読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

『吉野弘全詩集 増補新版』(2014)

吉野弘の詩は心の向きをやさしく変えてくれる。現実のあたらしい捉え方も教えてくれる。それでいて、固くも重くもない。ステキな重量感のある詩だ。
若き日々に労働組合運動に専念していたということもあってか、労働に関する詩がとても魅力的だ。それもプロレタリアートの闘争という感じではなく、労働をしているときの人の心と労働から離れた時の人の心のありようをうまくすくい上げているところが、すっと心にしみてくる。
『幻・方法』収録の「星」では

有用であるよりほかに
ありようのない
サラリーマンの一人は
職場で
心を
無用な心を
昼の星のようにかくして
一日を耐える。

          (「星」部分)

 

といい、日中の寂しさにやさしく心を寄せていてくれているところがとても印象に残る。さらに、今回読んだ中での私的ベストの詩篇「仕事」(『10ワットの太陽』収録)では、今まであまり意識したことのなかったような人の捉え方がされていて、視界が広がり安堵感が湧き出てくるのを感じた。

仕事


停年で会社をやめたひとが
――ちょっと遊びに
といって僕の職場に顔を出した。
――退屈でしてねえ
――いいご身分じゃないか
――それが、ひとりきりだと落ちつかないんですよ
元同僚の傍らの椅子に坐ったその頬はこけ
頭に白いものがふえている。

そのひとが慰められて帰ったあと
友人の一人がいう。
――驚いたな、仕事をしないと
  ああも老けこむかね
向かい側の同僚が断言する。
――人間は矢張り、働くように出来ているのさ
聞いていた僕の中の
一人は肯き他の一人は拒む。

そのひとが、別の日
にこにこしてあらわれた。
――仕事が見つかりましたよ。
  小さな町工場ですがね
  
これが現代の幸福というものかもしれないが
なぜかしら僕は
ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく
いまだに僕の心の壁に掛けている。

仕事にありついて若返った彼
あれは、何かを失ったあとの彼のような気がして。
ほんとうの彼ではないような気がして。

                                                             (「仕事」 全)

 

失った何かというのは、いわば裸の自分といったようなものなのではないかと想像する。嫌いではない仕事に向き合って張り合いのある自分と、職をもたず強制もされないが要求も頼られもせず、関係する世界が縮小するぶん自分をめぐる想いが巨大化して扱いづらく落ち着きの悪い自分。その落ち着きが悪く生気が抜けていくような悩みをもつ人物を「ほんとうの」「なつかしい」人物として、ひそかに評価し慈しんでいる作者がいる。普段そんなふうに評価される場面は出てこないので、詩として、そのような捉え方もあるよと教えてもらえたことに、なんだかホッとした。収入面での契約が途切れた時の自分を想像する際、一種の緩衝材として働いてくれるような詩だとおもった。

 

吉野弘は後期の詩作において漢字遊びの詩も展開している。その中で、先日画集で親しんだ鈴木春信の作品が思い浮かんできたのが『夢焼け』収録の「漢字喜遊病・症例報告(一)」の「雅と稚」。

「雅」は「稚」に似ています
「宮び」「宮廷ふう」という
「雅(みや)び」の美意識そのものが
「稚(わか)さ」「稚(おさな)さ」に通じているかも知れません

「雅」も「稚」もいわゆる仕事をしていない遊びの世界にあるものではないかと、仕事についての詩を書いてきた吉野弘の詩業をたどるなかで思いついたのであった。

青土社 ||文学/小説/詩:吉野弘全詩集

内容:

『消息』(1957)
『幻・方法』(1959)
『10ワットの太陽』(1964)
『感傷旅行』(1971)
『北入曽』(1977)
『風が吹くと』(1977)
『叙景』(1979)
『陽を浴びて』(1983)
『北象』(1985)
『自然渋滞』(1989)
『夢焼け』(1992)
歌詩一覧
収録詩集覚えがき
未刊行詩篇

 

吉野弘
1926 - 2014