ハイデッガー
1935年夏フライブルク大学での講義テキストをもとに内容は変えずに文言の体裁に手を入れて1953年に出版。削ることも注記を加えることもできたであろうに、戦時期のドイツの状況とナチスについての発言部分はそのままの状態で残している。アドルノな…
ドイツ民族好きだからか、スピノザの心身並行論みたいな感じがする部分をハイデッガーはライプニッツからプラトニズムを排去しただけのものといって解説する。それとも単なる私の読みのまちがいか・・・ プラトンのパイドロス篇-幸福をもたらす離間における…
ハイデッガー『ニーチェ』の原書は1961年の刊行。実際に講義が行われたのは1936~1937, 1939, 1940の期間。ナチスとは距離をとったと言われている時期ではあるが、どうにもきな臭い。 プラトニズムと実証主義における真理 ニーチェがニヒリズムの根本経験か…
まだ若いうちは恐怖はあっても驚異はなかったが、老眼が出はじめた二年前くらいから、恐怖も驚異も共に感じる精神状態になってきた。そのためもあってか、哲学書もわりとよく読むようになってきた。老いはじめてはじめて知るようになった、存在していること…
掲題のアナクシマンドロスの言葉は100頁の思索を経てハイデッガーによって以下のように訳し直される。 「収用」に従って。即ちそれらは、「不正合」の(克服において)「正合」と、それ故又相互への「配慮」とを〔これに〕帰属させる(p114) 「存在する…
その辺にあるであろう事物との共生。その辺に生きている私という存在の確認。 プラトニズムと実証主義における真理 ニーチェがニヒリズムの根本経験からプラトニズムの逆転を試みたこと 芸術と真理の関係に向けられたプラトンの省察の範囲と連関 芸術は感性…
ヘーゲルが『精神現象学』を一八〇七年にはじめて公表した際の表題「意識の経験の学」の「経験」にこだわって講義論述された論文。学問の世界で一般的に流通している「現象学」ではなくて「経験の学」こそ大事だという主張がある。 自己の知が対象に即応しな…
美についてのカントの教え ショーペンハウアーとニーチェによるこの教えの誤解 形式創造力としての陶酔 偉大な様式 芸術についての五つの命題の根拠づけ 《真理》とは、真実に存在するもの、もっと精確にいえば、真実に存在するとみなされているもの(それ自…
身体がなければ、感情もない。毀れやすい身体とはよろしくつきあっていきたい。 美学の歴史にみられる六つの根本的事実 美的状態としての陶酔 われわれは身体を《持っている》のではなく、身体的に《存在しているのである》。この存在の本質には、自己感受と…
価値について語ることが広く行われはじめたのは十九世紀になってから、とくにニーチェ以降の現象であるとハイデッガーは指摘する。なるほど、神が生きていた時代には神と神の体系を語っていればよかった。それが失効したときに、新たな価値をみんなが探しは…
超感性的世界、イデアの世界は仮象であるというニーチェのニヒリズム解釈を朝湯で迎え撃つ。 風呂入って本を読んでいる私の姿は見せられたものではないけれど、真理より芸術がいいというニーチェの議論は万人に見てもらいたいものである。 一 芸術としての力…
本日テレビは火山祭。地球の活動に人間の活動を比較してみると、人間というものはいじらしい。 ヘルダーリンの『エンペドクレス』は最後エトナの火山に身を投じたが、なにもいわずに受け入れたエトナの火山こそ、存在するものとしての偉大さを持っている。そ…
文庫版か新書版じゃないときついけど、読めそうもないと思っている積読本は風呂場に持ち込むと意外に読みすすめることができる。最大の理由は、風呂場にはその本しかないから。 ということで、今回ハイデッガーの『ニーチェ』全二冊を風呂場で読みすすめるこ…
木田元いわく「私は、哲学書を読むのに何から読めばよいかと人に尋ねられると、まずこの細田訳の『ニーチェ』を勧めることにしている」。目利きの誘いに乗ってみるというのもおもしろそうです。 マルティン・ハイデッガー『ニーチェ Ⅰ 美と永劫回帰』(原書 …
フライブルク大学教授就任にあたっての公開就任講演。内容が「無」と「不安」という概念をめぐるものであったため、講演後にニヒリズムの思想ではないかなどといった非難や誤解が多く発生、そのため、後に「後語」と「緒論」を追加することになった。その間…