読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

宮下規久朗『そのとき、西洋では 時代で比べる日本美術と西洋美術』(2019)

日本美術と西洋美術という対比での学習感は正直あまり残らないが、各時代の分析、解説は平均して質が高いように思われた。

フランスの哲学者レジス・ドブレは、20世紀後半のメディア社会までを視野に入れ、一九九二年に『イメージの死と生』を出版。古代から中世は「魔術的なまなざし」による「偶像」の時代、近代は「美学的なまなざし」による「芸術」の時代、そして20世紀後半からは「経済的なまなざし」による「ビジュアル」の時代であると規定した。それに伴ってイメージは、聖なるものの「存在」から、美しいものの「事物」、そして新しいものの「知覚」に移り変わったという明快な図式を提示している。複製によってアウラを喪失したイメージは、知覚のみによるバーチャルなイメージに移行したというのである。(「中世 ―相違するものと類似するもの」p110) 

「ビジュアル」+コンセプトで、知覚を知覚する作品、知覚やイメージのバーチャル性を感得する作品への移行という見方もありそう。

かつて谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』(一九三九年刊)で、日本文化の特質を日本家屋の豊かで深い陰影に求め、暗闇で映える芸術こそが日本的な芸術であるとした。屏風絵や襖絵はこうした暗がりのなかで輝くよう、金地や銀地が施されたのである。こうした金地は、刻々と移り変わる日光や灯火を反射してつねに一定せずにゆらめき、絵に奥深い陰影や動きを与えていたのだ。美術館のホワイトキューブに展示された金屏風を見ても、こうした生動感は想像できない。(「近世 ―並行する二つの歴史」)

 作品に接する際の時代的区分け、地域的区分けについて貴重な注意喚起も行っている。

 

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宮下規久朗
1963 -