読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

海外の小説

マックス・エルンスト『百頭女』(原書 1929, 巖谷國士訳 1974, 河出文庫 1996)切り貼りから生まれる切断と融合、新世界創造の痛みを伴ったエネルギー

マックス・エルンストのコラージュ・ロマン第一弾『百頭女』。複数の重力場、複数の光源、複数のドレスコード、複数の遠近法、複数の世界が圧縮混在する147葉のコラージュ作品とシュルレアリスム的キャプションから成る出口なしの幻想譚。二作目の『カル…

マックス・エルンスト『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』(原書 1930, 巖谷國士訳 1977, 河出文庫 1996)どこか高貴さを感じさせるシュルレアリスム的エログロナンセンスのテキストとイラスト

「たいていの本はうしろから読むのがよい」というのは、カフカを語った時のピアニスト高橋悠治のことば。関心はあるのに、あまり身にはいってこない作品に出会ったときに、たまに私が実践してみる本の読み方。マックス・エルンストのコラージュ・ロマン『カ…

ペル・ジムフェレール『<現代美術の巨匠> MAX ERNST マックス・エルンスト』(原書 1983, 美術出版社 椋田直子訳 1990) 多くの技法と作風を持つシュルレアリスムの代表的画家

先日、マックス・エルンストのコラージュ・ロマン三部作の第二作『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』を読んだものの、コラージュ・ロマンというものに対する理解があまりなかったものだから、本業の絵画作品に触れてみることにした。コラージュ・…

ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』(原書1946, 岩波文庫 清水徹訳 2004)

一八九四年ごろから構想されはじめた小説『ムッシュー・テストと劇場で』からはじまるヴァレリー唯一の連作短編集。死の直前までテキストに手を入れていたり、ムッシュー・テストにまつわる自筆の版画やデッサンを描いていたりと、作者にとってそうとう愛着…

ギュスターヴ・フロベール『三つの物語』(原書1877, 蓮實重彦訳 1971)

フロベールの『三つの物語』を講談社世界文学全集の蓮實重彦訳で読む。「純な心」「聖ジュリアン伝」「ヘロデア」の三篇。ともに死を扱うフロベールの表現力・描写力の生々しさに驚く。以下引用箇所は、本編を読む楽しみを削ってしまわないよう一番の核心部…

柳瀬尚紀『ユリシーズ航海記 『ユリシーズ』を読むための本』(河出書房新社 2017)

一九九六年、岩波新書で発犬伝『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』が刊行されて二〇年、柳瀬尚紀訳『ユリシーズ』は完結することなく残されてしまった。発刊当時に読んで、今回二度目の通読となり、また、他のエッセイ、最後の完成訳稿である第十七章「イタ…

ジェイムズ・ジョイス『ダブリナーズ』(原書1914, 柳瀬尚紀訳 2009 新潮文庫)

読み通して残る印象および感想は、「これらの不如意、どう処理したらいいものか」という表現対象に対しての困惑と、表現対象を刻印させるジョイスの描写表現能力に対する敬意と憧れ。困惑は描かれたダブリンの冷え冷えとした重さ、暗さへのある種の近づきが…

ジェイムズ・ジョイスの絵本『猫と悪魔』(小学館 1976 丸谷才一訳 ジェラルド・ローズ画)

1936年8月10日に孫のスティーヴンに宛てて書き送ったお話をもとに絵本に仕立てた作品。ジョイスの愛らしさが際立つ一冊になっている。柳瀬尚紀に出会うまではなんだか難しい顔してジョイスを読んでいたけれど、完全にパロディ志向の人なのだなと、文章に向き…

4連休なのでジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を柳瀬尚紀の訳で読んでみる その10(延長1回ゲームオーバー 「わが時は樽生なり。汝の時を瓶詰にせよ。」):最後の小説と「フィネガンズ・ウェイク九句 七、八の段」

原典ノンブルによる進捗:628/628 (100.0%) 2020.07.22(水曜夜)~ 07.28(火曜夕)おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉(芭蕉)循環する小説とされる『フィネガンズ・ウェイク』をワンセット読み通した今、達成感よりもかすかな哀感が滲んできている。それは読…

4連休なのでジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を柳瀬尚紀の訳で読んでみる その9:「飲んだら読むな、読むなら飲むな」

原典ノンブルによる進捗:501/628 (79.8%) 飲んだら読むな、読むなら飲むな。そんな作品が存在する。 TVショーでのお笑いは、視聴者のセンスがよほど崩壊していない限り酔っていても十分楽しめるけれど、読書においては読み手の読み取りの能力が少しでも減退…

4連休なのでジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を柳瀬尚紀の訳で読んでみる その8:何も書かれていない書物と「フィネガンズ・ウェイク九句 六の段」

原典ノンブルによる進捗:455/628 (72.5%)文学の世界では「何も書かれていない書物」という極限があって、一方にマラルメの『骰子一擲』、もう一方にジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』がある。極限まで削られた言葉と極限まで多層化されベクトル積算で圧…

4連休なのでジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を柳瀬尚紀の訳で読んでみる その7:中間休止2としてティム・バートン『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1993)をDVDで(2周くらい)再視聴する+「フィネガンズ・ウェイク中間休止2 ジャックの句」

進捗:400/628 (63.7%) 第Ⅱ部終了状態でSTAY 異なるフィクション空間での相互干渉を期待して、前回のエントリーで名前を出したティム・バートン『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1993)のDVDを呑みながら2周くらい観る。フィクションでの本当らしさ…

4連休なのでジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を柳瀬尚紀の訳で読んでみる その6:ジョイス語公用のナイトメア的世界と「フィネガンズ・ウェイク九句 五の段」

原典ノンブルによる進捗:400/628 (63.7%) 第Ⅱ部終了『フィネガンズ・ウェイク』の形式はほぼト書きなしの演劇台本みたいなもので、その中身はおおむね聖書のパロディでできている。語られる内容は、飲食と性交と排泄と論争(というかからかい合いとののしり…

4連休なのでジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を柳瀬尚紀の訳で読んでみる その5:中間休止で体制紹介+「フィネガンズ・ウェイク中間休止五句」

原典ノンブルによる進捗:308/628 (49.0%) +2行でSTAY 飲んじゃったら読みすすめられなくなったので、第Ⅰ部終了時にやろうと思っていた、現在の読解環境を紹介。 ジェイムズ・ジョイスが孫に向けて書いたお話をもとにつくられた絵本『猫と悪魔』は、愛すべき…

4連休なのでジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を柳瀬尚紀の訳で読んでみる その4:パロディとしての近代小説と「フィネガンズ・ウェイク九句 四の段」

原典ノンブルによる進捗:308/628 (49.0%) 近代小説は神話やロマンスのパロディとして出てきたものだ。セルバンテスの『ドン・キホーテ』は騎士道物語、フロベールの『ボヴァリー夫人』は恋愛物語のパロディとして成立している。主人公は近代の出版事情から…

4連休なのでジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を柳瀬尚紀の訳で読んでみる その3:原文を読んでみたいと思わせる翻訳の力と「フィネガンズ・ウェイク九句 三の段」

原典ノンブルによる進捗:195/628 (31.1%) 『フィネガンズ・ウェイク』の柳瀬尚紀の翻訳が、単純な直訳ではなく、繊細な読解と大胆な日本語化能力を併せ持った人物の手ではじめてなしとげられた驚くべき業績だということは、一般読者層にもストレートに伝わ…

4連休なのでジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を柳瀬尚紀の訳で読んでみる その2:意外にわかりやすい部分の初引用と「フィネガンズ・ウェイク九句 二の段」

原典ノンブルによる進捗:113/628 (18.0%) 『フィネガンズ・ウェイク』はどんな話かというと、今読んでいる部分(第Ⅰ部)に関しては、アダムっぽい風味付けをされた中年男H.C.Eとイブっぽい風味付けをされたA.L.Pをめぐる評価話みたいなものではないかと思っ…

4連休なのでジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を柳瀬尚紀の訳で読んでみる その1:「フィネガンズ・ウェイク九句 一の段」

原典ノンブルによる進捗:74/628 (11.8%) ちょこちょこ検索したりしながら読んだりしているとページ当たり5分くらいかかっている計算になる。四日で読み終わるかどうかちょっと心配。 ※読みながら無季俳句とか作って遊んでいるのも時間がかかっている原因な…

大江健三郎『読む人間』(集英社 2007, 集英社文庫 2011)

大江健三郎の読書講義。 2006年に池袋のジュンク堂で行われた6本の講演と、同じく2006年に映画「エドワード・サイード OUT OF PLACE」完成記念上映会での講演に手を入れて書籍化したもの。執筆活動50周年記念作。 現代日本の読書人であれば一冊くらい大江健…

ジャック・デリダ『「幾何学の起源」序説』(原書 1962, , 青土社 1988)

デリダの序説はフッサール論であるとともに、ジェイムズ・ジョイス論という側面を持っている。ジョイスを論ずるのにヴィーコを持ってきたベケットと、フッサールを持ってきたデリダ。これまでデリダは苦手で、お付き合いするのをためらうことが多かったのだ…

サミュエル・ベケット「ダンテ・・・ブルーノ・ヴィーコ・・ジョイス」(1929、川口喬一訳)

千頁を超える作品を読み終えた後は、誰かの何かに消化を助けてもらいたくなる。先日ヴィーコの『新しい学』(中公文庫)を読み終えて、落ち着かない気分でいたところで助けてもらったのがこのベケットのジョイス論。『進行中の作品』として語られるのは『フ…

サミュエル・ベケットの短編「追い出された男」と松尾芭蕉の馬の句(全二十二句)

家を追い出された男が通りで出会った馬車の御者の自宅に招かれるものの居心地が悪くなって抜け出すというベケットの話なのだが、読んでいるうちに、ハードもソフトもいろいろと不具合のある芭蕉AI搭載ロボットが、廃棄も修理もされずに路上投棄された後、さ…

ジョン・アガード『わたしの名前は「本」』(原書2014 訳書2017)

ガイアナの劇作家、詩人の本。本の歴史を擬人化された語り手=本が語る小品。いきなり老子が引用されていたりして、ちょっとワクワクする。 人生は粘土の塊だ。ほかの人に形作らせてはいけない。(老子 B.C.604-B.C.531 「粘土板で伝えよう」p17) 何処から…

ジュリアン・バーンズ『人生の段階』(原書2013 訳書2017)

小説、だろうか。愛する人をなくしたなかで書かれた散文。ただ、ひたすら悲しく空しい想いのなかでなされた仕事。本を読んでいると時々こういう作品に出会う。その時に感じるのは人間が生きていることの重量感だ。死者の後を追って死ぬこともできない。生き…

カレル・チャペック『カレル・チャペックのごあいさつ』(2004)

日本で編まれたチャペックのエッセイ・コラム集。軽妙でありながら、ゆったり構えていて奥深い味わいのある小品が読める。全28篇。 人生最大の苦痛であるメランコリーは小さな原因に由来する痛みです。英雄的行為を許さないがゆえに最も重症なのです。英雄…

マルグリット・デュラス 『これで、おしまい』

マルグリット・デュラスこれで、おしまい訳:田中倫郎1995 マルグリット・デュラス、80歳、最後の書物。切れがあり、芯のある、乾いたコトバが、刻まれている。最後がこれかと思うと、こころが震える。 空の空なるかな。万事空にして、風を追うが如し(旧約…