読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

福岡伸一『芸術と科学のあいだ』(2015)

日本経済新聞に連載された芸術よりのコラムの書籍化。フェルメール愛が突出している。

芸術と科学のあいだに共通して存在するもの、それは今も全く変わっていない。この世界の繊細さとその均衡の妙に驚くこと、そしてそこにうつくしさを感じるセンスである。(「はじめに」p7)

科学方面で美しさを感じるセンスを鍛えるには、やはり科学方面のことばや数式にもっと多く触れていかないといけないだろう。本書は美術に関する文章がメインとなっているので、科学方面については別の書籍を求めてみようと思う。

日本人の父と米国人の母の間に生まれた彼は、日米間を行ったり来たりしながら育ち、戦争が起きると自ら志願して日系人収容所に入った。ところが日本人からは疎外され、出所を希望すると日系人であるがゆえに拒絶された。後年、彼は「エナジー・ヴォイド」と名づけられた中空の大きな環をいくつも創作した。文字通り、内部にはヴォイド=虚空が吹き抜けているだけだ。

わたしたちの身体の中心にあって私たちを守り続ける免疫システムにとって、大切なのは外敵=非自己の存在だけであり、自分自身はヴォイドでしかない。イサム・ノグチに出会うといつも私はそれを思い出す。(「内面の虚空見つめた美術家の魂 ― イサム・ノグチエナジー・ヴォイド」 ― 」p25)

科学とは、自然や宇宙について私たちが古くから何となく感得していたことを、より解像度の高い言葉で再発見する営みである、と言えるのかもしれない。そんなとき、科学の言葉はすとんと私たちの胸に落ちる。(「一対の蛇、均衡・互恵の象徴 ― 一橋大学の校章 ― 」p123)

科学の良さは明確に再現できるところ、芸術の良さは摸倣を強く誘うところだろうか。繰り返し反復することへの欲望。模倣欲。


芸術と科学のあいだ - 木楽舎

福岡伸一
1959 -