読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

兼本浩祐『なぜ私は一続きの私であるのか ベルクソン・ドゥルーズ・精神病理』

兼本浩祐
なぜ私は一続きの私であるのか ベルクソンドゥルーズ・精神病理

bookclub.kodansha.co.jp

2018

良書。
生の意識から「私」が成立し維持されるメカニズムを検討している。

よく引用・参照されているのは以下の著作や理論。
ジル・ドゥルーズ(1925 - 1995)の『差異と反復』(1968)
アンリ・ベルクソン(1859 - 1941)の『物質と記憶』(1896)
イマヌエル・カント(1724 - 1804)の『純粋理性批判』(1781)
アントニオ・ダマシオ(1944 - )の「コア意識」
ジェラルド・M・エーデルマン(1929 - 2014)の意識論
池上高志(1961 - )の「サンドウィッチ理論」
ハイデッガー(1889 - 1976)の『存在と時間』(1927)

 第1章から第3章までは理論に重心があり、第4章以降は臨床の現場の話の比重が大きくなっている。両方とも読み手を引き込む力を持った文章ではあるが、個人的には3章までの議論のほうにより強く引き付けられた。

動物においても表象が成立するためには、双方向性の再入力の存在は必須であって、入力ポートからの刺激の取り込みそのものが決してランダムに公平に行われるわけではなく、必要に応じて極めてバイアスがかかった仕方で刺激は取捨選択されています。(中略)この双方向的な再入力の循環を通して、特定の臨界点において一挙に表象が成立するのだと仮定しなければ、物質から意識への飛躍は説明できないというのが再入力を重視する私達の立場です。(第2章「私」が成立する悩的条件 p60) 

明晰で潔い議論が展開されていると思う。


内容:
第1章 同じものが同じになる時、同じでなくなる時
第2章 「私」が成立する脳的条件
第3章 物来りて我を照らす
第4章 面前他者を了解すること―精神病理学の営み
第5章 ベルクソン脳科学
第6章 普遍論争を再考する―馬性は馬性以外の何ものでもない
第7章 行為としての臨床哲学

 

兼本浩祐
1957 -