海外の小説
『百頭女』『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』に次ぐコラージュ・ロマン三部作の最終巻。小説と銘打ちながら、章ごとの冒頭にエピグラフとして引かれる他者の文章以外には、エルンストがつけた章題のほかに文章が全くない徹底的で斬新な一冊。2…
ロラン・バルトとともに読むバルザックの中編小説『サラジーヌ』。ジョルジュ・バタイユが傑作『青空』において宙づりにされたような気持ちにさせられる小説として『嵐ヶ丘』『審判』『失われた時を求めて』『赤と黒』『白痴』などと並べて挙げていた『サラ…
ローベルト・ムージル、フランツ・カフカ、ヴァルター・ベンヤミン、ヘルマン・ヘッセ、またブランショやスーザン・ソンタグなど錚々たる面々から高く評価されているローベルト・ヴァルザー(1878-1956)は、スイス生まれのドイツ語の詩人であり散文作家。本書…
中南米のインディオとの接触で、ともに衝撃的な言語体験を経て創作活動を行っっていったアンリ・ミショーとル・クレジオ。本書は先行する詩人アンリ・ミショーの二作品に、詩人から大きな影響を受けて作家っとなったル・クレジオが、ミショーの言語実践を変…
ロアルド・ダールの物語作品の中にちりばめられた詩や歌を拾い集めた全47篇の韻文アンソロジー。ルビつきで、総勢26人というたくさんの、それぞれ個性的なイラストレーターの挿し絵がついていて、贅沢な絵本作品集を読んでいるような感じにさせてくれる…
ビュトールの『ポール・デルヴォーの絵の中の物語』は,『夢の物質』の第二巻『地下二階』に収められた「ヴィーナスの夢」の章を抽出して訳出されたもの。全5巻の長大な作品の中でデルヴォーの絵に触発されて綴られた作品の一部が全体のなかでどのような位…
フランス・ルネサンス期のユマニスムを代表する著作、16世紀前半のラブレーの作品『ガルガンチュワ物語』に、19世紀後半の複製芸術が勃興しはじめた時期、ギュスターヴ・ドレは二回にわたって木口木版画の技法で挿絵を描いていた。一度目は1854年、…
ドレの挿画178点とともに読む『ドン・キホーテ 正編』の縮約翻訳本。岩波文庫版だと正編=前篇部分が三冊で1200ページ、本作はドレの挿画を含めて446ページなので約3分の1の分量。原作を読むのに躊躇している人にとっても52の話が欠けることなく…
プルーストと絵画が専門の著者吉川一義は岩波文庫版『失われた時を求めて』の翻訳者でもある。2022年プルースト没後百年に出版された本書は、作品中陰に陽に言及される絵画作品に焦点を当て、長大な作品のさまざまな登場人物と作品があつかうさまざまな…
実現するにはいたらなかったがリルケがロダンに次いで作家論を書こうとしていたのが本書で紹介されているデンマーク・コペンハーゲンが生んだ特異な象徴主義の画家ヴィルヘルム・ハマスホイ。「北欧のフェルメール」とも言われるハマスホイであるが、フェル…
小説としては前期三部作『モロイ』(1951)『マロウンは死ぬ』(1951)『名づけえぬもの』(1961)に次ぐストーリー解体後の後期モノローグ作品の端緒となる最後の長篇といえる作品。もっとも読まれ、もっとも知られてもいるだろう戯曲『ゴドーを待ちながら』(1952…
ベンヤミンの『メディア・芸術論集』を読み返していたところ、シェ―アバルトを褒めている「経験と貧困」というエッセイに目が止まったので、手に取って読んでみた小説。出版社未知谷の編集者による煽り文句は、惰眠をむさぼる「善良な市民へ疾駆するプレ・ダ…
ジョージ・オーウェルの『一九八四年』(1949)と並ぶディストピア小説の名作。古典として残り、読まれ続けられている作品だけあって、とてもよく出来ているなという印象が強い。オーウェルの『一九八四年』がカフカ的悪夢を感じる悲劇的な重厚さに満ちている…
アメリカのポストモダンを代表するバーセルミの第三長篇。主人公の年齢と近いこともあってか世間や出来事や自分の考えに対しての距離感に親近感を覚えた。 本書『パラダイス』は、53歳の建築家サイモンが、妻と大学生の娘が出ていったあとの部屋で、仕事に…
未完ながら初期ドイツロマン派の良心が結晶したような詩的な小説作品。夢みる詩人が旅をする中で出会った人たちに関係しながら精神的に成長し世界の奥行きを覗き見るようになっていくとともに、運命の女性との出会い成就するまでが完成された第一部「期待」…
ノヴァーリスの『花粉』からデリダの『散種』へという仲正昌樹の『モデルネの葛藤』のなかにでてきた案内を読んで、実際にノヴァーリスの『花粉』が収録されている本書を手に取ってみた。 シュレーゲルの反省と否定による無限超出に比べて、ノヴァーリスには…
自身も小説や戯曲を書くフランス現代思想の重鎮アラン・バディウのベケットへのオマージュ。豊富でこれぞというめざましいベケットの作品からの引用は、バディウの愛あふれる案内によって、輝きと光沢をます。ベケットの灰黒の暗鬱とした絶望的に危機的な状…
日本ではなんでも翻訳されているということはよく言われていることではあるのだが、そんなことはない、ということを知らせてくれる貴重な書物。ヌーヴェル・クリティックの代表的な作品であるジョルジュ・プーレ『人間的時間の研究』(全4巻、1949‐1968)も、…
心地よくはないが、何かただごとではない佇まいで読めと迫る小説の姿をまとったことばの塊。 人文科学の先端領域での研究サンプルとしての、一フィクションとしての対話。精神分析や言語学を吟味するための限界領域での対話セッションのひとつの例のような印…
変則的な訳者訳書構成ではあるがジョイスの『ユリシーズ』の通読完了。ひさびさに「全体小説」©ジャン=ポール・サルトルということばが思い浮かんできた。「全体小説」は、サルトルがジョイスの『ユリシーズ』などの先行作品を想定して作り上げた概念(自作…
本読みは本を読みながらその途中で人生を終える。作家は本を読み本を書きながらその途中で人生を終える。翻訳家は本を読み翻訳をしながらその途中で人生を終える。区切りのよいところで人生を終えるということは自然の摂理にしたがってる限りそうそうあるも…
昨年の夏の4連休(2020.07.23~2020.07.26)では、柳瀬尚紀訳でジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を読んだ。今年は基本的に柳瀬尚紀訳でジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を読んでみたい。「基本的に」というのは、訳者柳瀬尚紀が12…
社会学者の見田宗介(真木悠介)がカスタネダの世界を見る瑞々しい眼差しにインスパイアを受けたと言っていることを知り、かつドゥルーズ=ガタリが「器官なき身体」を語るにあたってカスタネダを肯定的に引用しているという情報も少し入ってきたために、だ…
ガタリの『機械状無意識』(原書1979, 訳書1990)はプルーストの『失われた時を求めて』を論ずるために書かれたもので、本来第二部が主役である。「機械状無意識の冗長性物の二つの基本的範疇」としてあげられる顔面性特徴とリトルネロ(テンポ取り作用、あ…
ウィリアム・モリスは世界を美しくしようとした。美しさへの才能が開花したのは著述の世界と、刺繍や染色、カーペット、カーテン、壁紙、タペストリーなどのテキスタイル芸術。 目指すのは争いも苦痛も失敗も失望も挫折もない、人々の趣味道楽だけでうまく回…
マックス・エルンストのコラージュ・ロマン第一弾『百頭女』。複数の重力場、複数の光源、複数のドレスコード、複数の遠近法、複数の世界が圧縮混在する147葉のコラージュ作品とシュルレアリスム的キャプションから成る出口なしの幻想譚。二作目の『カル…
「たいていの本はうしろから読むのがよい」というのは、カフカを語った時のピアニスト高橋悠治のことば。関心はあるのに、あまり身にはいってこない作品に出会ったときに、たまに私が実践してみる本の読み方。マックス・エルンストのコラージュ・ロマン『カ…
先日、マックス・エルンストのコラージュ・ロマン三部作の第二作『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』を読んだものの、コラージュ・ロマンというものに対する理解があまりなかったものだから、本業の絵画作品に触れてみることにした。コラージュ・…
一八九四年ごろから構想されはじめた小説『ムッシュー・テストと劇場で』からはじまるヴァレリー唯一の連作短編集。死の直前までテキストに手を入れていたり、ムッシュー・テストにまつわる自筆の版画やデッサンを描いていたりと、作者にとってそうとう愛着…
フロベールの『三つの物語』を講談社世界文学全集の蓮實重彦訳で読む。「純な心」「聖ジュリアン伝」「ヘロデア」の三篇。ともに死を扱うフロベールの表現力・描写力の生々しさに驚く。以下引用箇所は、本編を読む楽しみを削ってしまわないよう一番の核心部…