読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

上山春平 『空海』

上山春平
空海
1992 (品切れ・再販未定)再販希望
図書館物件

朝日新聞出版 最新刊行物:書籍:空海

良書。
本書は研究書的な位置づけにある著作ではあるが、司馬遼太郎の『空海の風景』に匹敵する小説的著述としてのパワーがある。衝撃度的には本書のほうが上回っているかもしれない。複数の資料を比較して読み解き、信憑性も高い。
また、最澄への目配せも効いている。

空海法号

「生死海」というのは仏典でよくつかわれる慣用語で、生まれ変わり死に変わり、果てしなく輪廻する迷いの世界を指し、それは苦悩の世界であるから「生死の苦海」ともよばれる。生死のはてしないことを、限りなく広く限りなく深い海にたとえたのである。「生死の苦海」を渡って涅槃の彼岸に達するのが仏教のねがいであるが、「空海」というのは、「生死海」と同じく海であって、海のかなたの彼岸ではない。「生死の海」がすなわち「空の海」なのである。(p106)

 

最澄の独創性:

私は、最近、こうした否定的もしくは消極的な独創性のあり方(既存の形をこわす方向にはたらく「負の独創」)に、日本文化の特質を見いだすことができるのではないか、と考えるようになってきた。おそらく、『十住心論』に見られるような積極的な独創性は、すくなくとも日本においては、むしろ例外的な現象なのかもしれない。最澄が、法然親鸞日蓮等の多くの連鎖反応のいとぐちとなったのにたいして、空海が孤立してみえるのは、そのためではあるまいか。(p199)

 

本書の作者、上山春平の自殺エピソードも濃い。

空海自身も救われたという虚空蔵求聞持法から生きる道を探ってみることを手段としてキープしておくことも有効かと思った。

虚空蔵求聞持法(虚空蔵真言
ナウボ アキャシャギャラバヤ オン アリ キャマリ ボリ ソワカ
南牟 阿迦捨掲婆那 唵 阿利 迦麻唎 慕唎 莎縛訶
虚空蔵菩薩に帰依し奉る、花飾りをつけ、蓮華の冠をつけた人に幸いあれ

意味ではなく繰り返し唱えられる真言の波動が身体に働きかけることによって生まれる非日常の別世界的感覚が生きる力を与える場合もあるのだろう。

 

目次:
1 空海論の視点
2 空海伝の基本問題
3 空海最澄
4 空海伝の基本資料

空海
774 - 835
上山春平
1921 - 2012