人文書
度重なる亡命と異国の地での生活のなかで希望と現在を語りつづけた異能の思索者、エルンスト・ブロッホ(1885 - 1977)。ナチス活動期ドイツでのユダヤ人という、これ以上ない苦難苦境の中にありながら、軽さを決して失うことのない文章の数々は、書かれた内…
エルンスト・ブロッホは異化の思想家であるとともに希望の思想家でもあった。それぞれの思想を語る際に共通しているのは、世界が変容する現在の現われに対して明晰な視線を投げかけているところ。 希望は、自由の王国と呼ばれる目的内容に従いつつ、投げやり…
通読完了直後の印象をまず書き留めておくと、崇高と美とフモール(「ユーモア、有情滑稽」)の基本的カテゴリーから語られる大西克禮の美学体系は守備範囲が広く今なお有効である。特にフモール論はデュシャン以降の現代美術やコンセプチュアルアートなどに…
雑誌の巻頭言や新聞のコラムを多く集めた全集第4巻は、岩波文庫の『中井正一評論集』を編集した詩人の長田弘の作品といわれても疑わずに受け入れてしまえるような詩的な文章が多く収められている。 真実は誤りの中にのみ輝きずるもので、頭の中に夢のごとく…
心身問題をめぐる哲学者と神経生物学者の連続対談。『ニューロン人間』の著者ジャン・ピエ-ル・シャンジューが脳科学の知見をベースに意識現象とニューロンの関連を語るのに対して、フッサール『イデーン』のフランス語訳者で『生きた隠喩』『時間と物語』…
原書が出たのが1998年、OSといえばWindows95,98でアナログ回線のダイヤルアップ接続が標準だった頃。訳書が出たのが2010年、OSといえばWindows XP、Vistaで光回線、無線LANが広がっていった時代、まだWifi使えるのが普通ではなかった時代。現在2021年、Wifi…
中井正一の論文によく引用されているのはカント、フィヒテ、ハイデガー、カッシーラー、コーエン、ルカーチといったところだが、実際の論理の組み立てに一番影響を与えているのはヘーゲルの弁証法だろう。否定を媒介としてより高い境位にいたるという運動が…
ガタリの『機械状無意識』(原書1979, 訳書1990)はプルーストの『失われた時を求めて』を論ずるために書かれたもので、本来第二部が主役である。「機械状無意識の冗長性物の二つの基本的範疇」としてあげられる顔面性特徴とリトルネロ(テンポ取り作用、あ…
主著『シンボル形式の哲学』以後に展開した量子論のある世界での認識論。まだまだ古典力学の巨視的世界像のなかに住まい、量子論的世界に慣れない思考の枠組みをもみほぐしてくれる哲学書。 関数論的な捉え方を重要視するならば、問題はまったく異なった仕方…
わめき叫んでいた音声から量子論が語られるようになるまで、数の概念がなかったところから虚の世界、複素数が描き出す世界まで、人間のシンボル形成能力を芯に描ききった20世紀の遺産。世界の見方を教え、変えてくれるという哲学の醍醐味が味わえる著作。 …
ドゥルーズを論じて千葉雅也は「動きすぎてはいけない」といった。カッシーラーの肝はおそらく「分けすぎてはいけない」というところにある。 現象学は現象学であるかぎり必然的に意味と志向性の領野にとどまるわけであろうが、その現象学が、意味に無縁なも…
ガタリがつくりだす概念の数々は各章の見出しを見渡してみるだけでも変わっていて、不思議な世界像を見せてくれる。私として存在しているもののなかに「ブラックホール」があるなんて思いもよらなかった。しかし、なにものかをを取り込んだまま観測不能の状…
頭がいいのはいいなと単純に思わせてくれるすがすがしいまでに明晰な哲学書。日本ではカッシーラーは入門書とかもあまりなくて、人気が出ていないのが残念だ。 人間は、おのれがつくりだす器具や人工物に即してはじめて、おのれの身体の性質や構造を理解する…
風呂場の外ではカッシーラーの『シンボル形式の哲学』と中井正一全集を読んでいる2020年の年末、おおつもごりへむかう日々。 できることならカッシーラーの既刊文庫本(岩波文庫の『人間』、講談社学術文庫の『国家の神話』)で風呂場で読書も整えたいと…
ハイデッガーは田舎者の知的な土着念力、カッシーラーやジンメルはコスモポリタンの知的揚力といった印象を受ける。20世紀は良くも悪くも田舎者のほうが力があった。容易な着地点など認めない天使的なものの知性はパワーバランスでは負けていた。21世紀…
2020年現在、中井正一に触れるには一番スタンダードな一冊。詩人の長田弘が編纂しているところに個人的には興味があった。「どんな関係性?」という興味。先に解説を読んでも長田弘は自分のことは語っていないので疑問は残ったまま。あきらめてはじめから順…
この年末年始は基本的にどこにもいかないつもり。これから冷蔵庫をぱんぱんにしておこもりの予定。※28日は一応勤務予定。正月休みはカレンダー通りで3日までの短めの年末年始。依頼者あっての受注者なので、やりたいことがある人の要求に合わせて仕事をさせ…
修行というのは固着しないほうがよいものを固着させないように揉みほぐすようにする日々の運動、「全体世界」としての仏の場を開示しつづける終りない営みであるということを説いているのが本書の肝ではないかと思う。 道元は「悉有仏性」を「悉有は仏性であ…
カンギレムはフーコーの先生で、バシュラールやアランの生徒、同級生にはサルトルがいた。科学哲学、医学、生物学の深い学識から人間的生命について論じた業績はフランスの知識層に大きな影響を与えている。本書の後に私が手に取った『心と脳』(ポ-ル・リ…
松岡正剛の既刊書籍と「千夜千冊」サイトからの日本しばり引用リミックス。一般的な日本史、日本論では出会わないことばにつぎつぎ出会える一冊。出し惜しみなし。いいとこ、つまみ食い。 阿弥号は、もともと時宗の徒すなわち時衆であることを示す名号(みょ…
The Book of MA 『平行植物』の日本語版刊行を機縁に、発行元の工作舎の編集長である若き松岡正剛(当時36歳)とレオ・レオーニ(当時70歳)の間で執り行われた鮮烈な対談の記録。松岡正剛がレオ・レオーニから貴重な言葉を引き出そうと全力でもてなし、…
フレーゲとラッセルの論理学研究からはじまり、クワイン、ウィトゲンシュタインなどの業績を経て、最近議論されることの多い心身問題、心脳問題、クオリアに関わる論点まで、入門書と言いながら、各講義で各トピックの概略図を示したあとに、読者に向けて自…
『普遍論争』でもそうであったが、山内志朗の哲学の解説書は私的な表出が多くて、学問的に正統かどうかというところで考えると、すこし心配になったりもする。一般的なイメージとは少し違った対象が出てくるので、自分自身でもっと確認してみなくてはならな…
分厚い本に向き合うにはどうしても決意とかが必要になってくる。買ってしまったら余計にそうだ。全部読まないといけないし全部理解しないといけないという圧を自分にかけてしまっている。そうなると息苦しさや求められてもいない自己採点のループに陥ってつ…
2013年の『モチーフで読む美術史』につづく文庫版オリジナル著作第二弾。あらたに50のモチーフから美術作品を読み解いていく、小さいながらも情報量の多い作品。 著者である宮下規久朗は、前作『モチーフで読む美術史』の校了日に一人娘を22歳の若さ…
ジンメル32歳の時の処女作にして出世作。ちなみに博士論文は23歳の時の「カントの自然的単子論にもとづく物質の本質」。ヨーロッパ的秀才。 本作は近代社会における社会的な各種地位の分化と分業の進展について所属先とメンバーたる個人の関係を見ながら…
『基礎情報学 生命から社会へ』(2004)『続 基礎情報学 「生命的組織」のために』(2008)と展開してきた基礎情報学のエッセンスを提唱者本人が可能なかぎりわかりやすくコンパクトにまとめあげた一冊。図版の多用や本文中の具体例あるいは関連コラムで親しみや…
NHKの白熱教室に出てきそうな大学講師の講義録。マイケル・サンデルの講義録と言われてもそれほど違和感はない。今世紀初頭に流行した一般的なスタイルであるのだろうか。寛容・非寛容の判断にいたる前段階で、厳密な吟味を経ない共存・併存が可能であるよう…
18:30、『社会学』下巻読了後、食料品買い出し、夕食、晩酌。『文化論』読みながら21:00くらいに寝落ち。4:30くらいに目が覚める。予定の90%くらいの進捗だが、なんとなく満足しているような幸福感とともに目覚める。めずらしい。自己満足…
論文とエッセイ、科学と芸術、学問と商業文芸。社会学者としてのゲオルク・ジンメルの本業は私が提示したカップリングの前者、著述家としての本質は後者にあるのかなと考える。位置づけがしづらい人物である分、学問的評価が若干厳しめに推移しているような…