宗教
社会学者の見田宗介(真木悠介)がカスタネダの世界を見る瑞々しい眼差しにインスパイアを受けたと言っていることを知り、かつドゥルーズ=ガタリが「器官なき身体」を語るにあたってカスタネダを肯定的に引用しているという情報も少し入ってきたために、だ…
明治期の清沢満之の文章は今現在でも読めないということはない。特殊用語の注釈が入ってくれていれば特に問題なく読めることは読める。書き手の息遣いのようなものも原文のほうが色濃く感じることもできる。ただ、現代語訳にしてもらえるなら意味内容はとら…
清沢満之は真宗大谷派の僧侶。法然、親鸞、蓮如に連なる他力の信仰者。東京大学でフェノロサからヘーゲルやスペンサーを学んだことで、自身の仏教哲学に西洋哲学を取り込んでいる。有限と無限の考察、遍満する仏を説く汎神論、世界理解に対する数学的アプロ…
旧約聖書の出エジプト記に取材したシェーンベルクの未完のオペラ。台本だけ完成して楽曲のほうは情勢不安のためドイツからアメリカへの亡命したのちに完成することなく終わってしまう。 普段オペラはほとんど聴くことはないのだが美学者の中井正一が『モーゼ…
頭がいいのはいいなと単純に思わせてくれるすがすがしいまでに明晰な哲学書。日本ではカッシーラーは入門書とかもあまりなくて、人気が出ていないのが残念だ。 人間は、おのれがつくりだす器具や人工物に即してはじめて、おのれの身体の性質や構造を理解する…
修行というのは固着しないほうがよいものを固着させないように揉みほぐすようにする日々の運動、「全体世界」としての仏の場を開示しつづける終りない営みであるということを説いているのが本書の肝ではないかと思う。 道元は「悉有仏性」を「悉有は仏性であ…
良寛のはじめての全集が出たのが1918年(大正7年)であるから、まだまとまった資料がない時期に、良寛の史跡を訪ね、ゆかりの地に伝わる逸話を地元の人々から直接聞き取り、良寛の遺墨に出会いながら、人々に愛された良寛の生涯をつづる。明治期から昭和期に…
唐木順三が著書『無常』において高く評価していた一遍が気になり、入門書を手に取る。いずれも「捨てる」ことを説いた鎌倉新仏教の開祖のうち、寺を持たず、捨てようとする心も捨てるにいたったという一遍が、捨てるということにおいてはもっとも徹底してい…
美術の棚にあったけれど、著者自身があとがきで書いているように宗教学の本。出版社のサイトにもジャンルは哲学・宗教学と書いてあったので、美術の歴史や技巧や洋の東西の美術的な差異などについての記述を期待していると裏切られる。宗教画や禅画の図版は…
中世神学の普遍論争についての導入書。実在論者の肩を持とうとする著者が「形而上学的普遍」の実在性を何とか示したいといいながら、あまりうまくいっているようには思えないところが、かえって誠実で好感の持てる一冊。アウグスティヌスやアリストテレスか…
ずいめんのてつがく、随眠とは煩悩のこと。 拙著『ロゴスとレンマ』に於いて展開したように、東洋的無は決してロゴスの立場に立つものではない。それはロゴス的に肯定に対する否定ではなく、肯定を否定するとともに、否定を否定するものであった。それは肯定…
現代的な東洋思想に対する期待に対して、東洋哲学正統からの一般的見解として、大乗仏教の守備範囲を明示してくれるありがたい一冊。入門書とはいえ、学問的境界に対する感度は極めて敏感であると感じた。基本的に著者鎌田茂雄は科学との容易な連合には否定…
華厳経の総ルビ付き抄訳。原典の雰囲気を現代語訳で感じ取れる一冊。しっかり読みたい向きには物足りないかも。 【解説より】 『華厳経』の性起という、あらゆるものが仏性に光り照らされているという考え方は、中国人の古来からの自然観である万物一体観と…
中沢新一、七〇歳のレンマ学言挙げ。あと十年ぐらいは裾野を拡げる活動と頂を磨き上げる活動に注力していただきたい。難しそうな道なので陰ながら応援!!! 横道に逸れたら、それも中沢新一。私とは明瞭に違った人生を生きている稀有な人物。変わった人なの…
神学的な天使の考察ではなく、文化的表象、イメージとしての天使の位置と歴史的変遷をあつかった一冊。 わたしが強調しようとしたのは、天使の表象が、古来より基本的にずっと、キリスト教と異教、正統と異端との境界線を揺るがしてきた、ということである。…
一神教以外の聖なるものについての情報補給。シベリア、北アジア、中央アジアのシャーマンについての最近の研究の成果を、多くの図版とともに提供してくれる一冊。ソビエト社会主義連邦統治下では抑圧されていた宗教活動と研究が解放されたが故の活動の記録…
スクラップアンドビルドではなくストック活用。新規開発よりも修繕メンテナンス。革新というよりは保守。ユートピアに一挙に飛ばずに目の前のゴミを拾いながら歩いて進む。指摘されなければ知らないルターと日蓮の共通性を学ぶ。 時空を経て、お互いにはコミ…
中世神学の典籍においても悪魔というものがはっきりと出て来るケースは珍しいものではないかと思いながら読んだ。 人間は悪魔に属するものではなく、人間も悪魔も神のものでした。しかも、悪魔は、正義の熱意からではなく、不義の熱意に燃えて、それも神の命…
対語録、全二六章。「主なる神よ」「あなたは」という呼びかけによって展開される信仰の言葉。頓呼法で喚起される神はどうしても擬人化され、呼びかけ側と同一の地平に立っていると感覚されるので、ロジックだけ追いかけたいという読書の気分を妨げる。 第二…
聖書を括弧に入れて神について語ったことで画期的な中世の神学書、全八〇章。スピノザの『エチカ』の先行的位置にある作品。ただしこちらで論ぜられているのはキリスト教の神、「三位で一なる神」というところと、散文による自分自身との対話(瞑想、黙想)…
指示対象(表象の対象)として創造主や神といったものを想定してしまうと、途端に胡散臭いものになってくるが、論ずるためには言語で表現していくほかはない。 【存在】 神の創造、三位一体の子、被造物について トマスは「禅の本質側面は自己をおしひろげ、…
ソクラテスには神託がある。間違ったことを選択しようとすれば神託が止めに入るということを経験しているので、神託が止めない限り自分は正しい行いをしているという確信を持っている。人と共有できない垂直的な信仰のようなものだ。する行為は正しく、誰よ…
キリスト教正統からの批判対象としてグノーシスが出てくるときに、すぐにイメージが湧いてこない状態にあったので、情報注入のためにグノーシス紹介書籍を一冊通覧。光と闇との二元論。精神あるいは魂が光で善、肉体および物質が闇で悪ととらえる世界観。 否…
お知り合い、内輪モードのぬるさはありつつ、現代日本のカトリック言説の最上層の御意見をいただく。 言葉の本来的な意味を考察しながらの教えは傾聴に値する。 【罪】 ギリシア語で罪はアハマルティアというのですが、これは元々は「的外れ」、という意味な…
読み通したあとに「訳者あとがき」でもともと点字出版のために書かれたテクストだったということをはじめて知り、哲学史にしては変な配分だなと思いつつ読んだ文章の意味合いを、あらためて想像してみようと思った。 原書のタイトルは『盲人のための哲学概論…
題名に神学の文字がはいる二つのテクストはともに言葉をめぐる思索の成果である。「現象学と神学」は学問の言葉について、「「現代の神学における非客観化的思考と言表の問題」に関する神学的討論のための主要な観点に与える若干の指摘」は詩の言葉について…
多くは形式に則った公文書。『神の慰めの書』にくらべればより学問的な内容となっている。『パリ討論集』を頂点に神と存在についての説教・講解を多く集めている。 【収録テキスト】・主の祈り講解・命題集解題講義・一二九四年の復活祭にパリで行われた説教…
今後の人生のよりどころになり得る一冊。エックハルトの神への愛に発する言葉に触れて、信仰のない私のこころも大きく動いた。はじめて聴くような言葉の数々に、世界に接する態度の別の可能性といったものを教えてもらったような気がしている。 エックハルト…
霊界の話。ひとくちに神秘思想といってもいろいろだ。プロティノスの哲学、エックハルトの宗教、そしてシュタイナーの神秘学。一般的に用いられる時の語のニュアンスとはすこし異なるが、シュタイナーが自身の霊学という神秘学の説明をする時にオカルトとい…
130ページまで読んだところで『神の慰めの書』を落として無くしてしまった。高橋和夫の『スウェーデンボルグの思想 科学から神秘世界へ』も無くしているし、、、自業自得。自分の本だったのがまだ救いだ。まだどこかで売っているだろうか。いいところだった…