読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

レイ・カーツワイル『シンギュラリティは近い 人類が生命を超越するとき【エッセンス版】』(2005, 2016)

困った。主役ともいえるナノボットのイメージについていけない。

ナノテクノロジーを用いてナノボットを設計することができる。ナノボットとは、分子レベルで設計された、大きさがミクロン(一メートルの一〇〇万分の一)単位のロボットで、「呼吸細胞(レスピロサイト)」(人工の赤血球)などがある。ナノボットは、人体の中で無数の役割を果たすことになる。たとえば加齢を逆行させるなど(遺伝子工学などのバイオテクノロジーで達成できるレベルを超えて)。
◆ナノボットは、生体のニューロンと相互作用して、神経系の内部からヴァーチャルリアリティ(VR)を作りだし、人間の体験を大幅に広げる。
◆脳の毛細血管に数十億個のナノボットを送りこみ、人間の知能を大幅に高める。
(p37)

ほかにも執筆当時の科学の最先端情報をベースに、今後進展していくであろう、科学技術が圧倒的に進歩した世界の姿を提示しているのだが、果たして本当に実現可能なものか判断がつきかねる。技術の進歩とともにあるはずの政治経済の状況もイメージできない。楽観的すぎるようにも思えるがユートピア小説としてとらえてみた場合はウィリアム・モリスの『ユートピアだより』よりもリアリティがあるようには思う。『ユートピアだより』の世界を成立させているのは言ってみれば「善意」(に所有の観念の無化が加わったもの)だと思う。これには何のリアリティも感じることが出来なかった。トマス・モアの『ユートピア』には奴隷がいて大きな役割を担っている。こちらの世界は断然リアリティがある。レイ・カーツワイルのとなえる「シンギュラリティ」以後の世界はトマス・モアとウィリアム・モリスの間ぐらいのリアリティがある世界のように思う。「シンギュラリティ」以後の世界を支えるのは人工知能とナノボット。こちらは個別にみれば実際に開発の途上にある現実的な機械あるいは道具だ。完全否定するでもなく信仰するでもなく動向をきちっととらえていけばいいものだ。世界はその展開とともに変化していくであろうからそれもウォッチしていけばいい。作者も言っているように・・・

シンギュラリティ主義は、信念体系でもなければ、統一された見解でもないのだ。それは基本的に基礎となるテクノロジーの動向を理解することであり、それとともに、健康や富の本質から、死や自己の本質にいたるまで、すべてを考え直すきっかけとなる洞察なのだ。(p221-222)

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レイ・カーツワイル
1948 -