読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

萬屋健司『ヴィルヘルム・ハマスホイ 静寂の詩人』(東京美術 ToBi selection 2020)

19世紀末から20世紀にかけて活動したデンマーク人画家、ヴィルヘルム・ハマスホイ。本書には、同時代の交流のあった画家たちの作品がわりと沢山紹介されていて、時代の風潮としてほかの画家たちと似かよっているところと、誰にも似ないハマスホイならではの味わいとが両方よく伝わる造りとなっている。主要作品86点を掲載している瀟洒な画集。

ハマスホイと親交があり、影響を与え合ったと考えられるカール・ホルスーウの作品で、モチーフとしてよく描かれた背を向けた女性のいる室内画は、ハマスホイと多くの類似を持つがゆえに、画面を満たす光と事物の絶対的な質感の違いを教えてくれる。

ハマスホイの作品は、いずれもある種の幻想性、静まりかえった非日常性が画面を支配していて、現実を経験しえない天使的な視線から事物を霊的にとらえているようなところがある。生活感や生命力といったものが脱色されたうえで、それでもなお残る幽玄な気配が、彩度の低い空間に横溢しているのがハマスホイの絵だ。時間が止まってしまっているような静けさが室内画にも風景画にも人物画にも共通していて、画風に揺るぎがない。国も時代も技法も異なるが、長谷川等伯の松林図屏風と地続きの世界がハマスホイによってひたすらに創造されているような印象を受けた。

 

www.tokyo-bijutsu.co.jp

 
目次:

はじめに「一枚のハマスホイ」

灰色と白のパレット

Ⅰ 1885‐1991
 灰色の革命
 フィアンセの肖像

Ⅱ 1891‐1898
 模索と展開
 最初にして最大のコレクター
 ハマスホイと同時代のデンマーク絵画①
 スケーイン派とP. S. クロイア

Ⅲ 1898‐1908
 風景、建築、人物
 隣国に渡った最大の意欲作
 ハマスホイを知る ヴィルヘルムと家族の物語

Ⅲ 1898‐1908
 ストランゲーゼ30番地
 誰も知らなかった代表作
 ハマスホイと同時代のデンマーク絵画②
 19世紀末コペンハーゲンの室内画

Ⅳ 1908‐1916
 古い部屋を求めて
 未完成の自画像
 ハマスホイを知る イギリスの友人

ヴィルヘルム・ハマスホイ
1864 - 1915
萬屋健司
1979 - 

ルイーズ・グリュック『アヴェルノ』(原著 2006, 江田孝臣訳 春風社 2022)

2020年度ノーベル文学賞詩人の63歳での第10詩集。『野生のアイリス』に次ぐ二冊目の日本語訳詩集。

一時間たらずで読み通せてしまうので、気になったときに再読するのに適した分量、そして内容。

母娘の世代間に関する齟齬の物語。

押し付けられたのか、自ら望んだものなのか、性にまつわる思考の反復と、反省と反抗の苦痛が、静かに、それでいて執拗に、流れつづけている。

性的役割とされるものの、暴力を呼び起こさずには済まされない形象のさまざまな相を、詩人自身の経験にからめながら描こうとしているのが、この詩人の作風なのだろうと感じた。

1992年、49歳での刊行となる代表作『野生のアイリス』に比べれば、混乱に立ち向かう姿の鮮明さは、薄れている、というか角が取れてきているようだ。静かに深化しているという印象も受ける。

内外に向けての長い省察の期間を経たのちに、防御も攻撃もひとたびは内向化され、幾重もの検討を経たものとなって、充分に潜行化されたところから発せられる詩の表層を飾ることばは、多方面に関係性を求めていて、強い主張を持ちながらも自己充足することはない。

自分自身を批評の対象にしながらも、敵対する複数の外部や、より大きな基盤ともなる外部無きひとつの世界に対して、独自の、渾身の異議を唱える。

詩人のモチベーションは、伝統的な役割を強いられることによって、本来自由であるべき魂の在りかたが、拘束され、望まない方向に変形される圧力をがあると告発しながら、自分自身の弱さから発する既存体制への順応の傾きをを検証しつづける、自分自身への毒に満ちた、誰に請われるでもない生来の批判精神の過剰にある。

一度だけ起こったこと。なにものでもない私が生まれ、私を私と思い、思考し、行動しつづけていること。科学でもなく宗教でもなく、与えられた結びつきのなかで、他者には容易に通じることのない癖のようなものが身につき、身近な人との関係のなかで、摩擦や抱擁が起きては消えていくことについて、ルイーズ・グリュックの詩は、語りつつ反省しているのではないだろうか、そのように感じながら繰り返し読んでいる。

作品は、デメテルとペルソポネの母子間の距離を置きながらの錯綜した相剋が基本線を成し、その相剋の劇の主人公たるペルソポネの存在感の薄さに、詩人自身の抑えることのできない情念が重ね合わされ、精神の危うい緊張が表現されている。冥界へ略奪することでペルセポネの運命を変えたハデスの存在は実際の神話以上に薄く、ペルソポネの思考や行動のひとつの口実となっているに過ぎない。中心は、無垢であった少女時代の私と、傷つき見る影もなく変わってしまった今の私をめぐるモノローグ。妻、母、娘という役割に安住できない魂の叫び。何が決定的に私を変えてしまったのかは明確に語られることはなく、暗示されるにとどまっているがために、詩のイメージは大きく深く、低いトーンの叫びというか呻きは、より執拗に読み手に訴えかけてくる。

わたしには何の得もない。暴力がわたしを変えた。
わたしの体は、はぎとられた畑のように冷たくなった。
残ったのは用心ぶかい精神と
試されている感覚だけ。
(「十月」より)

女性であり受難者であることから汲み上げられてきた本詩集の作品のことばは、おそらく女性の読者にとってより深刻なものとなって届くだろう。

www.shumpu.com

www.shumpu.com


目次:
 夜の渡り


 十月
 さまよい人ペルセポネ
 プリズム
 火口湖
 エコー
 フーガ


 宵の明星
 風景
 無垢の神話
 古風な断片
 青いロタンダ
 ひたむきな愛の神話
 アヴェルノ
 前兆
 望遠鏡
 つぐみ
 さまよい人ペルセポネ

注記

[訳者補遺]

訳者後注
作品一覧(原著・訳書)
訳者あとがき


ルイーズ・グリュック
1943 - 
江田孝
1956 - 
    

管啓次郎『詩集 犬探し/犬のパピルス』(Tombac , インスクリプト 2019)

アントナン・アルトーの翻訳者ということで身構えていたが、読んでみるといたって穏当で建設的。幻想的フィクションを織り交ぜているが、それは世界をよりよく見取り、新たな相を見せるようにするための詩的な戦略で、きわめて実践的なものであることが感じ取れる。

祈りというが祈りとわかる祈りに祈りはない。
日々の所作、実用的な動きだけが、祈りを祈りにする。
(「ハバナ」より)

世に満ち満ちている諸現象、諸記号を、詩を書くことで明確に共有可能なかたちでまとめあげている。本詩集で詩の主題として取り上げられることが多いものはは、旅、信仰、音楽、写真、そして詩と言語そのもの。上記引用詩句から考えると、生き、経験し、想像し、書くことが、そのまま慎ましい祈りのかたちになっている。一点に向けて過剰に荒れ狂う凶暴性ではなく、無償に近い軽さによってさまざまな方向に展開しようとする遊戯性あるいは祝祭性が、祈りのかたちを心地よいものにしているようだ。それぞれの詩の積み重なりから生まれる詩集としての佇まいは、著者の「あとがき」によって最終的に完成すしている。

この粗暴で物悲しい世界をわたる者のcompanion speciesとしての犬の、無条件の愛、無償の努力。そのようにつねにそこにいる、どこにでもついてくる、犬のような詩をめざしたらどうだろう。この詩集自体がそんなポータブルな吠えない犬の役割を、あなたのために果たすことを願っています。
(「あとがき」より)

「犬のような詩」、伴走者あるいは伴奏者としての詩という捉え方が徐々に心に響いてくる一冊。

inscript.co.jp


目次:
犬探し
「犬狼詩集」より
貴州詩片
太田詩片
サウスウェスト詩片
写真論
山形少年
光のりんご
青空ジュークボックス
Baciu, bacio
中山北路
(ひかりは せかいに……)
重力、樹木
グラナダ
コルコヴァード
ハバナ
コロラド
犬のパピルス
あとがき

管啓次郎
1958 - 
    

原田マハ+ヤマザキマリ『妄想美術館』(SB新書 2022)

美術を愛する作家二人によるアート談義。両人ともにエピソードが常人離れしているので、短いパッセージのなかに情報と情動が凝縮されていて、読み手は凝視せざるをえない。さらに、編集部の優れた仕事振りが伺える注記と図版による補完体制が質量ともに充実していて、手引書のような使い方もできる、ちょっと変わった印象を与えてくれる新書に仕上がっている。

印象派から20世紀にかけての王道絵画を推している原田マハにくらべ、自身も絵描きであるヤマザキマリの生き方まで左右してしまっている古典から現代にかけてのクセのある芸術家たちの紹介のほうがインパクトがあり、対談の流れもつくっているような印象があった。やはり本を読むからには自分の知らない切り口で美術作品を紹介してくれることを期待してしまうので、いかにも日本人的な好みの原田マハよりも、少々ぶっ飛んでいるヤマザキマリのほうが面白い。

ネット上で検索して代表作を見てみると知っていることの方が多い画家たちではあるが、ヤマザキマリが取り上げる画家たちの名前を並べてみると、美術の世界の幅の広さと奥行きの深さが浮かび上がってくる。

神田日勝
ジョット・ディ・ボンドーネ
アントネロ・ダ・メッシーナ
ヤン・ファン・エイク
パオロ・ウッチェロ
ピエロ・デッラ・フランチェスカ
ジョバンニ・ベッリーニ
ヴィットーレ・カルパッチョ
アンドレア・マンテーニャ
エドワード・ホッパー
ジョーダン・ベルソン(この人は映像作家)
ジョルジョ・モランディ
アントニオ・リガブエ

ヤマザキマリ自身もそうだが、個性的な人物たちである。

www.sbcr.jp


目次:
第1章 美術館は快楽の館
第2章 終わりなきアートの迷宮
第3章 偏愛するアーティストたち
第4章 未完の魅力への憧れ
第5章 マニアックな情熱ゾーン
第6章 心ゆさぶるアート空間

原田マハ
1962 - 
ヤマザキマリ
1967 - 
    

佐藤直樹監修『ヴィルヘルム・ハマスホイ 沈黙の絵画』(平凡社コロナ・ブックス 2020)とリルケの『マルテの手記』

実現するにはいたらなかったがリルケロダンに次いで作家論を書こうとしていたのが本書で紹介されているデンマークコペンハーゲンが生んだ特異な象徴主義の画家ヴィルヘルム・ハマスホイ。「北欧のフェルメール」とも言われるハマスホイであるが、フェルメールの静謐さのなかにもあふれる華やかさはなく、沈鬱さに境を接した冷えた静けさが支配した空間が描かれている。

リルケハマスホイの作品に初めて触れたのは1904年のデュッセルドルフの展覧会で、その年の12月には画家に会うためにコペンハーゲンにまで出向いている。出会うことはできたものの画家があまりにも無口であったために論考執筆はあきらめたらしいが、書かれていたらとても興味深い作品になっていたであろうことは間違いない。

1904年といえば、リルケが唯一の長篇小説『マルテの手記』の執筆を開始した年であって、デンマークの詩人マルテのパリでの孤独と低落の痛ましい日々とその内面を綴りはじめた時期のリルケ自身の内的風景をあらわしたかのようなハマスホイの画風に強く惹かれたのであろう。この時、リルケ29歳、ハマスホイ40歳。詩人と画家という違いはあっても、精神的同族意識を感じていたに違いない。

ああ、僕はどこへ行けばよいのだろう。どこへ逃げて行けばよいのだ。僕の心が僕を押出す。僕の心が僕から取残される。僕は僕の内部から押出されてしまい、もう元へ帰ることができない。(中略)何一つ見えない暗黒な夜。何一つ映らない窓。注意深く閉ざされた扉。昔のままの調度。ただ次々に引渡され、認知されただけで、誰にも理解されたことのない部屋の道具類。階段のひっそりとした静寂。隣室のもの音もせぬ沈黙。
新潮文庫大山定一訳『マルテの手記』より)

廃墟になると予感させる人気のない建物、人のいない部屋、華やぎとは縁のない諦念と冷えた感覚のようなものを感じさせる婦人の後ろ姿をモチーフとして繰り返し描いたハマスホイの作品に、ストレートな感情表現はあらわれないのだが、沈黙が支配する画面からは声にならない霊性のようなものが発せられているようで、永遠化された瞬間の厚みが迫ってくる。そのなかで髪を束ねているのと襟のない服のために高くて丸みを帯びたイーダ夫人の垂直に伸びたうなじは唯一生命を感じさせる力強さがあって美しい印象を与えてくれている。

www.heibonsha.co.jp

www.shinchosha.co.jp

目次:
序章 ハマスホイ コペンハーゲンのスキャンダル
1章 時代のはざまで パリとロンドンに現れたデンマークの異端児
2章 メランコリー 誰もいない風景
3章 静かな部屋 沈黙する絵画 

[コラム]
ハマスホイとコレクター 佐藤直樹
ハマスホイが会いたがった人物 ホイッスラー 河野碧
暗示の絵画 ハマスホイと象徴主義 喜多崎親
ハマスホイと写真 佐藤直樹
ノルウェーの美術史家アンドレアス・オベールによるフリードリヒの再発見 杉山あかね
ドライヤーとハマスホイ 小松弘 


ヴィルヘルム・ハマスホイ
1864 - 1915
ライナー・マリア・リルケ
1875 - 1926
佐藤直樹
1965 - 
    

中央公論社『日本の詩歌22 三好達治』(中央公論社 1967, 新訂版 1979, 中央文庫 1975)

高見順の異母兄にあたる福井県出身の詩人阪本越郎が、福井に縁の深い三好達治の作品ひとつひとつに的確な鑑賞文をつけて案内してくれる良書。第一詩集『測量船』から最後の詩集『百たびののち』まで、代表作とみられるものがこの一冊で優れた読み手の読解付きで読めることは、大変貴重である。

収録された詩集および拾遺は以下19点にわたる。

 測量船
 測量船   拾遺
 南窗集
 間花集
 山果集
 霾
 艸千里
 艸千里   拾遺
 一点鐘
 羈旅十歳
 朝菜集
 寒柝
 花筐
 春の旅人
 故郷の花
 砂の砦
 日光月光集
 駱駝の瘤にまたがつて
 百たびののち

中央公論社の日本の詩歌シリーズは一冊400ページ程度の分量で各詩人の代表作を網羅しつつ読みの専門家が鑑賞文を書くことで多くを教えてくれた優れた企画選集であった。読者市場も企業も詩人たちもいま現在よりは体力と気力があっであろう時代の記念碑として、改めて鑑賞してみるのも良いのではないだろうかと思った。


三好達治
1900 - 1964
阪本越郎
1906 - 1969
    

石原八束『三好達治』(筑摩書房 1979)

俳人石原八束はすでに飯田蛇笏主宰の「雲母」の編集に携わっていた1949年30歳の時に詩人三好達治に師事することになり、1960年から詩人の死の年まで三好達治を囲む「一、二句文章会」を自宅にて毎月開催していた。

本書は昭和50年代に各所に発表された三好達治に関するエッセイを中心にした折々の三好達治の姿を描き出した一冊。自身も文芸の世界に深くかかわりながら生きた作者の、尊敬と哀悼の意がひしひしと伝わってくる文章で、主たる創作領域である句作の世界を超えるほどに読む者に感動と貴重な情報を与えてくれる。

稼業の印刷業で技術があるにもかかわらずあるいは技術があるがゆえに商売よりも新技術開発にのめり込み倒産、その後出奔した父から風狂の気質を受け継いでいることを指摘しながら、深い抒情性と諧謔の性向のバランスのうえに成立した三好達治の詩の世界を浮き上がらせていくところは、ほかの論者には見られない特色があった。

三好達治が指示した萩原朔太郎との性向や詩的方法の違い、家庭生活を破綻させた萩原朔太郎の妹愛子との関係、親しく交流した井伏鱒二とのエピソードなども、近くにいたからこそわかるこまやかさで伝えてくれているところにも希少性がある。井伏鱒二とのほほえましい関係性などは本書ではじめて知ることができたことで、なるほど気が合いそうだと納得もできた。

これらの作に見られる反語や諧謔はこの詩人の性来のストイックな激情と厭世孤独な性情と詩人の野生無頼とを自己戯画化したところから生まれ出たものというほかない。ここにこの詩人の風狂の姿勢を見る。反語や諧謔はその風狂者の批評でもあった。
(「風狂の詩人」より)

上記引用は『駱駝の瘤にまたがって』や『百たびののち』の晩年の作品に対する評言であるが、句作や歌作をふくめた詩作活動の全域に適用できる簡潔明快な切り口を提供してくれている。

【付箋箇所】
15, 26, 30, 65, 71, 74, 104, 116, 126, 134, 149, 158, 169, 180, 196, 208, 214, 226


三好達治
1900 - 1964
石原八束
1919 - 1998
井伏鱒二
1898 - 1993