「土佐日記」が好きなので紀貫之を悪く思ったことはない。歌も悪いとは感じない。
影見れば波の底成るひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき
正岡子規によって戦略的に「下手な歌よみ」と宣言されてしまった紀貫之ではあるが、大岡信は本書によって紀貫之の突出した才能、とりわけ和歌を公式文学化した力量とフィクション構築の才能を顕揚して見せる。
貫之はさらに、土佐日記という、隅におけない観察眼と諧謔と自己批評をもち、歌に関する卓抜な批評家の眼が光っている虚構的日記文学の創始者である。また、のちに紹介するように、彼を伊勢物語(もちろん勢語は後代の加筆を含むから、原伊勢物語ということになるが)の作者ないし最もありうべき作者と想定する説が、綿密な交渉をもとに二、三の学者によってとなえられていて、もとより私には立ち入った議論をする資格は全くないながら、これもまことに興味ある問題のように思われるのだ。貫之が土佐日記のみならず伊勢物語の作者でもあったとするなら、貫之の全貌は、とりわけおびただしい屏風歌の作者としての貫之のフィクション構築の才能との関連において、従来のどちらかといえば面白味にとぼしい人物像とは、だいぶ違ったものを示しはじめはしないか。(「なぜ、貫之か」p35)
伊勢物語の作者説は寡聞にしてはじめて知ったので、驚きとともにとても興味が湧いてきた。
律令制の崩壊、藤原摂関政治の定着、強化という事態にともなって、官吏登用の途はとざされてゆき、漢詩文の才によって抜群の出世をするという可能性も奪われてゆくにつれ、漢詩文への熱意が薄れ、かわって和歌が甦ってきたことについては、すでに見た通りである。この新しい状況と歌合の隆盛とが重なっていたことは注目してよい。というのも、歌合には当代の才媛たちがかなりの数参加しているからで、そのことはひるがえって、女たちの文字、すなわち「女手(おんなで)」と通称された略体漢字、というよりも、むしろ平仮名にきわめて近い「草仮名」の一層簡略化された文字が、彼女らを通じて宮廷の催しの中核部に侵入していったことを意味していよう。古今集は、そのようにしてすでに公式のものになりつつあった平仮名を、仮の文字(仮名とは本来こういう意味なのだ)から、公式の文字として決定的に位置づけたのである。(「袖ひぢてむすびし水の」p109)
優勢な書記法の変化と公的場での表現という状況変化も加わり、貫之の時代は歌のありようも大きく変化していたことが強調される。
この時代の歌は抽象性を本質としており、一人称ではなくて三人称で人事を語るということが、考えてみれば驚くべきことと思われるまでに普通のことだったのである。明治という、詩歌における一人称再発見の時代に、古今集が色褪せてしまったのはごく当然な現象だったことが、こういうところからも明らかになる。(「道真と貫之をめぐる間奏的な一章」p168)
時代の変化の中でメインストリームにいた人物の作品を、その時代の環境にも目を向けて改めて読んでみると、少し違った印象を持つようになる。紀貫之については本書が絶好の導き手となってくれると思う。
内容:
一 なぜ、貫之か
二 人はいさ心も知らず
三 古今集的表現とは何か
四 袖ひぢてむすびし水の
五 道真と貫之をめぐる間奏的な一章
六 いまや牽くらむ望月の駒
七 恋歌を通してどんな貫之が見えてくるか