読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

高橋昌一郎『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(2014)

三人の代表的講演、論文の訳出をメインに据え、「解題」と「生涯と思想」を添えている。ゲーデルについては専門家にむけた講演であるようで、解説があってもなかなか歯が立たないレベルの内容だったが、それでもやはり本人の原稿に直接触れるためのさまざまなハードルを下げてくれている本書はありがたい存在だ。

ジョン・フォン・ノイマン「数学者」(1946、シカゴ大学での講演)

経験的な起源から遠く離れて「抽象的」な近親交配が長く続けば続くほど、数学という学問分野は堕落する危険性があるのです。何事も始まるとき、その様式は古典的です。それがバロック様式になってくると、危険信号が点灯されるのです。(p43)

 

クルト・ゲーデル数学基礎論における幾つかの基本的定理とその帰結」(1951、ブラウン大学ギブス講演)

それ(引用者:プラトン主義的見解が唯一の可能性であること)によって私は、数学が、非観念的な実在を記述するものであり、それは人間精神の行為や心理的傾向から独立して存在し、おそらく非常に不完全にのみ人間精神によって知覚されるという見解を意味しています。(p120)

 

アラン・チューリング『計算機械と知性』(1950、哲学誌『マインド』)

機械に入力されるアイディアとは、さしずめそこ(引用者:臨界に達しないサイズの原子炉)に外から打ち込まれる中性子のようなものである。この中性子は、ある程度の連鎖反応を引き起こすが、しばらくすると、その反応は収まる。しかし、もし原子炉のサイズが十分に大きければ、打ち込まれた中性子による連鎖反応は継続する確率が高くなり、原子炉を破壊するほどに増殖する可能性もある。これと似た現象は、心に生じているだろうか?そして、機械にも生じうるのだろうか? その現象は、人間の心には生じているように思われる。(p219)  

 

「生涯と思想」では三者三様の第二次世界大戦との関りが知れて、興味深い。とくにチューリングのドイツ軍の暗号「エニグマ」解読から青酸化合物による死にいたるまでのエピソードにはなんともいえない重みを感じる。

 

筑摩書房 ノイマン・ゲーデル・チューリング / 高橋 昌一郎 著

内容:
第1章 ジョン・フォン・ノイマン
 ジョン・フォン・ノイマン「数学者」(1946、シカゴ大学
 「数学者」解題
 ノイマンの生涯と思想
第2章 クルト・ゲーデル
 クルト・ゲーデル数学基礎論における幾つかの基本的定理とその帰結」(1951、ブラウン大学ギブス講演)
 「数学基礎論における幾つかの基本的定理とその帰結」解題
 ゲーデルの生涯と思想
第3章 アラン・チューリング
 アラン・チューリング『計算機械と知性』(1950、哲学誌『マインド』)
 『計算機械と知性』解題
 チューリングの生涯と思想

高橋昌一郎
1959 -
ジョン・フォン・ノイマン
1903 - 1957
クルト・ゲーデル
1906 - 1978
アラン・マシスン・チューリング
1912 - 1954