読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

バートランド・ラッセル『ラッセル 幸福論』岩波文庫

原書は1930年の発行。ラッセルの文章は数理哲学者だけあって論理的で、安藤貞夫の訳はこなれた日本語でかなり読みやすいものになっていると思う。

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以上の実例から、一般的な公理が四つ示唆される。これらの公理は、その真理が十分に理解されたならば、被害妄想の適切な予防薬となるだろう。第一、あなたの動機は、必ずしもあなた自身で思っているほど利他的ではないことを忘れてはいけない。第二、あなた自身の美点を過大評価してはいけない。第三、あなたが自分自身に寄せているほどの大きな興味をほかの人も寄せてくれるものと期待してはならない。第四、たいていの人は、あなたを迫害してやろうと特に思うほどあなたのことを考えている、などと想像してはいけない。
(第八章「被害妄想」p130)

 

退屈は全面的に悪いものとみなすべきではない。退屈には、二つの種類がある。一つは、実を結ばせる退屈であり、もう一つは、人を無気力にする退屈である。実を結ばせる種類は、麻薬のないところから生じ、人を無気力にする種類は、生き生きとした活動のないことから生じる。麻薬は、生活の中でよい役割は何ひとつ演じない、と言うつもりはない。たとえば、賢い医者がアヘンを処方する場合もあるだろうし、しかも、こういう場合は、禁止主義者が想像しているよりも多いのではないかと思われる。しかし、麻薬への渇望は、確かに、自然の衝動のおもむくままにしておけないものである。また、麻薬の常用者が麻薬を奪われたときに経験する退屈に対しては、時間以外の治療法を示唆することができない。
(第四章「退屈と興奮」p67)

 

自分のライフスタイルを選べるくらい富裕な人たちの場合、特に彼らが感じているたえがたい退屈は、逆説的に聞こえるかもしれないが、退屈への恐れに由来するものである。実りある退屈から逃げることで、もう一つの、もっと悪い種類の退屈のえじきになるわけだ。幸福な生活は、おおむね、静かな生活でなければならない。なぜなら、静けさの雰囲気の中でのみ、真の喜びが息づいていられるからである。
(第四章「退屈と興奮」p74)

 

自動化や分業が進んだために富裕でなくとも職業やライフスタイルを選ぶことが1930年当時よりは可能になった現在は、外部の騒音と生活環境の変化の速度がより大きくなった時代でもあり、「実りある退屈」を意識的に選ぶには相応のスキルがいるよう思われる。「実りある退屈」というのも見えずらい。「実り」が何なのかよくわからないというせいもある。

自己欺瞞にささえられているときにしか仕事のできない人たちは、自分の職業を続ける前に、まずもって、真実に耐えるすべを学んでおくほうがいい。なぜなら神話にささえられる必要があるようでは、おそかれ早かれ、彼らの仕事は有益どころか、有害なものになってしまうからである。(中略)日ごとに信じがたくなる事柄を日ごと信じようとする努力ほど、疲れるものはないし、とどのつまりは、腹立たしいものはない。こうした努力を捨て去ることこそ、確かな、永続的な幸福の不可欠の条件である。
(第十六章「努力とあきらめ」p264) 

神話の解体、信仰の意識化、信用構造の理解、情報格差の有無についての感度強化。大きな力に知らずに振り回されないようにすること。

 

内容:
第一部 不幸の原因
 第一章 何が人びとを不幸にするのか
 第二章 バイロン風の不幸
 第三章 競争
 第四章 退屈と興奮
 第五章 疲れ
 第六章 ねたみ
 第七章 罪の意識
 第八章 被害妄想
 第九章 世評に対するおびえ)

第二部 幸福をもたらすもの
 第十章 幸福はそれでも可能か
 第十一章 熱意
 第十二章 愛情
 第十三章 家族
 第十四章 仕事
 第十五章 私心のない興味
 第十六章 努力とあきらめ
 第十七章 幸福な人

 

バートランド・ラッセル
1872 - 1970
安藤貞夫
1927 - 2017