読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

前野隆司『脳はなぜ心を作ったのか ─「私」の謎を解く受動意識仮説』(2004)


先日のエントリー、清水亮の『よくわかる人工知能 最先端の人だけが知っているディープラーニングのひみつ』で気になった受動意識仮説の提唱者の著作。私にはわりと受け止めやすい仮説だった。

付箋箇所:
21, 27, 36, 42, 46, 57, 65, 83, 88, 93, 108, 114, 149, 162, 197, 201, 230

心の地動説。自分とは、外部環境と連続な、自他不可分な存在。そして、「意識」はすべてを決定する主体的な存在ではなく、脳の中で無意識に行われた自律分散演算の結果を、川の下流で見ているかのように、受動的に受け入れ、自分がやったことを解釈し、エピソード記憶とするためのささやかで無知な存在。(「エピローグ」p230)

錯覚や無知の存在といっても取り除けるものではないし、取り除いていいものでもない。ただ、意識の機能と現象については受動意識仮説で理解しておいたほうが無理がないよ、というのが著者の主張。

ちょっと挑戦的ないい方を許してもらうなら、アフォーダンスとか内観とか暗黙知とか心の理論とかいった、文科系の研究者が名付けた難解そうな概念でなく、共有が容易で再現が可能な理科系の言葉で脳や心を整然と理解できる時代がやってきたのだ。(p197)

現時点ではまだ、理解できる時代ではなく、理解できてもおかしくはないと考える人が多くなってきた時代といったところで、著者の表現だと風呂敷をひろげすぎている感はあるものの、意識のメカニズムを科学が教えてくれるようになるのであれば、科学にきいたほうが判りやすいであろう。実証可能で再現もできればそこで働くロジックは信頼性が極めて高い。

 

筑摩書房 脳はなぜ「心」を作ったのか ─「私」の謎を解く受動意識仮説 / 前野 隆司 著

 

前野隆司
1962 -