執拗に再現してはまとわりつく幻影をいくつも長時間にわたって見せられたかのような読後感を残す作品。でも、まあ、それほど悪いものではない。

思考の明暗の中で、世界のイメージはそのつど反転しながらゆらめきはじめる。ろうそくの炎のように。裏箔のない鏡にうつる夢のイメージのように。現実はそこをすり抜けて、歪曲してわたしたちのもとへと戻ってくる。
(「ふりかえるオルフェウス」部分)

近年ではめずらしい現代フランスの詩の翻訳で、ありがたい仕事ではあるのだが、詩の翻訳なのに本文の中に訳注を埋め込むのはちょっと疑問。読みとばしてしまえばいいだけのことだけれども、初読では感覚醸成のリズムが崩れて、詩を読んでいる気分に
ちょっと邪魔がはいる。

www.suiseisha.net


ジェラール・マセ
1946 -
桑田光平
1974 -

【技術に関する本2冊】フリードリヒ・ゲオルク・ユンガー『技術の完成』(原書 1946, 人文書院 2018)、ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で 破局・技術・民主主義』(原書 2012, 以文社 2012 )

技術に駆り立てられるようにして人間も自然も搾取されながら、破局破局のあいだを生きる近代以降の人間のありようが描かれている二冊。「積み重ねられ、彷徨する七〇億の存在」(ジャン=リュック・ナンシー)が、技術の集積を使い、純粋な自然からの贈与で持続的に生きながらえていくことはできるのだろうかとぼんやり考えながら読んだ。世界中のどの地域にあっても今現在の生活レベルを極端には落としたくないだろうし、むしろ向上させるべき地域はいくらでもある。そうすると七〇億はいくら何でも多すぎだろう。無理筋を歩んでいることを意識的にも無意識的にも察知しやすい環境であるためか、日本は急激な少子化傾向になり、わたし自身もその傾向に加担している。それはまた別の破局を誘引しているのかもしれないが、基本的に八方塞がりの状況のなかで、そこそこの快適と安心をさがしていくほかはない。地上の無限はもうかなり前に閉じている。


フリードリヒ・ゲオルク・ユンガー『技術の完成』

www.jimbunshoin.co.jp

【付箋箇所】
24, 33, 38, 44, 54, 78, 98, 108, 126, 130, 134, 157, 166, 182, 187, 194, 219, 225, 226, 236, 240, 241, 242, 248, 263, 264296, 297, 311, 315

目次:
一 〔技術とユートピア
二 〔労働とゆとり〕
三 〔富と貧困〕
四 〔技術的組織と損失経済〕
五 〔技術による収奪と合理性〕
六 〔経済的思考の技術的思考への敗北
七 〔エコノミーと大地の掟〕
八 〔自動化の増大と時間〕
九 〔技術的搾取過程の基盤としてのデカルト理論〕
一〇 〔ガリレイニュートン力学が時間概念に及ぼす影響〕
一一 〔自然科学と機械化された時間概念〕
一二 〔死んだ時間〕
一三 〔歯車装置としての技術〕
一四 〔決定論と統計的蓋然性〕
一五 〔意志の非自由性〕
一六 〔労働の専門化と細分化、労働者の諸組織〕
一七 〔労働問題の成立〕
一八 〔機械と労働者組織、労働者の失意〕
一九 〔労働者と搾取、安全性〕
二〇 〔意図的な技術と意図的でない技術、目的論と力学〕
二一 〔因果論的思考と目的論的思考の協働〕
二二 〔技術的合目的性の限界〕
二三 〔機械機構と人間組織の相互関係〕
二四 〔機能主義と自動化〕
二五 〔技術的組織と他の諸組織、技術と法〕
二六 〔科学と技術〕
二七 〔技術的組織と貨幣・通貨制度〕
二八 〔技術的組織と教育〕
二九 〔技術と栄養摂取〕
三〇 〔技術的人間組織による国家の機械的改変〕
三一 〔科学的悟性の収奪的特徴〕
三二 〔科学的真理の概念〕
三三 〔技術の消費力と惑星規模の組織化、恒常的革命の時代、工場の稼働事故〕
三四 〔技術的完成の概念〕
三五 〔技術と大衆形成〕
三六 〔機械機構とイデオロギー・俳優〕
三七 〔イデオロギーと剥離〕
三八 〔動員(流動化)としての技術〕
三九 〔ローマ史の理論〕
四〇 〔技術とスポーツ〕
四一 〔映画のメカニズム〕
四二 〔自動化の麻酔的魅力〕
四三 〔惑星規模で組織化された収奪、総動員、総力戦〕
四四 〔欠乏諸組織の課題〕
四五 〔ライプニッツ、カント、ヘーゲルの哲学〕
四六 〔機械的進歩と根源的退行〕
補遺 世界大戦

内容外観

訳者解説1「技術をめぐる交友、ユンガー兄弟とハイデガー今井敦
訳者解説2「エコロジーの書としての『技術の完成』」中島邦雄
訳者解説3「フリードリヒ・ゲオルク・ユンガーにおける社会思想の視座」桐原隆弘


ジャン=リュック・ナンシー『フクシマの後で 破局・技術・民主主義』

www.ibunsha.co.jp

【付箋箇所】
50, 71, 151, 154, 160, 179, 180, 184, 190

目次:

序にかえて
Ⅰ 破局の等価性――フクシマの後で (2012)
Ⅱ 集積について (2008)
Ⅲ 民主主義の実相 (2011)
訳者解題

フリードリヒ・ゲオルク・ユンガー
1898 - 1977
ジャン=リュック・ナンシー
1940 -

イマヌエル・カント『美と崇高との感情性に関する観察』(原書 1764, 岩波文庫 1948)

批判哲学以前のカントの小品。観察、分類、列挙からなるエッセイ風の砕けた文章で、『判断力批判』の崇高論のようなものを期待すると肩透かしをくらう。

男性が崇高で、女性が美。

イタリア、フランスが美で、イギリス、スペイン、ドイツが崇高。

翻訳ははじめカント著作集に入れるために昭和十三年(1938)になされたもので岩波文庫版でも旧字旧仮名。

最後に程度こそ異なれ、名誉心があらゆる人の心のうちにひろがつてゐる。此名誉心のあることが必然的に、人類全体に嘆賞を唆る美を与へることになるのである。蓋し、それが規則となつてこれに従属させる限り、名誉心は愚かな謬見ではあるが、同伴の衝動としては極めてすぐれたものである。
(第二章「一般人類に於ける崇高と美との性状について」 p37 )

たとえば「従属」は実際は「從屬」で、旧字体の尖りながら繁茂しているような漢字に触れていると、新字を読むときとは微妙に違った感覚がわいてくる。漢字の禍々しさのようなものが目にも感情にも抵抗感を残すようだ。カントの作品に倣って言わせていただくなら

漢字は崇高で、ひらがなは美

といった感じ。

www.iwanami.co.jp

 

目次:
第一章 崇高と美との感情性の別々の対象について
第二章 一般人類に於ける崇高と美との性状について
第三章 両性相互関係に於ける崇高と美との区別について
第四章 崇高と美との異なる感情性基づく限りに於ての国民性について

 

イマヌエル・カント
1724 - 1804
上野直昭
1882 - 1973

 

【20世紀のチリの詩人 パブロ・ネルーダ(1904-1973)2冊】『大いなる歌』(原書 1950, 現代企画室 2018)、『ノーベル賞文学全集 25』(主婦の友社 1974)

スケールが大きすぎて読み終わった後に少し萎えたくらい圧倒的な力量の詩人。40代での代表作『大いなる歌』ではアメリカの南北大陸、国でいえばアメリカからチリ、アルゼンチン、さらに南極まで歌ってしまう大きさ。神話の時代から現代の工場や鉱山での搾取形態まで時間感覚も広い。到底かなうものではないし、マネすらできないか。そう思うとちょっとシュンとする。時代や地域的事情もあって、スターリン崇拝の詩句なども紛れ込んでいて、全面的に受容肯定するわけにはいかないものの、まぎれもない一級詩人であることは認めるほかない。

巻頭歌「アメリカ大陸よ(1400年)」より

そしてベネズエラの暗く平穏な
断崖に潜む巣穴を通り
私は探し求めたわが父を
闇と銅とでつくられた若き戦士を
あるいはあなた 婚姻の植物 不屈の長髪
母なるカイマンワニ 金属の声の鳩を

『大いなる歌』を読んで得た収穫は、ネルーダという詩人の存在をもう忘れないであろうということと、個人全訳をした松本健二という人の存在に触れたこと。解説文から感じ取れる感覚がどことなく自分に似ているような気がして、この人を追って行けばまずまず満足度の高い作品に出会えるのではないかという期待が持てた。ありがたいことだ。

悲しむときは悲しみ、喜ぶときは喜び、命を賭けた戦いを謳うときは勇ましく、怒るときは執拗に怒り続け、自らが正しいと思うことを真摯に主張し続ける。そのストレートな(時にははた迷惑なまでの)わかりやすさに発生する一種の磁場が、この詩集最大の魅力となっている。
(「訳者あとがき」より)

『大いなる歌』を含むロス・クラシコスのシリーズに別の詩人の翻訳もあるようなのでそちらものぞいてみようと思う。

ノーベル賞文学全集』の収録作品は『大いなる歌』にくらべれば小さく哀感と繊細さが感じられて親しみやすいものが多い。特に各種のオード(頌歌)に読み返したくなるものが多い。

歯の欠け落ちた
夜半の
空の
たった一本の奥歯のように
摩滅した
月よ
(『基本的なオード』「海の月へのオード」部分)

パブロ・ネルーダは1971年のノーベル文学賞受賞者でもある。

 

『大いなる歌』

現代企画室 パブロ・ネルーダ『大いなる歌』 

【付箋箇所】
19, 133, 218, 245, 339, 415, 561

目次:
1章 地の灯り
2章 マチュピチュの高み
3章 征服者たち
4章 解放者たち
5章 裏切られた砂
6章 アメリカ大陸よ その名を無駄に呼び出しはしない
7章 チリの大いなる歌
8章 その地の名はフアン
9章 樵よ目覚めよ
10章 逃亡者
11章 プニタキの花々
12章 歌の川
13章 闇に沈む祖国へ宛てた信念の賛歌
14章 大洋
15章 私とは


ノーベル賞文学全集 25』
詩集 パブロ・ネルーダ

二十の愛の詩と一つの絶望の歌(全21篇) 荒井正道
地上の住家(抄6篇) 荒井正道
心の中のスペイン(抄1篇) 篠沢眞理訳
大いなる歌(抄17篇) 篠沢眞理訳
基本的なオード(抄15篇) 高見英一訳
気紛れ詩集(抄19篇) 鼓直
航海と帰還(抄10編) 鼓直
愛のソネット百編(抄11篇) 鼓直
祭儀の歌(抄3篇) 鼓直
チリの石(抄4篇) 鼓直
充ちたる力(抄4篇) 鼓直
黒い鳥(イズラ・ネグラ)の覚え書(全17篇) 牛島信明


パブロ・ネルーダ
1904 - 1973
松本健二
1968 -

 

【脳だけじゃない脳科学 アントニオ・ダマシオ二冊】『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』(原書 1994, 2005 ちくま学芸文庫 2010)、『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』(原書 2003 ダイヤモンド社 2005)

ソマティック・マーカー仮説(somatic marker hypothesis)のアントニオ・ダマシオ。脳だけじゃない脳科学。身体(遺伝子)―情動―感情。科学―哲学―心理学。デカルトスピノザのほかにウィリアム・ジェームズも大きな存在感を示している。苦が生に対してもつ意味、ホメオスタシスとコナトゥスの重ね合わせなど、興味深い言説がたくさんあって、おすすめできる。

化学的なホメオスタシスのプロセスから狭義の情動(エモーション・プロパー)まで、生命調節現象は、直接的にあるいは間接的に、例外なく有機体の完全性と健全性に関係している。また例外なく、これらすべての現象は身体状態の適応的調整と関係し、最終的に身体状態に対する脳のマッピングに変化をもたらす。そしてそのマッピングが、感情の基盤を形成している。
(『感じる脳』第2章「欲求と情動について」 p77 )


多くの脳障害症例やMRIやPETによる調査研究の積み重ねから出てきた感情発生に関するひとつの明晰な言説。

『感じる脳』は原題"LOOKING FOR SPINOZA Joy, Sorrow, and the Feeling Brain"で、スピノザの思想(心身並行論)と人生をめぐっての論述が脳科学での研究成果にも劣らない質と分量でなされている驚きの書。ダマシオの力も借りて、そろそろ『エチカ』も読み直してみよう。

www.chikumashobo.co.jp

 

デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』(原書 1994, 2005 ちくま学芸文庫 2010)

【チェック箇所】
15, 16, 21, 22, 24, 28, 85, 140, 148, 151, 160, 164, 170, 181, 192, 198, 202, 205, 211, 224, 230, 233, 234,245, 257, 259, 260, 267, 280, 331, 337, 348, 353, 354, 355, 368, 375, 393,395, 396, 400

目次:

新版へのまえがき
序文

第1部
第1章 ヴァーモントでの不幸な出来事
第2章 明らかになったゲージの脳
第3章 現代のフィアネス・ゲージ
第4章 冷めた心に

第2部
第5章 説明を組み立てる
第6章 生体調節と生存
第7章 情動と感情
第8章 ソマティック・マーカー仮説

第3部
第9章 ソマティック・マーカー仮説を検証する
第10章 身体志向の脳
第11章 理性のための情感(パッション)

補遺

 

『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ』(原書 2003 ダイヤモンド社 2005)

www.diamond.co.jp

【付箋箇所】
4, 32, 54, 58, 77, 104, 120, 130, 137, 164, 174, 191, 200, 209, 213, 225, 227, 232, 245, 247, 251,263, 264, 271, 275, 335, 345, 351, 353, 362

目次:
第1章 感情の脳科学スピノザ
第2章 欲求と情動について
第3章 感情のメカニズムと意義
第4章 感情の存在理由
第5章 心を形成するもの
第6章 スピノザ思想の源
第7章 自己保存としての感情


アントニオ・ダマシオ
1944 -
田中三彦
1943 -

 

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com

 

【笠間書院コレクション日本歌人選より4冊】田中登『紀貫之』、村尾誠一『藤原定家』、小山順子『藤原良経』、平井啓子『式子内親王』

『定家八代抄』を読んでいて特に気になった四名の歌人を比較的新しい研究者による注釈と解説とともに読みすすめてみた。歌人ひとり50首弱の小さなアンソロジーだが、導入書としてはちょうどいい分量と選歌になっているような気がする。笠間書院のサイトでは掲載歌が目次として完全体で全部載っている。心地よい太っ腹。

 

田中登紀貫之』(2011年 コレクション日本歌人選 005)

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古今和歌集』の歌人からひとり。定家が尊敬している様子がうかがえたのでチョイス。小さなものを歌いながら大きな情景が浮き上がってくる詠いぶりが魅力的。

手にむすぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ
見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり
桜散る木の下風はさむからで空に知られぬ雪ぞ降りける
桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける

見えないものを呼び寄せる柔らかいかなのことばの使い手。

村尾誠一『藤原定家』(2011年 コレクション日本歌人選 011)

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本書掲載の原歌のみくりかえし読んでいたら、濁音が多いのが気になりはじめた。同系統のきつめの音を繰り返しているようで、わりと意識的なのではないかと思った。

道のべの野原の柳したもえぬあはれ嘆きの煙(けぶり)くらべに
   (べ・ぎ・げ・ぶ・べ)
夕暮れはいづれの雲のなごりとて花橘に風のふくらん
   (ぐ・づ・ご・ば・ぜ)
なびかじな海人の藻塩火たきそめて煙(けぶり)は空にくゆりわぶとも
   (び・じ・び・ぶ・ぶ)
あけばまた秋のなかばもすぎぬべしかたぶく月の惜しきのみかは
   (ば・ば・ぎ・べ・ぶ)

定家を読むとき、しばらく気になってしまうかもしれない。

小山順子『藤原良経』(2012年 コレクション日本歌人選 027)

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古典漢詩文の教養をベースに柔らかい大和言葉を操りながら、清冽な心情を歌に込めた歌人の姿が、気持ちののった研究者の解説文とともに味わえる読み応えのある一冊。

行く末は空も一つの武蔵野に草の原より出づる月影
人住まぬ不破の関屋の板びさし荒れにし後はただ秋の風
吉野山花のふる里跡絶えて空しき枝に春風ぞ吹く
夜の雨のうちにも寝られぬ奥山に心しをるる猿の三叫(みさけ)び

解説例:
「空しき枝」は、漢語の「空枝(くうし)」の訓読から生み出された歌ことばである。(中略)「空しき枝」とは、ただ何も無い、というだけではなく、文字通りのむなしさ、空漠とした寂しさを感じさせる詞でもある。枝を吹き払う春風は、もはや散らす花も無く、ただ漠と吹き過ぎてゆくのである。


平井啓子『式子内親王』(2011年 コレクション日本歌人選 001)

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日に千度(ちたび)心は谷になげはててあるにもあらずすぐる我が身は
花はちりてその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる
秋風を雁にやつぐる夕ぐれの雲ちかきまでゆく蛍かな
秋こそあれ人はたづねぬ松の戸をいくへも閉ぢよ蔦のもみぢば

激情と弱さがないまぜになって迫ってくる式子内親王の歌。現代の感覚だと、とても題咏ででてきた歌とは考ええられないものが多いが、関係も近く贈答も頻繁に行われていた新古今和歌集成立時の歌の濃密な世界が生むべくして生んだ歌であり歌人なのだろうと思った。

藤原良経の叔父にあたる慈円も一緒に読んでおけばよかったかなと今は思っているが、それは、また今度。


紀貫之
871 - 946
藤原定家
1162 - 1241
藤原良経
1169 -1206
式子内親王
1149 - 1205

田中登
1949
村尾誠一
1955 -
小山順子
1976 -
平井啓子
1947 -

 

エルンスト・カッシーラー『人間 シンボルを操るもの』(原書 1944, 岩波文庫 1997, 岩波書店 1953)

カッシーラー生前最後の著作(『国家の神話』は没後出版)。広範囲な文化現象についてこれまでの自身の思索を総括していくように綴られた一冊。人間をanimal symbolicum(シンボルを操る動物)と定義して、シンボル的宇宙を生みそこに生きる人間の姿を描きあげている。亡命先のアメリカで母国語ではない英語で書かれたこともあってか、重厚な印象はない。また、ジェームズ・ウィリアムズやジョン・デューイなどプラグマティズムの思想家たちへの言及が多いようなところも、他の著作とは少し印象が異なる。本格的な議論はほかの著作にあたったほうがよいかもしれないが、カッシーラーの思索の魅力にわりとすんなり入っていけるというところや、哲学の思考の対象全般に目が行き届いているというところは、本書の利点だとおもう。

自然は尽くすことのできないものである。――それはつねに、我々のために、新たな、思いがけない問題を提出する。我々は事実を予期することはできない。しかし、我々はシンボル的な思考の力によって、事実の知的解釈を行なうための準備をすることができる。
(第十一章「科学」p460 )

人災の側面もおおいにあるが二十一世紀になっても「新たな、思いがけない問題」がどんどん出てきている。「事実の知的解釈を行なうための準備」はなかなかできていないところが多いが、「シンボル的な思考の力」を駆使して、漸次対処していくようにしていくしかないのだろう。

www.iwanami.co.jp


【付箋箇所】
37, 44, 50, 64, 73, 85,87, 104, 119, 137, 138, 166, 223, 235, 258, 272, 282, 303, 304, 308, 376, 388, 423, 450, 460, 479, 486

目次:
第一部 人間とは何か
第一章  人間の、自己自身の認識における危機
第二章  人間性への鍵―シンボル(象徴)
第三章  動物的反応から人間の反応へ
第四章  空間および時間の人間的世界
第五章  事実と理想
第二部 人間と文化
第六章  人間文化による人間の定義
第七章  神話と宗教
第八章  言語
第九章  芸術
第十章  歴史
第十一章 科学
第十二章 要約と結論


エルンスト・カッシーラー
1874 - 1945
宮城音弥
1908 - 2005

 

参考:

uho360.hatenablog.com

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