読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

哲学

佐藤優『哲学入門 淡野安太郎『哲学思想史』をテキストとして』(角川書店 2022)

神学者である佐藤優の哲学に向ける視線はいたってドライだ。一般教養を求めて本書を手に取ると、世俗の厳しさを神学的立場から知らないうちに考えさせられることになる。 本書籍が一般購買層に対して優しくない書物となっているのは、本書が神学を専門としよ…

淡野安太郎『哲学思想史 -問題の展開を中心として-』(角川ソフィア文庫 2022, 原著 1949, 1962)

後進の教育にもっとも力を入れている人物のひとりである作家佐藤優が再刊までこぎつけた哲学史概説書。 古代哲学から近代哲学に移行するあいだの中世(キリスト教)哲学を教科書的哲学通史のなかでまがりなりにも取り上げ位置づけたこと、現代日本の高等教育…

サルトル×レヴィ『いまこそ、希望を』(原著 1980, 1991 訳:海老坂武 光文社古典新訳文庫 2019)

希望が見いだせたらいいなぁと思って手に取った著作。 サルトル最晩年の言葉。 対談相手のベニ・レヴィは毛派のプロレタリア左派指導者で、1973年に68歳で盲目となったサルトルの秘書として1974年から思考の相手をつとめた人物。 本対談はレヴィ主…

石田英敬+東浩紀『新記号論 脳とメディアが出会うとき』(ゲンロン 2019)

世界規模のネットワークに常時接続されている世界を生きる現在の人間の在りようを現代記号論の立場から分析しより良き未来に繋げることを意図してなされた総計13時間を超える講義対談録。 基本的に東大教養学部時代の師弟コンビの再編となる高級コミュニケ…

西垣通編『AI・ロボットと共存の倫理』(岩波書店 2022)

AI(人工知能)とロボットとの付き合い方について、現代の日本の状況や世界的状況をを踏まえて、多分野の研究者6人が集うことで成立した新時代の倫理観をめぐる論文集。 全体的な印象として倫理は経済効率とは相性がよくないということがすべての人の発言…

渡邊二郎『芸術の哲学』(ちくま学芸文庫 1998, 放送大学 1993)

ハイデガー研究者による芸術哲学概論。芸術作品の成立根拠を心のはたらきに帰する近代の主観主義的美学を批判し、ハイデガーが強調した生や歴史における真理の生起に焦点を当てる存在論的美学の流れを称揚するテクスト。作品は真実を露呈させるための発見的…

マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』(原著 1960, 訳:関口浩 平凡社ライブラリー 2008)

存在するものの真理を生起するものとしての芸術作品、世界と大地との間の闘争としての芸術作品。ハイデガーの用いる「真理」という概念については訳者後記でも強調されているように「空け開け」「アレーテイア」「不伏蔵性の領域」という意味でもちいられて…

ジョルジョ・アガンベン『思考の潜勢力 論文と講演』(原著 2005, 訳:高桑和巳 月曜社 2009)

アガンベンの単著に入っていない論文の集成の書の翻訳。全21篇。 総ページ数500超で、造本も背表紙の厚さを見るといかついが、アガンベン思想の全体的枠組みを体感するのにはもってこいの著作。いずれかの単著を読み終えたのち、広範な領域にわたるアガ…

ジョルジョ・アガンベン『いと高き貧しさ 修道院規則と生の形式』(原著 2011, 訳:上村忠男+太田綾子 みすず書房 2014)

「ホモ・サケル」シリーズの一冊。大量消費社会を超え、生政治にも取り込まれることのない「到来する共同体」に向けてのケーススタディ的著作。イエスのように生きようとしたアッシジのフランチェスコとその後継者としてのフランシスコ会の修道士たちを中心…

ジョルジョ・アガンベン『残りの時 パウロ講義』(原著 2000, 訳:上村忠男 岩波書店 2005)

ベンヤミンやショーレムを参照しながらパウロの書簡におけるメシア的なもの・メシア的な時間について考察した短期集中講義録。メシア的な時間とは「過去(完了したもの)が現勢化していまだ完了していないものとなり、現在(いまだ完了していないもの)が一…

ジョルジョ・アガンベン『幼児期と歴史 経験の破壊と歴史の起源』(原著 2001, 訳:上村忠男 岩波書店 2007)

動物から人間を隔てているものは言語活動ではなく言語活動をもたない状態(インファンティア:タイトルでは幼児期と訳されている)をも持っているところにあるとし、言語活動の主体を構成しつつ行う人間の言語活動の諸相を言語学・哲学・人類学・神学など様…

立木康介『ラカン 主体の精神分析論』(講談社選書メチエ シリーズ極限の思想 2023)

ラカンが最も多く参照する哲学者であるアリストテレスにおける「原因」と「偶然」の概念から、ラカンの精神分析がいかなる部分を継承し、さらに超えていったかを、主体の構造という観点から説いた一冊。著者のフランス語の学位論文をベースに翻訳再編集した…

ジャック=アラン・ミレール編 ジャック・ラカン『不安』(セミネール第十 1962-1963 原著 2004, 岩波書店 2017 上下全二巻)

およそ二年ぶりくらいの再読。ほとんど忘れているが前回と比べて違うところに気がひかれているという感触もあり頭から通読した。借り物だと意図せず再読することもあるので、そこは流れに任せている。 不安は裏切らない、騙さない。他なるものの脅威としてあ…

ジョルジョ・アガンベン『言葉と死 否定性の場所に関するゼミナール』(原著 1982, 訳:上村忠男 筑摩書房 2009)

言語の核心にある否定性、空隙、空無、未決定、無底について、ハイデガー『存在と時間』の「ダーザイン」の「ダー(そこ)」と、ヘーゲル『精神現象学』の「このもの」から、代名詞の指示作用、「意味内容をもたない空虚な記号」としての性格から考察してい…

ジョルジョ・アガンベン『例外状態』(原著 2003, 訳:上村忠男+中村勝己 未来社 2007)

第二次世界大戦期の独裁国家誕生以降、政治的には世界的に例外状態あるいは緊急事態がつづいていることを指摘して、行政の執行権力の拡大による法の力に関わる危うさの増大を考察した濃密な一冊。法学に疎いものにはなかなか敷居が高いが、現在においても継…

ジョルジョ・アガンベン『瀆神』(原著 2005, 訳:上村忠男+堤康徳 月曜社 2005)

有用性の軛からの解放の諸相について書かれた短めのエッセイ集成。名前のないものとなって必要に追いたてられることなく遊び戯れるという至福。資本主義というよこしまな魔法使いから逃れて自らが魔術師となって行為することの可能性に気づかせようとアガン…

ジョルジョ・アガンベン『ニンファ その他のイメージ論』(編訳:高桑和巳 慶応義塾大学出版会 2015)

日本独自編集のアガンベンの芸術論集。絵画が中心で、映画と演劇とダンスが少々配合されている。全20篇。こういった著作では著者の論考そのものも楽しみであるのはもちろんだが、自分の知らない作家に出会えることの喜びもある。本書では日本ではあまりな…

ジョルジョ・アガンベン『カルマン 行為と罪過と身振りについて』(原著 2017, 訳:上村忠男 みすず書房 2022)

哲学とキリスト教神学に加えインドのタントラ仏教の教えから人間における自由について考察した論考。働かないこと、遊ぶこと、踊ることによって現世にニルヴァーナ(涅槃)が出来することを説いている。西洋においても東洋においても秘儀に属するようなこと…

ジョルジョ・アガンベン『バートルビー 偶然性について [附:ハーマン・メルヴィル『バートルビー』]』(原著 1993, 訳:高桑和巳 月曜社 2005)

ブランショ、デリダ、ドゥルーズなどによって論じられるメルヴィルの特異な短編小説「バートルビー」(1853)の新訳とアガンベンのバートルビー論を組み合わせて刊行された一冊。本篇と序文という形で刊行される形式は海外では多くあるようだが、メルヴィルの…

ジョルジョ・アガンベン『中身のない人間』(原著 1970, 訳:岡田温司+岡部宗吉+多賀健太郎 人文書院 2002)

アガンベン28歳の時の処女作、芸術論。ベンヤミンに多大な影響を受け、驚くべき博識を支えに、潜勢力を重視する独自の思考を組み上げていくアガンベンのはじまりの著作。 芸術家と鑑賞者にともに存在する批評的意識、芸術と芸術に関わる自分自身を解体しつ…

ジョルダーノ・ブルーノ『原因、原理、一者について』(原著 1584, 土門多実子訳 近代文藝社 1995)

遍在する一者。外部のない一者。究極の境界を持たない一者ではあるが、その内に差異を持ちながら対立する複数の個体が存在するという世界観を説くブルーノの著作。岩波文庫にも訳出され、主著と言われている『無限、宇宙および諸世界について』(1584)からも…

アレックス・マリー『ジョルジョ・アガンベン』(原著 2010, 高桑和巳訳 青土社 シリーズ現代思想ガイドブック 2014)

現代イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンの入門書で、イギリスで「ラウトリッジ・クリティカル・シンカーズ」(ラウトリッジ批評的思想家)シリーズとして刊行されているものの日本語訳、というところが少し変わっている。アガンベンと言えば普通はホモ…

ジャン=ポール・サルトル『イマジネール』(原著 1940, 講談社学術文庫 訳:澤田直+水野浩二 2020)

意識は自由であり、その自由は知覚の現実世界を無化したところにある想像力の非現実世界において実現する。こうまとめてしまうと反動的な思考のようにもとらえられてしまいそうだが、そうではない。カントの『判断力批判』とは異なる視点からの美学、芸術論…

ジャン=ポール・サルトル『サルトル全集23 哲学論文集』(人文書院 1957)

サルトル最初期の論考3篇を収めた一冊。 「想像力 ―デカルトからフッサールまで―」(初出 1936, 訳:平井啓之) 知覚と想像力、現実と非現実、受動的綜合と能動的綜合。知覚を成立させる素材と志向と想像力によって像(イマージュ)を成立させる素材と志向と…

ジョルジョ・アガンベン『イタリア的カテゴリー ―詩学序説―』(原著 1996, 増補版 2010, みすず書房 2010)

実現はしなかったがイタロ・カルヴィーノとクラウディオ・ルガフィオーリとともにイタリア文化のカテゴリー的な諸構造を探求するための雑誌刊行を企画していたことがベースとなって考えられ書きつづけられたエッセイの集成。 そっか、カルヴィーノとアガンベ…

足立和浩『知への散策 <現代思想入門>』(夏目書房 1993)

先日ジル・ドゥルーズの『ニーチェと哲学』(原著 1962, 国文社 1974)をちょっとした永遠回帰の実践のつもりで足立和浩訳で久方ぶりに読んでみた。現在流通している訳書は河出文庫の江川隆男訳(2008)だが、珍しく学生時代に購入した書籍が残っていて、そ…

キルケゴール『イロニーの概念』(原著 1841, 飯島宗享・福島保夫・鈴木正明訳 白水社 キルケゴール著作集20,21 1967, 1995)

キルケゴール28歳の時の学位取得論文。ソクラテスのイロニーとドイツ・ロマン派のイロニーを二部構成で論じている。分量的には9対2くらいの割合で圧倒的にソクラテスに関する論考が多く、評価もソクラテスのほうが高い。全体としてみると、ソクラテスの…

藪内清訳注『墨子』(平凡社 東洋文庫599 1996)

ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)が墨子の偽書という形で『転換の書 メ・ティ』(遺稿原著 1965, 績文堂 2004 訳:石黒英男+内藤猛)を書いたと知ったことと、柄谷行人の最新著作『力と交換様式』(岩波書店 2022)の第Ⅰ部第4章「交換様式Dと力」8「中…

イマヌエル・カント『たんなる理性の限界内の宗教』(原著 1793, 岩波書店カント全集10 2000)

理性は限界を超えて働こうとする傾向があるため、逆に理性の限界内にその働きをおさめることこそ難しい。『たんなる理性の限界内の宗教』では内なる道徳法則にかんがみて、真の宗教は理性的な道徳的宗教のみとし、既成の啓示宗教を批判的に考察しつつ、最終…

イマヌエル・カント『人間学』(原著「実用的見地における人間学」1798, 岩波書店カント全集15 2003)

カントが長年にわたってひろく講じてきた「人間学」を晩年にまとめて出版した講義録。三大批判書や『単なる理性の限界内での宗教』 、『永遠平和のために』 などの理論的に突き詰めた論理構成の厳しさのある著作とくらべると、緊張感はすこし緩んでいて、2…