海外の小説
ブランショ、デリダ、ドゥルーズなどによって論じられるメルヴィルの特異な短編小説「バートルビー」(1853)の新訳とアガンベンのバートルビー論を組み合わせて刊行された一冊。本篇と序文という形で刊行される形式は海外では多くあるようだが、メルヴィルの…
言語遊戯が苦もなく自然にできるような人が作った作品。99種類用意された文体の見本市のようで、描かれた内容のズレがもたらす現実世界からの浮遊感もついてくる。1ページから2ページ程度の短い文章とはいえ、内容的にはほとんど代わりのないものを99回も…
ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)が墨子(メ・ティ)に自身を仮託して織り上げていった断章形式の未完の書物。墨子の名を冠してはいるが本家墨子とは似ていない。1934年から1951年にかけて継続的に書かれたものが多く、最晩年までの断章を含む本書の内容は、…
ポーランドのユダヤ系作家・画家・ホロコースト犠牲者。 ヴィトルド・ゴンブローヴィチ、スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェヴィチとともに「戦期間ポーランド・アヴァンギャルドの三銃士」とも呼ばれた奇想の作家。 カフカ的な世界と比較されることも多…
ルイス・キャロル晩年の長編小説。妖精世界と現実世界の往還記で、語り手が眠気に似た妖氛に包まれると妖精の世界に入り、妖氛が消えると現実世界に戻るという仕組み。現実世界のほうでは語り手の友人アーサーの恋愛譚が軸となって展開しているのでストーリ…
『百頭女』『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』に次ぐコラージュ・ロマン三部作の最終巻。小説と銘打ちながら、章ごとの冒頭にエピグラフとして引かれる他者の文章以外には、エルンストがつけた章題のほかに文章が全くない徹底的で斬新な一冊。2…
ロラン・バルトとともに読むバルザックの中編小説『サラジーヌ』。ジョルジュ・バタイユが傑作『青空』において宙づりにされたような気持ちにさせられる小説として『嵐ヶ丘』『審判』『失われた時を求めて』『赤と黒』『白痴』などと並べて挙げていた『サラ…
ローベルト・ムージル、フランツ・カフカ、ヴァルター・ベンヤミン、ヘルマン・ヘッセ、またブランショやスーザン・ソンタグなど錚々たる面々から高く評価されているローベルト・ヴァルザー(1878-1956)は、スイス生まれのドイツ語の詩人であり散文作家。本書…
中南米のインディオとの接触で、ともに衝撃的な言語体験を経て創作活動を行っっていったアンリ・ミショーとル・クレジオ。本書は先行する詩人アンリ・ミショーの二作品に、詩人から大きな影響を受けて作家っとなったル・クレジオが、ミショーの言語実践を変…
ロアルド・ダールの物語作品の中にちりばめられた詩や歌を拾い集めた全47篇の韻文アンソロジー。ルビつきで、総勢26人というたくさんの、それぞれ個性的なイラストレーターの挿し絵がついていて、贅沢な絵本作品集を読んでいるような感じにさせてくれる…
ビュトールの『ポール・デルヴォーの絵の中の物語』は,『夢の物質』の第二巻『地下二階』に収められた「ヴィーナスの夢」の章を抽出して訳出されたもの。全5巻の長大な作品の中でデルヴォーの絵に触発されて綴られた作品の一部が全体のなかでどのような位…
フランス・ルネサンス期のユマニスムを代表する著作、16世紀前半のラブレーの作品『ガルガンチュワ物語』に、19世紀後半の複製芸術が勃興しはじめた時期、ギュスターヴ・ドレは二回にわたって木口木版画の技法で挿絵を描いていた。一度目は1854年、…
ドレの挿画178点とともに読む『ドン・キホーテ 正編』の縮約翻訳本。岩波文庫版だと正編=前篇部分が三冊で1200ページ、本作はドレの挿画を含めて446ページなので約3分の1の分量。原作を読むのに躊躇している人にとっても52の話が欠けることなく…
プルーストと絵画が専門の著者吉川一義は岩波文庫版『失われた時を求めて』の翻訳者でもある。2022年プルースト没後百年に出版された本書は、作品中陰に陽に言及される絵画作品に焦点を当て、長大な作品のさまざまな登場人物と作品があつかうさまざまな…
実現するにはいたらなかったがリルケがロダンに次いで作家論を書こうとしていたのが本書で紹介されているデンマーク・コペンハーゲンが生んだ特異な象徴主義の画家ヴィルヘルム・ハマスホイ。「北欧のフェルメール」とも言われるハマスホイであるが、フェル…
小説としては前期三部作『モロイ』(1951)『マロウンは死ぬ』(1951)『名づけえぬもの』(1961)に次ぐストーリー解体後の後期モノローグ作品の端緒となる最後の長篇といえる作品。もっとも読まれ、もっとも知られてもいるだろう戯曲『ゴドーを待ちながら』(1952…
ベンヤミンの『メディア・芸術論集』を読み返していたところ、シェ―アバルトを褒めている「経験と貧困」というエッセイに目が止まったので、手に取って読んでみた小説。出版社未知谷の編集者による煽り文句は、惰眠をむさぼる「善良な市民へ疾駆するプレ・ダ…
ジョージ・オーウェルの『一九八四年』(1949)と並ぶディストピア小説の名作。古典として残り、読まれ続けられている作品だけあって、とてもよく出来ているなという印象が強い。オーウェルの『一九八四年』がカフカ的悪夢を感じる悲劇的な重厚さに満ちている…
アメリカのポストモダンを代表するバーセルミの第三長篇。主人公の年齢と近いこともあってか世間や出来事や自分の考えに対しての距離感に親近感を覚えた。 本書『パラダイス』は、53歳の建築家サイモンが、妻と大学生の娘が出ていったあとの部屋で、仕事に…
未完ながら初期ドイツロマン派の良心が結晶したような詩的な小説作品。夢みる詩人が旅をする中で出会った人たちに関係しながら精神的に成長し世界の奥行きを覗き見るようになっていくとともに、運命の女性との出会い成就するまでが完成された第一部「期待」…
ノヴァーリスの『花粉』からデリダの『散種』へという仲正昌樹の『モデルネの葛藤』のなかにでてきた案内を読んで、実際にノヴァーリスの『花粉』が収録されている本書を手に取ってみた。 シュレーゲルの反省と否定による無限超出に比べて、ノヴァーリスには…
自身も小説や戯曲を書くフランス現代思想の重鎮アラン・バディウのベケットへのオマージュ。豊富でこれぞというめざましいベケットの作品からの引用は、バディウの愛あふれる案内によって、輝きと光沢をます。ベケットの灰黒の暗鬱とした絶望的に危機的な状…
日本ではなんでも翻訳されているということはよく言われていることではあるのだが、そんなことはない、ということを知らせてくれる貴重な書物。ヌーヴェル・クリティックの代表的な作品であるジョルジュ・プーレ『人間的時間の研究』(全4巻、1949‐1968)も、…
心地よくはないが、何かただごとではない佇まいで読めと迫る小説の姿をまとったことばの塊。 人文科学の先端領域での研究サンプルとしての、一フィクションとしての対話。精神分析や言語学を吟味するための限界領域での対話セッションのひとつの例のような印…
変則的な訳者訳書構成ではあるがジョイスの『ユリシーズ』の通読完了。ひさびさに「全体小説」©ジャン=ポール・サルトルということばが思い浮かんできた。「全体小説」は、サルトルがジョイスの『ユリシーズ』などの先行作品を想定して作り上げた概念(自作…
本読みは本を読みながらその途中で人生を終える。作家は本を読み本を書きながらその途中で人生を終える。翻訳家は本を読み翻訳をしながらその途中で人生を終える。区切りのよいところで人生を終えるということは自然の摂理にしたがってる限りそうそうあるも…
昨年の夏の4連休(2020.07.23~2020.07.26)では、柳瀬尚紀訳でジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を読んだ。今年は基本的に柳瀬尚紀訳でジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を読んでみたい。「基本的に」というのは、訳者柳瀬尚紀が12…
社会学者の見田宗介(真木悠介)がカスタネダの世界を見る瑞々しい眼差しにインスパイアを受けたと言っていることを知り、かつドゥルーズ=ガタリが「器官なき身体」を語るにあたってカスタネダを肯定的に引用しているという情報も少し入ってきたために、だ…
ガタリの『機械状無意識』(原書1979, 訳書1990)はプルーストの『失われた時を求めて』を論ずるために書かれたもので、本来第二部が主役である。「機械状無意識の冗長性物の二つの基本的範疇」としてあげられる顔面性特徴とリトルネロ(テンポ取り作用、あ…
ウィリアム・モリスは世界を美しくしようとした。美しさへの才能が開花したのは著述の世界と、刺繍や染色、カーペット、カーテン、壁紙、タペストリーなどのテキスタイル芸術。 目指すのは争いも苦痛も失敗も失望も挫折もない、人々の趣味道楽だけでうまく回…