読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

加藤精一 編『空海「般若心経秘鍵」』(原著 834, ビギナーズ 日本の思想 角川ソフィア文庫 2011)

空海の最晩年、入定前年61歳の時の著作。主著『秘密曼荼羅十住心論』や『秘蔵宝鑰』で展開された顕教から密教へと至る仏の教えの階梯を、「般若心経」270字のなかに読み解く、空海の天才的思考が凝集された見事な果実。加藤精一による現代語訳と解説に助けられながら空海思想の核の部分に高速で導かれる。真言宗教主の大日如来の立場から、大日如来が直接語りかける真言とそれぞれの宗派ごとに説き分けられた教えがともに説かれたものとして、密教的な字義解釈から空海は般若心経の神髄に導いている。仏法は遠く外にもとめられるべきものではなく、おのおのの心の中にあるものであるというのが核である。

仏法遥かに非ず、心中にして即ち近し。真如外に非ず、身を棄てて何(いず)くんか求めん。迷悟我に在れば、発心すれば即ち到る。明暗他に非ざれば、信修すれば忽ちに証す。

密教というと深遠でり秘教的で神秘的なものと思いがちであり、実際にそうした面もないではないと思うのだが、空海自身の言葉には現実的で合理的な思考や現実に対する的確なアプローチがあることもまた確かだ。

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加藤精一
1936 - 
弘法大師 金剛遍照 空海
774 - 835

 

訳: 加藤精一『空海「弁顕密二教論」』(ビギナーズ 日本の思想 角川ソフィア文庫 2014)

顕教密教の違いを説く空海の書。仏陀法身、応身、化身の三身に分けたときに、法身大日如来が直接説かれた教えを密教法身大日如来から派生的に現じた応身化身の諸仏が、教える相手によってさまざまに説き分けた教えを顕教とした、空海独自の教論。大日如来一元論から仏教各宗派を序列体系づけたところにほかの仏者にはない空海の思考の強靭さがあらわれている。その空海の帰国後まもなく書かれた密教護持普及の足がかり的作品。すべてはこの虚空に遍満する大日如来の一部であると説く空海の説はたいへん魅力的なのだが、21世紀の読み手からすると遍満する場としての虚空や大日如来の一部であるところの衆生の属性たる無明無知はどこからどういう具合に紛れ込んでいるのかよくわからないところに信者として没入できない疑問が残る。また大日如来がわれわれ衆生と同じ人格を持った存在であるという擬人化も信者以外には呑み込みにくい力点である。しかし、そのなかなか受け入れがたい教えの前提部分にもかかわらず、空海の思想に今でも魅力があるのは、現代日本の知識層の一傾向として華厳の事事無礙法界に現今の閉塞感を突破する発想を求めている先の世界を提示しているところがあるからだ。それが密教曼荼羅世界であり、曼荼羅としての我を観ずることで導かれる即身成仏の世界である。すべては大日如来の一部であれば私が仏であることは何の特別なことではないのだが、それでも特別でない世界を生きていることを実感する不思議は知の取っ掛かりがないとなかなか味わえない稀なことであると。この不思議は空海の著作や解説書を読んでいくと一般読者層であっても霞んだなかにぼんやりと感じられてくる。鮮明に感じられるという方もいるかもしれないが、ぼんやりとしているくらいのほうが無明と付き合いながら生きるにはちょうど良いのではないかと思ったりもする。

 

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加藤精一
1936 - 
弘法大師 金剛遍照 空海
774 - 835

谷川敏朗『校注 良寛全詩集』(春秋社 2005, 新装版 2014)

谷川敏朗の良寛校注三部作のうちではいちばんの力作。良寛自身も俳句や歌に比べれば、漢詩に傾けた時間やもろもろの思いはもっとも大きいのではないかと考えさせられる一冊。寺子屋や学塾に通った時代から、世俗的世渡りの要求に応えられずに出家したあとの修行と放浪の時代を経て、故郷に戻り地縁に助けられながら、本懐を遂げる遂げないに揺れる生を送らせてもらったなかでの詩作を、本詩、釈文、校異、現代語訳、語釈と解説文とに分けて、多角的重層的に辿っていけるように用意された充実の仕事である。
現代においてはガイドなし準備なしでは容易に近づくことができない漢詩の世界ではあるが、つい200年前まではそれが文芸のひとつの主流であったことは記憶に止めておいてよいことだろう。四書五経の中国古典を幼少期から刷り込まれるようにして学び、その後もほかに娯楽も物珍しい研究もない状況で、限られた領域での考究が徹底されたなかで醸成された詩文の意味合いの解釈は、もはや研究者層でしか直観的には理解できないレベルになってしまっている。都度教えられなければ分からない前提や参照元が広く深い。近代の我々が知らないだけの、もしくはとりあえず棚上げできていると思っていることの、終わったものとして執拗に存在している廃棄出来ない残余としてのなにものかの一端が本書にはパッケージングされている。気になる漢詩に出会ったときの現在の感覚の蠢きが、過去のより吟味され洗練された感覚の蠢きに触れて呼び出してくる。自分自身の直接の探究でなくても、先行者の探究が、言語使用の歴史的深みを眼前に浮上させてくれる。
有難くも恐ろしいことではあるが、下降史観に立てば至って当たり前のことでのあるので、そこは耐えつつ歴史を見る。知られていたことが知られなくなり、地の塩の味を見分けることができないなか、新たな味覚とともに古い時代の味覚の存在意味を、別世界というよりも並行世界として隣り合わせる、その領域を維持継続する力が本書にはある。日本の江戸後期の越後の変わり者が、憧れと失望とともに生き抜いた思想言語世界。良寛自身だけではなく、それを読む者も、求道の迷いと悟りのあわいに落とし込む危険がまったく消えていない、詩歌の恐ろしくも甘美な世界が広がっている。
文芸の世界は、救われるか救われないかは全く分からないので浄土門ではないし、個人の今ここにおける悟道の世界とも違うと思うので、迷いながら迷う先を更新していく終わりなき世界だと思いながら、ずぶずぶと深みにはまり、気がつけば浅瀬で喘ぎつつ、しばし息をつく幸せを喜び、また窒息の恍惚に瞬間的に触れるというような、平常心と倒錯が交差する扱いづらい力動の場であるのではないだろうか。そのような場を生き抜いた人物として良寛がいるとすれば、それは参照するに値する人物であることに疑いはない。

たとえば何でもない詩ともいえるが、こんな詩に立ち止まってみるとき、一瞬にして時空は歪んでしまう。

15 春暮

【読み下し文】
芳草萋々 春将に暮れんとし
桃花乱点 水悠々たり
我も亦従来 忘機の者なれど
風光に悩乱して 殊に未だ休せず

【現代語訳】
かぐわしい草花が茂って、春はまさに過ぎ去ろうとしており、桃の花びらが川面に散って、川の水はゆったりと流れている。わたしもまたもともと僧として執着から離れた者であるが、この晩春の風景に魂を奪われ心をやすめることができないでいる。

本詩の語釈解説では、初句の「芳草萋萋」について、中国の詩人崔顥の「黄鶴楼」の句「芳草萋萋鸚鵡洲」への参照が指示されているが、素人はそんなことは知らないから、指摘されなければただ読みすすむだけで、なにも思わないが、指摘されれば先行作品の厚みが出てきて、鑑賞の仕方も当然ながら少し変わってくる。

 

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谷川敏朗
1929 - 2009
大愚良寛
1758 - 1831


    

谷川敏朗『校注 良寛全歌集』(春秋社 2003, 新装版 2014)

1350首もの歌を残した良寛には歌人という意識はなかったものと見える。漢詩においては禅僧の活動としての偈頌が含まれていたり、50歳を過ぎてから10年ごとに遺偈(禅僧としての最後の感懐)を残したりと、かなり形式的なものを踏まえて詩作していたのに比べて、歌については、興が乗った時に思うがままに書きとめていた、もしくは、紙がないときには口誦しつつ記憶しそののちに書きとめたという具合で、構えがなく、良寛のより生の声の部分が響いている。そういうこともあって、禅僧としては果たしていかがなものかと思われる、飲酒の場面であったり、肉食(魚)の場面であったり、憂い悲しみ或いは後悔や迷いの表明であったり、晩年の浄土門への傾斜であったりという、人としての脆さや弱さが詠われていて、読み手としては戸惑いつつも、その衒いのない人間らしさに引きつけられる。
歌人ではないが文芸に親しむ家の血を継いでいること、幼少期から書物に親しみ続けたこと、諸国放浪を終えた39歳以降に地元越後にかえり地方の風流人と交際を持ち、「新古今調」「古今調」「万葉調」と自身の歌風を歳とともに変えていったことが良寛の歌に深みと彩りを与えている。短歌、旋頭歌、長歌という和歌の形式を横断しながらの歌作は、短歌の純粋心情表明とは違ったより複雑な屈折した心象世界を伝えてくれるので、良寛という一人の歌人ならざる歌人の世界をより鮮明に伝えてくれている。僧としても破格な人物であった良寛は、日本の近世の詩人としても破格の存在であったことが歌を見るだけでも感じ取れる。詩の世界においては、歌だけでなく、俳句も漢詩も一流といってよい作品を持っているのだから、その存在はかなり特異だ。日本の19世紀に心揺さぶる長歌を残しているところも良寛ならではで、ほかになかなか思い浮かばない。

0470 木にもあらず 草にもあらず なよ竹の 数ならぬ身ぞ 我は恋しき

0491 世の人に まじはる事の 憂しとみて ひとり暮らせば 寂しかりけり

0708 久方の 長閑き空に 酔ひ伏せば 夢も妙(たへ)なり 花の木の下

1116 いざさらば 蓮(はちす)の上に うち乗らむ よしや蛙(かはず)と 人は言ふとも

1300 我が後を 助け給へと 頼む身は 本(もと)の誓ひの 姿なりけり

1338(部分)
久方の 長き月日を いかにして 世をや渡らむ 日に千度(ちたび) 死なば死なめと思へども 心に添はぬ たまきはる 命なりせば かにかくに すべのなければ 籠り居て 音(ね)のみし泣かゆ 朝夕ごとに

良寛という人は、偉大かつ卑小な人で、先人としていてくれて、そして今なお生きる詩人としていてくれて、とても刺激的且つやわらかな存在である。俳句、歌、漢詩の中では、とくに歌の情趣の浸透具合は頭抜けている。普段の思考に近い言葉で残されているためだと思う。

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谷川敏朗
1929 - 2009
大愚良寛
1758 - 1831

 

谷川敏朗『校注 良寛全句集』(春秋社 2014)

良寛曹洞宗の僧というよりもやはり歌人であり詩人としての存在が大きい。詩や歌の内容に仏の道が入ることが多くても僧としての偉大さよりも詩人としての輝きが先にきらめく。「法華讃」「法華転」という法華経讃歌の漢詩群はあっても、仏教の教えを説いた著作も語録もないこと、弟子もいなかったことなどが仏教者としての位置づけをはっきりしないものにしているのだと思う。それに比べれば、歌人としては會津八一斎藤茂吉に多大な影響を与えているし、漢詩夏目漱石や田邉元が愛読していたことなどが知られている。俳句に関しては、蕉風俳諧に連なる俳人としての父以南の存在もあって、芭蕉を賛美する心は大いにあったものの、自分の句作ということになると歌や漢詩に比べると圧倒的に少ない。辞世の句とも言われることがある「うらを見せおもてを見せて散るもみぢ」は人の作であるようなので、それ以外の良寛自作の句というとなかなか思い浮かんではこない。春秋社では本書の他に全詩集と全歌集が刊行されていて、それによると漢詩483首、歌は1350首ある。それに比べて俳句は107句で、そのなかには父以南の句である可能性が高いものが何句か含まれているというくらい作数は少ない。文芸ジャンルでは形式が内容をある程度規制する側面があり、17音という韻律で、切断と俳味を旨とする俳句には、言葉と情が横溢する良寛には向いていなかったのだろうと想像する。逆に、自分の趣味嗜好にあまりあっていない俳句という形式で、何を詠んだかというところに興味がいった。

鶯や百人ながら気がつかず
盗人(ぬすびと)にとり残されし窓の月
湯もらへ(ひ)に下駄音高き冬の月
平生の身持(みもち)にほしや風呂上(あが)り

引用一句目は百人一首の歌のなかに鶯を詠ったものがないということを評した機知の句、二句目は無一物の乞食僧である良寛の草庵に盗人が入った時のやりきれない可笑しみを詠った句、三句目、四句目は風呂をわかすのが大変であった江戸期の農村の暮らしのなかで、もらい風呂でほっこりするありがたみと昂揚を詠った句。労働をするでなく、積極的に説法するでもなく、ひょうひょうと食を乞いながら遊行三昧の良寛の逸話を思い起こさせるような味わいの句が目に止まる。漢詩や和歌や長歌のようにその出来栄えに唸るようなことはないのだが、良寛の洒脱な句を詠んだ後には、その軽さにあやかって、風呂に入りながら禅語録などを読みつつ良寛のことを思い返したりしていた。良寛のことを思い浮かべると、日常のなんでもないことが贅沢だと思えてきたりもするので、たいへんありがたい。

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谷川敏朗
1929 - 2009
大愚良寛
1758 - 1831

 

全国良寛会 監修 竹村牧男 著『良寛「法華讃」』(春秋社 2019)

良寛には法華経を称えた「法華讃」「法華転」と言われる漢詩作品集が四種あり、本書のもとになっているのは原詩102篇と著語(じゃくご)と言われる短い感想を述べたものと溢れる思いから書き添えられた和歌数篇からなる最大のもの。新潟市所蔵の良寛直筆の原資料を最新の高解像度カメラによって撮影し、いままで判読困難だった部分も新たに判別した上で、原文と書き下し文を小島正芳、現代語訳と解説を竹村牧男が担当している。巻頭には全編カラーで良寛の筆になる「法華讃」原資料が38編にわたって紹介されている。書道の世界でも名品とされる良寛の書は、書に疎い素人の目にもたいへん愛らしく映り、不思議なもので心がなごむ。法華讃の内容の深さと厳しさを上回る良寛の慈愛に満ちた言語のたたずまいが、仏も解脱も何も信じない或いは信じられない者へも、知性の光と愛とを届けてくれているようだ。信心なき者でも、良寛と同じ文字同じ言葉を使う縁から、悟道の随伴者として勝手に引き上げられているようなのだ。漢訳仏典から採られた言葉なしに日本語では考えることはほぼ不可能であるし、生きていくのもままならないのだから、仏者の教えには関心は持つべきである。信仰はなくとも好きな仏者は何人か出てきてくれるので、そこにすがってみる。信じていなくても言語のストックと配置が変わるので、読みすすめば読みすすむほど影響は大きく受ける。言語を超えるものを捉えるためには言語領野の影や淵に関する思考の蓄積としての書物があるに越したことはない。

方便品3

【原文】
是非思慮之所及 誰以寂黙誇幽致
有人若問端的意 諸法元来祇如是

【解説(部分)】
諸法実相は、言語・分別によってとらえることはできないが、単なる虚無でもありえない。主客未分の一真実が現成しているところに、悟道の風光はあり、しかもそれは、我々の分裂した主客の直下に、もとより働いているのである。
良寛の禅は、「只這是」(只だ這れ是れ:ただこれこれ)に窮まる、というのが私の見方であるが、「諸法は元来祇だ如是のみ」も、まさにそのことそのものである。

大学時代から良寛を論じ、第一作の『良寛の詩と道元禅』(1978)から数えても40年以上良寛を読みつづけている竹村牧男の現代語訳と解説文も良寛理解を大きく助けてくれている。

反省主体なしに没入できる世界に出会いつづけ、しかも矩を踰えないでいること。信心の有無にかかわりなく、この世界と十全にまみえること。「是」を味わえる、この生、この時を慈しむこと。生きているうちが法の華としての私であるだろう。

 

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目次:
序 … 泉田玉堂 老師(大徳寺第五百三十世)
序文… 長谷川義明(全国良寛会会長)
良寛と「法華讃」… 小島正芳(一般財団法人良寛会理事長)
法華経』(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)について… 竹村牧男(東洋大学学長)
「法華讃」解説…竹村牧男(東洋大学学長)

竹村牧男
1948 -
小島正芳
1951 - 

 

田村圓澄『日本を創った人びと 3 空海 真言密教の求道と実践』(平凡社 1978 編集:日本文化の会)

軽めの内容かと思ったら、本文も掲載図版も文句のつけようがない優れた一般向け専門書的図鑑だった。平凡社刊行だから、別冊太陽もしくはコロナ・ブックスのシリーズを想像していただくと、文章と図版の質と量の水準の高さの程度が知れるかと思う。
全82ページに図版189点、『聾瞽指帰』『三教指帰』から『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝鑰』までの仏教著作全般と、詩と書を中心とした文化人としての活動、高野山開山や寺院建築また満濃池改修などの事業家的側面が、少ないページのなかに圧縮して紹介されている。ほかの空海をめぐって書かれた著作では一冊のなかでいっぺんに知ることができないようなことまで万遍なく触れられているので効率がよく、またインパクトも強い。大学時代の学友との繋がり、薬子の変など歴史的事件から受けた影響、実際に使用された法具や寺院の姿が鮮明に描かれている。なかでも同時代を生きた最澄との因縁と思想と人物のコントラストは、平衡感覚のとれた最澄への目配りによって、二人ともに、新たな像を与えてくれる。最澄の現実世界を見る相対的かつ否定的な思考の傾向と、空海の永遠の世界を見る絶対的で肯定的な思考の傾向が、両者のうちどちらかを否定するようなことなく、ともに大人物として描かれているところが快い。好き嫌いや人物としての上下の判断の前に、差異を差異としてとらえているところがよい。「日本を創った人びと」シリーズには最澄が含まれていないが、本書からだけでも最澄の存在の大きさが感じられるは、一冊の書物としての価値の大きさがうかがわれる。
刊行年はすこし古いが、良書。発色のあまりよくない写真図版も、平安時代を生きた空海を想起するには、それはそれで味がある。

 

目次:
1 仏国土の建立
2 試行錯誤の軌跡
3 入唐求法
4 新しい法燈を掲げて
5 宿命の相剋
6 呪験と民衆
7 高野山開創
8 阿闍梨と文化人と
9 「永遠」を求めて


田村圓澄
1917 - 2013
弘法大師 空海
774 - 835