2012
加島祥造の一番の仕事は老子の英訳本からエッセンスを取り込んだ日本語訳『タオ 老子』で、彼自身の詩『求めない』などにはない尽きない魅力がある。その違いは何であろうかと長いこと考えている。世界観・宇宙観の充填具合なのか、それとも公的なもの・政治的なものへの批判精神の強度の違いなのか?逆に『求めない』に何をどのように足し引きしたら『タオ 老子』の領域に届く作品になるのか?その辺を考えるために、機会があれば加島祥造の本を手に取って読んでいる。
今回の曹洞宗の高僧との対談で目に止まったことは「年齢によって感覚は変わってくる」ということ。
若いときは、こころが目的のほうに行っている。ただ腹をいっぱいにして次の活動をしようとする。次のために食っている。
年を取ってくると、次のためというよりも、今食っているものがうまいと味わう、ようやくそういう余裕が出てくるからね。そうすると、特に山菜とか新芽、微少なものがうまい。
そういうふうに、五感というものは、心が目的に向いていないとき、とても敏感になる。生き生き動く。
p88
精神論的な傾向が強く感じられるときは、その精神を成り立たせている基盤、今回の書物の場合でいうと生活環境や身体といった基盤についての振り返りが入っていると飲み込みやすい。身体や生活が心地よさを感じることのできる状態にあれば、精神の心地よさも引き寄せやすいと疑いなく思えるから。