読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

良寛道人遺稿

良寛
良寛道人遺稿
柳田聖山 訳

良寛道人遺稿|全集・その他|中央公論新社

曹洞宗の禅僧、道元の系列、良寛漢詩
読み下し文と訳で構成。原文はなし。
柳田聖山の訳が読みやすく、解説も熱く、良寛初読に向いていると思う。

柳田聖山解説:

『毒語心教』にしても、「法華讃」にしても、そんな言語の脱落(自由)があって、上質の禅の言語ゲームを、嫌というほど見せてくれる。良寛の禅文学を見失って、逸話や清貧に涙することは、もうそろそろ止めてよい。「法華讃」の構成が判ると、圓通寺時代の雑詩がよめる。(p22)

同じ僧としての立場から読んだ場合の良寛像を強めに押し出している感じだ。

 

柳田聖山読み下し・訳:
163:

生涯、身を立つるに懶く、騰々、天真に任す。嚢中、三升の米、炉辺、一束の薪。誰か問はん迷悟の跡、何ぞ知らん名利の塵。夜雨、草庵の裏、双脚、等閑に伸ぶ

 

生計をたて、官に生きるのが下手で、のほほんのほほんと、木地のままでいる。/托鉢袋には、三升の米があり、炉のそばに、薪が一たばある。/迷いとか悟りとか、他人のあしあとを気にせず、浮世の名利など、何の関係もない。/草屋根をうつ、夜半の雨音をきいていると、二本の脚が、思わず前にのびている。(p99) 

 

「木地のままで」、「迷いとか悟りとか、他人のあしあとを気にせず」って、憧れはするが難しい。

でも、あれだ。出家・乞食の立場は、時代的制約もあって、いまひとつ飲みこみにくい。

柳田聖山訳は、先の良寛像修正と同趣向で、やはり乾いた味わいを強めに出しているようである。


良寛
1758 - 1831
柳田聖山
1922 - 2006