読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

橋本治『ひらがな日本美術史2』(1997)

鎌倉・室町の中世の美術。
はじめて聞く「日本的」の定義。

日本人は、もうあらかたをしっている。そういう日本人にとって必要なのは、”その先の詳しさ”なのである。日本の文化はそのように発展して来た、私はそのように思う。その「あらかたを知っている」という”アバウトさ”こそが、日本人の身上なのである。なにをもって”日本的”というのかがよく分からないまま、日本人は”日本的”という言葉を平気で使うが、「大体のことはもう分っている」という安心感こそが、日本人に共通する最大の認識で、その共通認識の存在こそが”日本的”を成り立たせる基盤なのである。
そのような描き方を持っているから、そのようにしか描けない―日本人はその”限界”の中ですべてを了解してきた。私は、《四季花鳥図》という”とても詳しい絵”を見てそう思う。(その四十「日本的なもの」p218 太字は実際は傍点)

安心感がどこから来るのかは残念ながら読み取れなかった。

また、本巻はものを作るものの内実を繰り返し語っているという印象を持った。

人間は、見た通りのものを作るわけではない。人間は見たいものを作る「小さな鬼を作ろう」と思って、その鬼を胸の中にみる。小さな犬を見てしまった体験が、「あんな仔犬を作りたい」という感情を生む。人間は、自分の思いを見つめて、作品を作る。まだ形のないものに確かな形を与えようとして、自分の思いの中に具体的な形を見ようとする。「見た」という体験が、まだ見ることが出来ない目標を、点検しようとする。「対象を捉える目が行き届いている」というのは、そのようなことだ。(その二十二「歪んでいるのかもしれないもの」p15-16 太字は実際は傍点)

”写生”とは、「知っているはずのものを、”知らない”と思って見ること」である。既知のものから”知らないなにか”を探す行為が、写生なのだ。つまり、神様を探す行為と写生とは等しいのである。
外へ出て風景スケッチをする我々は、別に神様を探しているわけではない。しかし、スケッチしなければならない対象を、確かに真剣になって見る。そんな我々は、”見慣れた対象をそのまま映すため”にマジマジと見ているのではない。我々は、「その対象の中にあって、自分の中の”なにか”を刺激するもの」を探して、それがなんなのかを考えながら写しているのである。昔の人は、”神様”を発見すればよかった。今の我々は、”自分を刺激してくれる自分に必要ななにか”を探さなければならない。もしかしたら、現代の我々の方が大変なのかもしれない。(その三十四「神や仏の宿るもの」p150 太字は実際は傍点)

作家ならではの言葉だと思う。

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目次:
その二十二 歪んでいるのかもしれないもの 運慶作「八大童子立像」
その二十三 男の時代にふさわしいもの 「平治物語絵巻」前編
その二十四 それでも古典的なもの 「平治物語絵巻」後編
その二十五 得意なものと苦手なもの 「蒙古襲来絵巻」
その二十六 大和絵というもの 「北野天神縁起絵巻」
その二十七 さまざまな思惑のあるもの 神護寺「伝源頼朝像」
その二十八 なるようになったもの 藤原定家筆「小倉色紙」
その二十九 似絵というもの 藤原豪信筆「花園天皇像」
その三十  科学するもの 「小柴垣草子絵巻」
その三十一 まざまざと肉体であるようなもの 「稚児草子」
その三十二 とんでもなく美しいもの 「鹿苑寺金閣
その三十三 動き出そうとするもの 「日月山水図屏風」
その三十四 神や仏の宿るもの 「那智瀧図」「山越阿弥陀図」
その三十五 わかりやすいもの 雪舟筆「山水長巻」
その三十六 わかりにくいもの 雪舟筆「破墨山水図」
その三十七 意外とメルヘンなもの 黙庵筆「四睡図」
その三十八 生け花が生まれた時代のもの 「龍安寺石庭」
その三十九 平均値的なもの 狩野正信筆「山水図」
その四十  日本的なもの 狩野元信筆「四季花鳥図」
その四十一 まざりあうもの 「洛中洛外図屏風


橋本治
1948 - 2019