読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

大岡信の菅原道真

大岡信

詩人・菅原道真 うつしの美学
1989 (岩波現代文庫 2008)

www.iwanami.co.jp

 

菅原道真漢詩の紹介というよりは、副題の日本文学における「うつしの美学」の考証により価値があるような本です。和歌と漢詩文との比較のなかで和歌が優位にある日本の文学の現象面を「うつし」という視点から描き出しています。

 

メモ:

p62

和歌は究極のところ、「人間」を示すよりは「気分」そのものを示そうとします。これに反して、漢詩は、「気分」よりは、それをそのような気分としてあらしめている諸条件を背負った「人間」そのものを示します。そのため、後者にあってはすべての描写が「事実」の積み重ねを当然のこととして伴い、修辞の力はあげてそれを成功させるために動員されます。

道真は唐の衰退をみて、遣唐使廃止を推進しました。自分自身は漢文学スペシャリストでありながら、大陸の影響力が薄れることで、文化的ストレスが少ないなか日本化が進み、それによって漢文学の地位が相対的に下がっていくことを身をもって体感していたことでしょう。科挙のようなしっかりした文官システムが導入されていなかったことも日本に叙事的な文学があまり発達しなかった要因にあげられるでしょう。政治経済の文学よりも宴の情緒の文学。志よりも気分。菅原道真については宴の文学にも十分才能を発揮できた人物とみえて、百人一首にもとられるなど、後世にその存在を忘れられることはなかったわけですが、得意ジャンルであった漢詩がなかなか知られていない現状は惜しまれます。といっても私もつい最近まで関心もなかったことなので、庶民の貧しさを詠う『寒草十首』や左遷された朋の死を悼む『哭奥州藤使君』などの作品紹介を通して「惜しい」という感覚を呼び起こしてくれた大岡信には感謝です。