読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

島尾新監修『すぐわかる水墨画の見かた』(2005)

初心者向けに語られた水墨の大事な特徴。

「描かれたもの」と「墨」とのあいだを、見る人が行きつ戻りつするのが水墨の特徴である(「水墨画の主題(1)山水 風景画を超えた世界」p90)

いまはあまり表舞台に登場することのない水墨画の作品。この水墨画の衰退の根底には近代における時代趨勢としての中国の影響力の低下があった。そして現代人が感じる水墨画の分かりづらさは漢詩文の教養の欠落と、筆と墨を使わなくなってしまったことに原因があるという。

わかりづらくなってしまった原因は、そんな教養のレヴェルにのみあるのではない。
その根本は、筆と墨を使わなくなったこと。「見るだけだから関係ない」というわけにはいかない。
江戸時代までは、鉛筆も万年筆もワープロもなかった。なにをするにも筆と墨。そんな風に日常的に使っていれば、他人の字や絵を見ても「力がこもった・さらさらと」や「うまい・へた」が感じられる。それはただ視覚のみからくるものではない。自分で筆を執ったときの感覚が呼び覚まされて「体」で感じられるものなのだ。
(中略)
眼だけで見るのと体感するのとは違う。悲しいかな、人間は自分が経験したことしかリアリティをもって思い起こせない。「わかりづらさ」の根本は、この身体性が発動されなくなってきていることにある。(「水墨画をどう見るか」p9)

身体性を身につけることを念頭に、気が向いたから書道でもするかとはなかなかならないので、とりあえずは作品に触れて目だけは慣らしておくことにする。

東京美術 - 島尾新監修『すぐわかる水墨画の見かた』(2005)

 

目次:
水墨画をどう見るか
俵屋宗達 「破墨山水図」
酒井抱一 「花鳥十二ヶ月図」より
第一章 水墨画の表現技法
俵屋宗達 「蓮池水禽図嗚呼阿」 筆と墨の織りなす線と面
林十江 「双鰻図」 一本の線の多彩な役割
白隠 「大達磨図」 線が絵の表情を左右する
雪窓 「蘭竹図」 伸びと勢いの自在な変化
伝石恪 「二祖調心図」 手の動きが読みとれる
長沢蘆雪 「月夜山水図」 すっきりした諧調
池大雅 「倣王摩詰漁楽図」 疎密と濃淡を生かす
第二章 水墨表現のさまざま
狩野探幽 「雉子・鳩図」 いかにも日本的な水墨画
牧谿 「煙寺晩鐘図 視覚の記憶を呼び起こす
伝周文 「四季山水図」 余白は単なる「白」にあらず
梁楷 「李白吟行図」 最低限の要素で成り立つ
伝周文 「蜀山図」 不思議な浮遊感
伝周文 「竹斎読書図」 消え入りそうな書斎
長谷川等伯 「松林図」 荒さと静かさ
雪村 「蝦蟇・鉄拐図」 変だけどかわいい仙人
郭煕 「早春図」 山に託した世界観
尾形光琳躑躅図」 おしゃれな構図
松谿 「湖山小景図」 モチーフの配置がすべて
第三章 水墨画が描くもの
水墨画の主題(1)山水 風景画を超えた世界
雪舟天橋立図」
谷文晁 「彦山真景図」
田能村竹田 「松巒古寺図」
雪舟 「冬景山水図」
浦上玉堂 「東雲篩雪図」
水墨画の主題(2) 人物 肖像画を超えた豊かな表情
「一休和尚像」
渡辺崋山 「鷹見泉石像」
可翁 「蜆子和尚図」
海北友松 「飲中八仙図屏風」
曽我蕭白 「蝦蟇鉄拐図」より
明兆 「白衣観音図」
文清 「維摩居士図」
水墨画の主題(3) 花鳥 動植物のメッセージ
祥啓 「花鳥図」
雪村 「猿猴図」
雪舟 「四季花鳥図」
松村呉春 「梅林図屏風」
宮本武蔵 「枯木鳴鵙図」
円山応挙 「青鸚哥図」
伊藤若冲 「蔬菜涅槃図」
水墨画の主題(4) ジャンルを超えて
久隅守景 「納涼図屏風」
如拙瓢鮎図
水墨画の現在と未来 明治以降の水墨画
狩野芳崖 「雪景山水図」
「暁霧山水図」
横山大観 「煙寺晩鐘」
竹内栖鳳 「ベニスの月」
速水御舟 「墨牡丹」
富岡鉄斎 「後赤壁図」
川合玉堂 「朝もや」
横山操 「洞庭秋月」
「山市晴嵐
加山又造北宋水墨山水雪景」
水墨画人年表


島尾新
1953 -