読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

梅原猛 『最澄と空海 日本人の心のふるさと』

梅原猛
最澄空海 日本人の心のふるさと
2002, 2005

www.shogakukan.co.jp

良書。
日本の土着信仰、山岳信仰と融合した密教という視点が濃厚。
空海の部から最澄の部へと読み進めたほうが上記視点はよく感じとれる。また、厳格な戒律と修行による即身成仏の教えから、天台本覚論の万人成仏への溶解に日本仏教の特性を見ているところも、空海の部から最澄の部へと読み進めたほうがよくわかる。

 

空海『吽字義』の読み解き部分:

「虚空に遍満」する秘密の仏は厳然として存在し、そういう二乗の徒をやがて秘密荘厳の密教の教えに導くものである、という。ここで、「かの草木すらやがては成仏するのである。いかに況んや有情の彼らにおいておや。」という言葉は、密教あるいは日本仏教の思想を考えるうえで、大変重要な言葉です。「山川草木悉皆成仏」という言葉となって、のちに天台に取り入れられ、天台本覚論として展開されるのですが、その思想がすでにここに語られているわけです。(p302)

 

最澄の仏性論から発展していった天台本覚思想について:

密教化した天台仏教の生み出した思想が天台本覚論というものではないかと思います。それは先に述べたように、最澄の仏性論(=すべての人間に仏性がある)にもとづきながら、それを一歩すすめて、山川草木すべてに仏性のあらわれを見、ありのままの世界を、まさに仏の表現として肯定する立場ですが、このような考えこそ、まさに日本仏教の中心的な思想であったと思うのです。(p137)

 

最澄の革新的要素として戒律の簡素化があげられていることにも注目:

エスもまた古い戒律を捨てて新しい戒律を求めた人であるが、最澄においても、それと相似たことがあるように思われる。彼は、ちょうどイエスユダヤ教の戒律を軽減化し内面化したように、仏教の戒律を軽減化し内面化したのである。そしてそこでは、キリスト教と同じように、懺悔が重視される。仏の前に至心に懺悔し、正常な心に変える。それが最澄にとって戒律の真の意味であった。(p197)

 


目次:
一部 たたかう求道者、最澄
最澄瞑想
最澄と天台本覚思想
二部 万能の天才、空海
空海の再発見―密教の幻惑
人間弘法大師を説く十章

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