読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

藤田真一『蕪村』(2000)

蕪村の味読を勧める岩波新書の一冊。ゆっくりと、古典文芸にも目を向けながら、蕪村の句に親しみましょうという誘いがある。

  白梅や誰が昔より垣の外

この句は、すべて和歌ことばからできている。俳諧的語彙(俳言 はいごん)が皆無で、和歌的表現で尽くされている。にもかかわらず、和歌的風情におちいらずに、俳諧味を与えているのが、この「垣の外」の語にほかならない。和歌では垣の内に梅が咲くはずのところを、垣の外としたことによって、いわば俳諧の世界に咲く梅となった。
俳諧のルーツは、和歌にある。それでいて、和歌的なものからの離陸を願望している。その意識があって、俳諧という文芸が存立しているといって過言でない。蕪村も、そのことをつねに意識していたはずだ。(第一章「「蕪村発見」の軌跡」p21-22)

 蕪村を好きになるのには古典の教養がなくても大丈夫だけれど、せっかくであれば日本的な文芸の教養からの照り返しも味わってみたいものだ。必要なのは時間的な余裕、というか蓄積か…

  菜の花や月は東に日は西に
  水にちりて花なくなりぬ岸の梅
  雨と成(なる)恋はしらじな雲の峰
  遅き日のつもりて遠きむかし哉

その(蕪村の)俳諧は、明治の時代になって、正岡子規らが言い立てたような写生調の俳句とは別種の味わいをもっている。表現された絵も句も、現実ありのまま、つまり見かけの外形表現からは遠く隔たっており、この世の俗塵を脱して、想像の境地にはばたくものであった。蕪村の作品どれをとっても、俗より発して、雅にいたる品性をそなえているといってよい。親しみと優雅さの両様が味わえるゆえんである。(「はじめに」ⅳ)

 写生からもインターテクスチュアリティからも味わえる懐深い蕪村の作品。

 

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内容:

第1章 「蕪村発見」の軌跡
第2章 「芭蕉」へのまなざし―蕪村時代の素描
第3章 俳画の妙
第4章 翔けめぐる創意―蕪村俳諧の興趣
第5章 本のプロムナード―俳書と刷り物の匠み
第6章 春風のこころ―「春風馬堤曲」の世界

 
蕪村
1716 - 1784
藤田真一
1949 -