読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

コンラート・ローレンツ『文明化した人間の八つの大罪』(原著 1973, 日高敏隆+大羽更明訳 思索社 1973)

私が生まれた1971年の世界の人口は37憶、今年2023年は80憶を超えているという。50年で倍増、40億人増加している。西暦1000年時点では2億人くらいだそうだから、世界の様相が変わっていかないほうがおかしい。人口過剰と言われつつ世界的にはまだまだ増えるというのだから、資源の危機が叫ばれてはいても、まだ辛うじて支えていられるだけのものはあるのだろうし、人類全体に対して、個人がどうこうできるというものでもないだろう。もう人口増加には直接は関わらないだろうし、あと何年生きるかわからないがもうしばらくは人口減少にも直接は関わらない。老いはしていくがもう少し人間として活動し、世の中を見てみたいという願いはすこしは持っている。

コンラート・ローレンツは、オーストリアの動物行動学者で、種に関係するような長期的変動を見る視点からの文明批評を行っている著作も多い。本書は雑誌のインタビュー記事とラジオで放送された講和をもとに編纂されたもので、分量的にも内容的にも読みやすいものとなっている。近代よりはるか以前の狩猟採集を行っていた部族的社会での人間のあり方と、資本主義下の大量生産大量消費時代における人間のあり方を比べて、むやみに制限され不安に駆り立てられている都市生活者の哀れさを浮かび上がらせているところに特徴がある。伝統的な古代的生活には帰ることはできないであろうが、現在の人間のあり方が本来的なものではないことを、人類の歩みのなかで多くを占めていた時代の生活と比較しながら解き明かしている。怠惰や何もしないこと、保守的なこと、変わらないこと、時間をかけることなどが持っている意味を取り上げることで、現代の脅迫的な競争の社会を相対化してくれている。自分が存在している場所が変わらなければ、そう簡単に日々の活動パターンが変わることはないだろうけれども、多少気分は楽になる。自己に対しても、他者に対しても、諷刺する適度な距離をとれる「喜劇的センス」を涵養する手助けになってくれることだろう。

サイバネティクス的な調節のプロセスを研究してみると、二つの極端のあいだでちょうど好ましい値を維持するためには、相反する拮抗的な機能がたくさん存在している必要のあることがわかります。さもないと、破局的な失調がおこるのです。ある理想に対する忠誠、ある動機に対する多少好戦的な熱狂、国粋主義などがいくぶんでも誇張されたら、それらはたちまちにして危険な野蛮人となり、良識をもつあなたの頭を打ち砕くことでしょう。
(「ローレンツは語る」より)

【目次】
第1章 生きているシステムの構造の特徴と機能の狂い
第2章 人口過剰
第3章 生活空間の荒廃
第4章 人間どうしの競争
第5章 感性の衰滅
第6章 遺伝的な頽廃
第7章 伝統の破壊
第8章 教化されやすさ
第9章 核兵器
第10章 まとめ
対談「ローレンツは語る」

【付箋箇所】
14, 30, 39, 40, 50, 52, 62, 64, 68, 71, 77, 79, 96, 119, 132, 134, 137, 139, 143, 144, 145, 152, 153, 158

コンラート・ローレンツ
1903 - 1989
日高敏隆
1930 - 2009
大羽更明
1941 -

『マチネ・ポエティク詩集』(水声社 2014)

マチネ・ポエティクとは、太平洋戦争中の1942年に、日本語による定型押韻詩を試みるためにはじまった文学運動。詩の実作者としては福永武彦加藤周一原條あき子中西哲吉、白井健三郎、枝野和夫、中村真一郎が名を連ねている。後に散文の各分野において大きな仕事をなす錚々たる面々が揃っているのにも関わらず、運動自体はさしたる成果を上げることもなく、否定と嘲笑のうちに終焉を迎えた。一冊の詩集として世に問うた時期が1948年と戦後間もないこともあって、時代の流れにそぐわない反時代的な提言であったことも不利にはたらいたのであろう。

本書は1948年に真善美社から刊行された『マチネ・ポエティク詩集』初版本を定本に、安藤元雄大岡信による詳細な解説をも付して、水声社から近年刊行されたもの。マチネ・ポエティクの日本語による定型押韻詩の試みの可能性が尽きていないことを、水声社の編集者が見て取ったところから生まれた出版物で、安藤元雄の1981年のエッセイと大岡信の1989年のエッセイを付けて、現代詩の大きな可能性として日本語定型押韻詩を再提示している。

特に読まれるべきなのは、実作の音韻分析をしながら日本語の詩歌における音の響きとことばのリズムの傾向について語った大岡信のエッセイ「押韻定型詩をめぐって」で、引用されている二つの文献、九鬼周造の『日本詩の押韻』と林原耒井の『俳句形式論』とともに、日本語詩歌の可能性を真摯に問うているところが参考になる。

実作では福永武彦ソネットが最もよく考えられ構成されているように感じるが、それでも定型押韻を作るためにやや古い用語を使用していたりして、多少感興を欠くことは否めない。ただし、嘲笑の対象としてではなく、実現の難しさに果敢に挑んだ姿として記憶したい作品であることは間違いない。

堕ちた星は想ふとはの緑
時の葉にしたたる日日は早く
朱の酒を投げてあかつきを焚(や)く
陽のめぐりは止むが涯(はたて)にひとり
(「星」より)

 

www.suiseisha.net

【目次】
序 詩の革命
詩篇
  福永武彦 
  加藤周一 
  原條あき子 
  中西哲吉 
  白井健三郎 
  枝野和夫 
  中村真一郎
  
マチネ・ポエティク詩集』について 安藤元雄
押韻定型詩をめぐって 大岡信

【付箋箇所】
10, 166, 177, 181, 185, 188, 206, 208, 213, 227,

 

エズラ・パウンド『消えた微光』(原著 1908, 1965 小野正和+岩原康夫訳 書肆山田 1987)

仮面をつけると仮面の人格が憑依する。そのような憑依体質をもった人が詩人たるには相応しいのであろう。

なにものかになりかわって歌う。なにものかをよびよせて歌う。わたしとなにものかが二重写しとなってことばを発する。エズラ・パウンドの処女詩集『消えた微光』に収められた詩篇には、そういった感触の作品が多い。

地上の冬が来た。
わたしは万象の一部で、
万象の精神がわたしの中で動くからには
わたしは地上の冬を耐えねばならない。
(「インバーン(冬)」より)

巻末に付けられた訳者岩原康夫のエズラ・パウンド論「パウンドの工房」はパウンド自身の詩作に関する相貌をよく描き出しているとともに、ジョイスやT・S・エリオットを筆頭にパウンドが見出し世に送り出した多くの詩人たちとの関わりを活写していて、パウンドを理解するための優れた導きとなっている。

shoshiyamada.jp

【付箋箇所】
171, 184, 188, 191, 199, 204, 212

エズラ・パウンド
1885 - 1972
小野正和
1937 -
岩原康夫
1940 -

イアン・ターピン『エルンスト 新装版 <アート・ライブラリー>シリーズ』(原著 1993, 新関公子訳 西村書店 2012)A4変型判 297mm×232mm

カラー図版48点、モノクローム挿図33点。1作品ごとに解説を見開きで配してあるために、参照していると考えられる先行作品との関連や、採用されているエルンストが開発した多様な表現技法の数々についての焦点化が非常にわかりやすい。

河出書房新社刊行の「シュルレアリスムと画家叢書 骰子の7の目」シリーズのエルンストの巻とくらべると、カラー図版の発色自体が多少暗く、選択された作品の色調も暗いものが多いため、不穏な雰囲気を全体として伝える傾向が強くなっている。現実世界の位置ずらし、注視することで変容してしまう世界像、浮かび上がる幻視の世界が、丁寧な解説とともに年代順に展開されている。

私の作品が生まれてくるとき、私の画家としての役割は低められて、”見物人”のような立場になっているのが常だ。だから私の作品は、通常の芸術につきものの理性とか良き趣味とか道徳性とかいったもののコントロールを超越して生まれてくるのである。

フロッタージュ、グラッタージュ、デカルコマニー、コラージュなど、人為を超えた偶然を取り込む技法にも支えられながら、エルンストの作品世界は、作り手としての統覚を幾分溶解させ、非現実の浮遊感を付け加えられた希薄な物質世界となっているようだ。現実世界を攻撃したり非難したりするよりも、現実と隣り合わせにある幻を呼び出して、別世界と通信してしまっていることの危うさが表現されているような気がする。ちょっとしたきっかけでたちまち崩壊してしまいそうな儚さがある。

www.nishimurashoten.co.jp


マックス・エルンスト
1891 - 1976

 

サラーヌ・アレクサンドリアン『マックス・エルンスト 増補新版(シュルレアリスムと画家叢書5 骰子の7の目)』(原著 1971, 大岡信訳 河出書房新社 1973, 2006 )

シリーズものにはかなり当たりはずれがあって、本シリーズ、河出書房新社の「骰子の7の目 シュルレアリスムと画家叢書 全6巻」はかなりの当たり。画家の全画業をまんべんなくピックアップしながら、図版として選択されている作品は代表作と注目作両方に目が行き届いたうえに、個性が出ている。マックス・エルンストに関しては第二次世界大戦後にアメリカのアリゾナに滞在していたころからの色彩豊かな抽象的風景画が多く取り上げられていて、とても新鮮だった。ダダやシュルレアリスムの作品とは一味違ったモチーフと色彩感覚を伝えてくれているところがありがたい。
カテゴリ毎に集められた作品の最後に付けられた解説は短いながら凝縮された案内となっていて、鑑賞をよく助けてくれる。エルンスト自身の貴重な発言なども盛り込まれていて、画家の存在がより近くに感じることもできる。センスある造りの美しい画集だ。

本シリーズ、ほかの5作のラインナップは、ルネ・マグリットハンス・ベルメールポール・デルヴォーマン・レイ、ゾンネンシュターン。かなりマニアックなところも、期待感を高まらせてくれる。

 

www.kawade.co.jp

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マックス・エルンスト
1891 - 1976
大岡信
1931- 2017

小出由紀子編著『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』(平凡社 コロナ・ブックス)

貧困と自閉的な精神的障害のなかで生前誰にも見せることなく孤独に創造の世界に過ごしたヘンリー・ダーガー。死後にダーガーの部屋に残されていた原稿と画集を大家であるネイサン・ラーナーが見つけ、芸術的価値を感じて長年保存、美術関係者や研究者への普及に力を尽くした甲斐あって、アメリカのアウトサイダー・アートの代表的作家として認められるまでにいたる。ネイサン・ラーナーはシカゴ・バウハウス派の写真家で、優れた工業デザイナー、大学の教師も務めたことのある人物で、この人の存在がなければヘンリー・ダーガーの特異な世界が一般に知られることはなかったのだから、運命を呪いつづけるようなダーガーの人生にあって、奇跡のように幸運で貴重なめぐりあわせだったのだ。

教会と紙の世界に入りびたるヘンリー・ダーガーの世間からは孤絶した日々。ノートと文字と絵の具とスクラップとトレーシングペーパー。日々作り上げられていく非現実の王国でヘンリー・ダーガーヘンリー・ダーガーとしてよく生きながらえた。長く貧しく報われない日々の、誰にも回収されることのない呪詛と執着とを、一人で長期間支えた方法は検討するに値すると思うし、絵画作品は単純に見飽きない力を持っている。色彩と形体はダーガー独自の世界を創造していて、感心してしまう。

コラージュとトレーシングペーパーによる複写を中心に独自手法で構成されたダーガーの作品を、正式な絵画の教育を受けで著名な先行作品の引用を意図的に盛り込んだ作品を制作する会田誠とくらべたりしたらよくないのだろうが、小学生と女子中高生との違いはあれ現実世界とは隔たりのある場所に集団で描かれた二次元の少女たちの存在には、なんとなくつながりを感じたりもする。

エロスとグロテスク、解放と拘束、平安と暴力が境なしで共存している非現実的世界の感触。

www.heibonsha.co.jp

【目次】
子供時代
ヘンリー・ダーガーの部屋の考古学
『王国』を構成する三つの要素
非現実の王国へようこそ
『王国』は戦争中!
イメージの救出、あるいは拉致?
アーロンバーグ・ミステリー
現実性と非現実性
アルカディア

[詩]関係各位 やくしまるえつこ
[エッセイ]ヘンリー・ダーガーという技術 坂口恭平
[評論]ヘンリー・ダーガー、浮遊する不在 丹生谷貴志

 

ヘンリー・J・ダーガー
1892- 1973

マックス・エルンスト『慈善週間 または七大元素』(原著 1934, 巖谷國士訳 河出文庫 1997, 河出書房新社 1977)

『百頭女』『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』に次ぐコラージュ・ロマン三部作の最終巻。小説と銘打ちながら、章ごとの冒頭にエピグラフとして引かれる他者の文章以外には、エルンストがつけた章題のほかに文章が全くない徹底的で斬新な一冊。200枚近い銅板コラージュ作品のみ構成される本作は、ひとつひとつの銅版画コラージュとその連なりから、読者が物語を創造しつつ読みとるように意図されているようだ。繰返しが味わいを深くしていくであろう作品で、自分の想像力と鑑賞力を試されているようにも感じる。ダンディーな男たちと妖艶な女たちが血と死と暴力と幻想にあふれた世界で織りなすドラマティックな場面の数々は、単体でも絵画作品を見るような充実したものとなっている。雰囲気的にはどことなくデルヴォーの世界も想起させるシュルレアリスムの作品。
ちなみにコラージュ作品の実際の大きさは28×21cm程度。文庫本では約四分の一に縮小されているので、ほかの画集で実寸で取り上げられているものと比較すると、作品が持つ生気はかなり削減されている。大判の書籍であればさらにすごいものであろうと想像できるので大変だ。エルンストの凄味は文庫本サイズだけではおそらく判断できない。

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【目次】
第1のノート 日曜日 元素‐泥 例‐ベルフォールの獅子
第2のノート 月曜日 元素‐水 例‐水
第3のノート 火曜日 元素‐火 例‐龍の宮廷
第4のノート 水曜日 元素‐血 例‐オイディプース
第5のノート 木曜日、金曜日、土曜日
  木曜日 元素‐暗黒 第一例‐鶏の笑い
  木曜日 元素‐暗黒 もう一例‐イースター島
  金曜日 元素‐視覚 例‐視覚の内部  三つの見える詩
  土曜日 元素‐未知 例‐歌の鍵

 

マックス・エルンスト
1891 - 1976
巖谷國士
1943 -

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com