読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

白洲正子『十一面観音巡礼 愛蔵版』(1975, 2010)

白洲正子は現代の文化的野蛮人たる私にも日本の別世界をすこし見せてくれる貴重な案内者である。

両眼をよせ気味に、一点を凝視する表情には、多分に呪術的な暗さがあり、まったく動きのない姿は窟屈な感じさえする。平安初期の精神とは、正しくこういうものであったに違いない。長年にわたって受けついだ中国文化の影響を、いかにして骨肉化するか、桓武天皇平安京に遷都し、弘法大師高野山に籠り、伝教大師が叡山を開いたのも、一にそのことにかかっていた。こういう仏像を眺めていると、彼らの祈りの声が聞こえてくるような気がする。甘美な天平の夢は醒める時が来た。醒めることの苦悩と、緊張を、この観音は身をもって示していると思う。(「宝生寺 十一面観音像」p126)

 

眺める。歴史の流れに身を沈めて眺めるようになると自然も事物も歌うようになってくれるのだろうか?
ものの見方が出来ているとは言えないので、まずは万葉集をはじめとする日本の古の歌にもう少し親しんで、日本の事物を眺めることになじんでいきたい。

 

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白洲正子
1910 - 1998