神学
中世神学の普遍論争についての導入書。実在論者の肩を持とうとする著者が「形而上学的普遍」の実在性を何とか示したいといいながら、あまりうまくいっているようには思えないところが、かえって誠実で好感の持てる一冊。アウグスティヌスやアリストテレスか…
神学的な天使の考察ではなく、文化的表象、イメージとしての天使の位置と歴史的変遷をあつかった一冊。 わたしが強調しようとしたのは、天使の表象が、古来より基本的にずっと、キリスト教と異教、正統と異端との境界線を揺るがしてきた、ということである。…
中世神学の典籍においても悪魔というものがはっきりと出て来るケースは珍しいものではないかと思いながら読んだ。 人間は悪魔に属するものではなく、人間も悪魔も神のものでした。しかも、悪魔は、正義の熱意からではなく、不義の熱意に燃えて、それも神の命…
対語録、全二六章。「主なる神よ」「あなたは」という呼びかけによって展開される信仰の言葉。頓呼法で喚起される神はどうしても擬人化され、呼びかけ側と同一の地平に立っていると感覚されるので、ロジックだけ追いかけたいという読書の気分を妨げる。 第二…
聖書を括弧に入れて神について語ったことで画期的な中世の神学書、全八〇章。スピノザの『エチカ』の先行的位置にある作品。ただしこちらで論ぜられているのはキリスト教の神、「三位で一なる神」というところと、散文による自分自身との対話(瞑想、黙想)…
指示対象(表象の対象)として創造主や神といったものを想定してしまうと、途端に胡散臭いものになってくるが、論ずるためには言語で表現していくほかはない。 【存在】 神の創造、三位一体の子、被造物について トマスは「禅の本質側面は自己をおしひろげ、…
キリスト教正統からの批判対象としてグノーシスが出てくるときに、すぐにイメージが湧いてこない状態にあったので、情報注入のためにグノーシス紹介書籍を一冊通覧。光と闇との二元論。精神あるいは魂が光で善、肉体および物質が闇で悪ととらえる世界観。 否…
お知り合い、内輪モードのぬるさはありつつ、現代日本のカトリック言説の最上層の御意見をいただく。 言葉の本来的な意味を考察しながらの教えは傾聴に値する。 【罪】 ギリシア語で罪はアハマルティアというのですが、これは元々は「的外れ」、という意味な…
題名に神学の文字がはいる二つのテクストはともに言葉をめぐる思索の成果である。「現象学と神学」は学問の言葉について、「「現代の神学における非客観化的思考と言表の問題」に関する神学的討論のための主要な観点に与える若干の指摘」は詩の言葉について…
善なる一なるものから、いかにして悪が産出されるのか? プロティノスを読み進めていく興味の中心はその一点に尽きた。 【 プロティノス (205 - 270) 収録テキスト11篇】 田中美知太郎 訳 善なるもの一なるもの 三つの原理的なものについて田之頭安彦 訳 …
多くは形式に則った公文書。『神の慰めの書』にくらべればより学問的な内容となっている。『パリ討論集』を頂点に神と存在についての説教・講解を多く集めている。 【収録テキスト】・主の祈り講解・命題集解題講義・一二九四年の復活祭にパリで行われた説教…
今後の人生のよりどころになり得る一冊。エックハルトの神への愛に発する言葉に触れて、信仰のない私のこころも大きく動いた。はじめて聴くような言葉の数々に、世界に接する態度の別の可能性といったものを教えてもらったような気がしている。 エックハルト…
前回の4連休(2020.07.23~2020.07.26)の際、柳瀬尚紀訳でジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を読んだ。連休のイベントとして、普段であれば読むことが難しいと思うものにチャレンジするということにしておくと、ふんばりがきいてなんとか…
エマニュエル・レヴィナスの弟子筋の宗教哲学系の作者が綴った穏健なスピノザ解説書。前半で『神学・政治論』、後半で『エチカ』を概観する。本書でいちばん目を引いたのはスティーヴン・ナドラーの『スピノザ』から引用された、ユダヤ教会からの破門状「ヘ…
空海の思想の中心はやはり即身成仏。詳細な解説書を読む前に、原文読み下し文と簡易解説に触れておくほうが良いと思うので、角川ソフィア文庫のビギナーズ日本の思想シリーズを手にされることをすすめる。 【即身成仏の頌】六大無礙にして常に瑜伽(ゆが)な…
『野生のアノマリー スピノザにおける力能と権力』(1981)から30年たったところで出版されたネグリのスピノザ論集。会議での発表用テキスト四本に序章を追加した著作。口頭発表用の原稿とあって、味わいが濃いわりに、理解もしやすい。聴衆や読者の好奇心を…
「説得というモーメントに引きずられている」デカルト(p141)と「説得に無関心で、説き伏せることのないスピノザ」(p355)という視点。 國分功一郎は『暇と退屈の倫理学』(2011 朝日出版社)でウィリアム・モリスを引きながら「人の生活はバラで飾られていな…
アメリカのスピノザ研究者による入門書。エチカを中心に情報をたくさん盛り込んだ書籍だが、入門書の一冊目として推薦できるかといえば、かなり難しい。著者がスピノザの思想に距離をとっており、興味付けという点では、むしろ逆効果となる懸念もある。岩波…
ヒューム(1711~1776)の遺稿。友人のアダム・スミス(1723~1790、『国富論』『道徳感情論』)に遺言で出版を依頼したものの、アダム・スミスがその内容に躊躇して出版をためらったいわくつきの作品。生前ヒュームは無神論者・不信心者と非難され、職につ…
プロテスタント(長老派)で神学者の佐藤優さんは哲学者とくにスピノザが嫌い。マルクスはよくてスピノザはダメ。ライプニッツはよく引用しているので比較的好ましい哲学者に入りそう。どうしてなのかいまひとつ分からないが、スピノザを神学者としての第一…
ドゥルーズはスピノザの心身並行論に関して、身体の導入による意識の評価切り下げという視点を提示し、意識にならない無意識的な領域の存在を浮上させる。 この心身並行論の実践的な意義は、意識によって情念〔心の受動〕を制しようとする<道徳的倫理観(モ…
スピノザ二十七、八歳、後の『エチカ』に直結する論文。スピノザにとって神以外に存在はない。この「神即自然」の認識は例えば次の如く語られる。 神は内在的原因であって超越的原因でない。なぜなら神は一切を自己自身のうちに生じ自己の外に生じないからで…
本書の興味深い点は、ヤスパースが《神即自然》の哲学者スピノザの静謐さに物足りなさを感じているところ。冷静なね、闘い方っていうのもあるのではないんですかね、と秘かに思いつつ、実存を語るヤスパースの熱さも注ぎ入れていただけることに感謝しながら…
ヤスパースは思弁哲学者としてのニコラウス・クザーヌスを称揚し、キリスト者や教会運営者としてのニコラウス・クザーヌスを批判する。キリストへの信仰の有無で救いが分かたれるという発想が押し出されて来ると、やはり非キリスト者としては賛同しかねるの…
諸国民の知者達と御言葉との対話。参加者はギリシア人、イタリア人、アラブ人、インド人、カルデア人、ユダヤ人、スキタイ人、ガリア人、ペトロ、ペルシア人、シリア人、スペイン人、トルコ人、ドイツ人、パウロ、タタール人、アルメニア人、ボヘミア人、イ…
一文が比較的短く読みやすい対話篇。 単純なものは合成されたものよりも本性上より先なるものであるのと同様に、合成されたものは本性上より後なるものです。それゆえ、合成されたものは単純なものを計ることはできません。むしろその反対です。(第6節より …
生成する宇宙のイメージをえられる著作。 神に由来する類似化の様式は、それが特殊であるときに、まさにそれゆえに理に適っていると。なぜなら次のように言われるからである。すなわち、同一者が同一化するがゆえに、特定の状態によって隠蔽されうる様式は、…
ニコラウス・クザーヌス最後の著作。可能であることについての言説。 実際、可能自体が存在するか否かを問う人は、注意するならただちに問いの不適切さを看取します。可能なしに可能自体について問うことは可能でないのですから。可能自体がこれであるか、あ…
無限について語るニコラウス・クザーヌスを読んでいるとつねにスピノザのことを意識するのだが、ニコラウス・クザーヌスは受肉や三一性も説きつづけるのでよりアクロバティックに見える。 もしそれが、無限性から縮限されることが可能なものであるならば、そ…
超越的なものに向かい祈ることのできる人は洋の東西を問わず一人に強い。一人でも一人ではないように生きられるから。 修道士(monachus)とは、monosつまり「一人」という意味の語に由来するのであり、それにchusという語尾が付けられているのであるから、…