読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

橋本治『ひらがな日本美術史』(1995)

最初の一行でやられた感じがした。全巻読んでみようと思った。

埴輪はかわいい。それは目が黒目がちで潤んでいるからだ。(p15)

 第一巻は日本美術の対象を発見していく時代の記述が印象的。

 我々日本人は、鎌倉時代になって初めて、「自分達の身の周りには、”美しい愛すべきもの”が存在している」ということを肯定したということである。絵巻物のような、描かれたものを眺める「絵」としてではなく、自分の道具の中に存在させて「愛する」という意味で、鎌倉時代は、初めて「花鳥風月」というモチーフを発見しえた時代なのだ。
(中略)
「我々は、鎌倉時代になるまで、”たった一輪の美しい花”でさえも、それを”美しい主役”として描こうとはしなかった」―こういうせつないような”事実”を知っておいてもいいのではないかと、私は思う。(その十七「愛すべき美しいもの」p182)

価値の定義についても明快に語ってくれている。

”美術史的価値”というのはなんだろう?
私の独断によれば、それは、「その創作の前提に模索を含むもの」である。美術史とはきっと、その時代その時代の新しい美を生み出す人々の模索の跡を辿るものなのだ。だからこそ、「”美術史的に素晴らしい仏像”とは、”仏像とはいかなるものか?”を模索しながら生まれた仏像なのだ」ということになる。(その二十「古典的であるようなもの」p209)

『ひらがな日本美術史』はじまりの一巻。

www.shinchosha.co.jp

目次:
その一   まるいもの 「埴輪」
その二   きれいなもの 「銅鐸」
その三   不可思議な世界を誕生させたもの 「寺」
その四   顔の違うもの 「法隆寺釈迦三尊像」前編
その五   聖徳太子でもあるようなもの 「法隆寺釈迦三尊像」後編
その六   不思議に人間的なもの 「中宮寺菩薩半跏像」
その七   夢のようなもの 「法隆寺金堂旧壁画」
その八   自由であるようなもの 「法隆寺金堂天井板落書」
その九   無慈悲に美しいもの 「源氏物語絵巻
その十   豊かさというもの 「神功皇后坐像」
その十一  ふくよかなものの変遷 「鳥毛立女屏風」と「源氏物語絵巻
その十二  物語であるようなもの 「伴大納言絵巻」
その十三  マンガであるようなもの 「信貴山縁起絵巻」と「伴大納言絵巻」
その十四  テーマパークであるようなもの 「平等院鳳凰堂
その十五  ポルノではないもの 「餓鬼草紙」と「病草紙」
その十六  恐ろしいもの 「教王護国寺講堂の彫像群」
その十七  愛すべき美しいもの 「三嶋大社の梅蒔絵手箱」
その十八  鎌倉時代的なもの 康慶作「法相六祖坐像」
その十九  人として共感出来るもの 運慶作「無著菩薩・世親菩薩立像」
その二十  古典的であるようなもの 快慶作「浄土寺阿弥陀三尊像」
その二十一 コミュニティを感じさせるもの 「東大寺南大門」

橋本治
1948 - 2019