読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

大矢鞆音『もっと知りたい田中一村 生涯と作品』(2010)

「日本のゴーギャン」などとも呼ばれる田中一村だが、どちらかというと「日本のアンリ・ルソー」といった方が私にはしっくりくる。理由は画風。技術のある日本画アンリ・ルソー。著者で日本画家の大矢鞆音は「南の琳派」という呼び方をしていて、こちらのほうが妥当。奄美に移住する前の千葉時代から、濁りのない白と緑と黄色が鮮烈。
彫刻家の家に生まれ、七歳から南画を描いて天才と呼ばれていた一村は、二十三歳のときに新しい画風を模索し南画から離れ、後援者とも別れることになる。水墨画のよさはうっとおしい精神性にあると私に教えてくれたのは橋本治。一村の絵も、精神性を志向する南画よりも写生に移ってからの作品の方が、日本画水墨画の教養のないものにとってはとても分かりやすい。でも、幼いうちから画家として経済的に成り立っていた一村を支えていた、南画のマーケットが当時存在していたこと、その規模と趣味の在り方に、少し興味が湧いた。南画が好きな人の審美眼、評価基準というものを、南画と決別した一村の作品と絡めて、もう少し理解してみたい。昭和初期の作品、特に南画との決別をはかった「蕗の薹とめだかの図」はいい導き手になってくれると思う。

博物学者のような観察眼で克明に支援を見つめ続けた一村。写生にとどまらない精神性を秘めた華やかな装飾的様式は、やがて水墨画の味わいに多くの色を組み合わせた深い色相によって、亜熱帯の光と影を演出する新たな表現世界を確立していく。(p6)

 経済的には恵まれなかったが、自分の作品に対して最後まで自信と愛着を持っていたことがうかがわれる一村は、不幸ではなかったと思う。

東京美術 - 大矢鞆音『もっと知りたい田中一村 生涯と作品』(2010)

田中一村
1908 - 1977
大矢鞆音
1938 -