2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧
藤原定家への挑戦の書『新撰小倉百人一首』と同じ年に刊行された著作。 西欧的高踏詩を短歌に移植することに成功し塚本美学のひとつの達成点とされる1965年刊行の第五歌集『緑色研究』から、自選の100首を掲げ、歌それぞれに新たな賛としての幻想増殖…
和歌を読みはじめたのが数え14歳、その同じ年の1205年に完成したばかりの『新古今和歌集』を手にして耽読、自家薬籠中の物としていく。1209年には藤原定家から『詠歌口伝』を受領し、本歌取り中心の歌作法を学びながら、定家の教えに囚われない大…
勃興する武家社会の中心で、疎外されながら象徴としてだけ生きた実朝と、王朝文化と没落しつつある律令国家の位階制度の権威に、まだ辺境の地にあった東国から、憧れ続けた実朝を、もろともに取り上げた源実朝論。 12世紀末、東国武家社会における惣領制と…
塚本邦雄60歳の記念として、定家の「百人一首」を超える「百人一首」をと念じ、世に問うた一冊。『新古今和歌集』の象徴の美を愛し、『新勅撰集』や「百人一首」を「無味淡白、平懐単調」に憤りを感じている著者が、「百人一首」と同じ歌人同じ配列で、「…
元は筑摩書房の日本詩人選の第23巻。新古今集時代の歌人として藤原定家と後鳥羽院と式子内親王は別の巻別の作者によって刊行されているため、本書ではその三名と覗く代表的歌人七名、俊成・良経・家隆・俊成卿女・宮内卿・寂蓮・慈円について論じている。…
慈円の家集。全五巻、全五八〇〇首余。当時の歌人のなかでは極めて多作、且つ、極めて高い質での即詠が可能であった稀な才能をもった人物。 慈円は、九条家出身で天台宗の最高位天台座主を四度務めた平安末期から鎌倉初期にかけての僧、ということに一般的に…
第七勅撰和歌集編纂の院宣を下したのは後白河院で、後白河院といえば和歌よりも今様とのかかわりがまず頭に浮かぶ。保元・平治の乱ののちの平氏政権の最中に、『梁塵秘抄』を1169年に完成させ(五味文彦『絵巻で歩む宮廷世界の歴史』2021年の情報)、源…
日本三大怨霊と称される三人を軸に、中世から現代にいたるまでの日本人の怨霊観と鎮魂文化を解き明かそうとする一冊。著者は日本古代・中世信仰史を専門とする歴史学者で、現三重大学教授。おどろおどろしさを期待するとすこし趣向が違っていてがっかりする…
八代集を読みすすめるにあたって、崇徳院が1144年下命し1151年に成立した第六勅撰和歌集『詞花和歌集』から、王朝文化終焉と武家文化への転換を意識するようになる。1141年の崇徳天皇退位で顕在化した、天皇家内での後継争いと摂関家内での勢力…
第五勅撰和歌集『金葉和歌集』が1126年に成立してからわずか18年、新たな勅撰和歌集編纂の命が崇徳院により下され藤原顕輔が撰にあたることとなった。1129年に白河院が崩御、代わって政治的権限を鳥羽院が握ったのちは、白河院の子とも言われる崇…
八〇九年の嵯峨天皇即位から一二〇五年の『新古今和歌集』の成立までの約四〇〇年間、平安時代(794-1185)の世の移り変わりを、絵巻に表わされた場面とともに、駆け足でたどる感のある歴史書。文字表記ではなかなかリアルに現れてこない衣食住の様子や、貴…
第四勅撰集『後拾遺和歌集』(1086年成立)につづき白川院の下命による勅撰和歌集。源俊頼が撰者となり編纂された全10巻、六五〇首の詞華集。ほかの勅撰集と異なり、下命者の奏覧に供されたものが、二度編者のもとに返され改訂されることになった。三度目…
第三勅撰和歌集『拾遺和歌集』から80年、若き藤原通俊が撰者となって編まれた、新時代を感じさせる第四勅撰和歌集。紀貫之や凡河內躬恒や伊勢といった三代集の芯を形づくっていた『古今集』を代表する歌人の歌は採らず、三代集以後の歌人、とくに女流歌人…
デューイのプラグマティズム、特に民主主義を論じたものよりも認識論や論理学に言及することの多い哲学的な論考に関しては、きわめて明朗快活で、読んでいて気持ちがよいものが多い。それらの論考のなかでは、実践的な未来志向の思考とコミュニケーションを…
藤原公任撰の『拾遺抄』と時をほぼ同じくして、公任の撰歌の影響のもとに花山院自身が編纂に深く関わった第三勅撰集。『拾遺抄』の増補版という趣の詞華集。全一三五一首。紀貫之の113首に次いで万葉歌人の柿本人麻呂の作品が長歌も含め104首とられて…
『古今和歌集』から四十年余り後に村上天皇の下命によって編纂された二番目の勅撰和歌集。全一四二六首。源順・大中臣能宣・清原元輔・坂上望城・紀時文の五名が撰者として任命されたものの、撰者の歌が含まれていないのが特徴。収録歌が多いのは古今時代の…
モンテーニュの「エセー」と伝記小説である『ミシェル城館の人』のどちらを先に読むべきかというと、モンテーニュの「エセー」を先に読んでおいた方が『ミシェル城館の人』も「エセー」自体も楽しめると私は思う。 理由としては、「エセー」では語られていな…
新古今和歌集(1205)と承久の乱(1221)の中心人物、後鳥羽院の家集。1221年の隠岐配流以降の主要作「遠島百首」は本家集には含まれていないが、配流後の作品を含め約1800首の作品から後鳥羽院の歌の姿を知ることができる。帝王振りといわれる作風は、…
驚異的な読書人二人、松岡正剛と佐藤優が混迷の時代に読むべき一冊としているのが慈円の『愚管抄』。 近頃、丸谷才一の王朝和歌に関する著作を複数冊読み、後鳥羽院と定家を中心に新古今和歌集の歌人たちへの関心が高まっている状況で、歌人としての慈円と相…
ハイゼンベルクの不確定性原理(1927年)以後、量子力学以後の哲学としてのデューイのプラグマティズム。確固とした真理を前提するのではなく、知性の活動の蓄積と不断の検証による改善によって生み出された実用的な成果にその都度満足すること。不確実性や…
20世紀後半のアメリカ哲学の主要人物のひとり、リチャード・ローティが重視する20世紀前半の哲学者は、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、デューイの三人。ローティ自身がネオプラグマティズムの代表的思想家といわれるだけあって、三人の哲学者のなか…
夏の金曜日の夕暮れ、仕事を終えて図書館に予約しておいた本を取りに行ったのち、中身をざっくりと確認。約二週間分くらいの十冊。丸谷才一の日本古典文学批評にうながされて新古今和歌集編纂期前後に関係する著作をまとめて読もうとして選んだラインナップ…
六月末にブックオフで第二巻が欠落していたモンテーニュの『エセー』岩波文庫版に出会い購入。第二巻は「レーモン・スボンの弁護」で、これは白水社の宮下志朗訳で去年読んでいたので、無くても誂え向きといったところ。7月に入って第一巻から読みはじめて…
現代イギリスの詞華集好きと比較しながら、日本には勅撰和歌集による詞華集作成文化が歴史的により早くより長くあり、文化的枠組みや感受性により深く影響を与えてきたことを確認しつつ、日本文学史を詞華集に沿って時代を区分けし、各時代の特性を考察した…
初版は1973年に筑摩書房から刊行された「日本詩人選」の10巻目の『後鳥羽院』で、翌1974年には読売文学賞の評論・伝記賞を受賞している名著で、第二版の第一部部分をなす。それから30年、1978年の『日本文学史早わかり』や1999年の『新々百人一首』など、…