読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

佐藤優『世界のエリートが学んでいる哲学・宗教の授業』(2018)

筑波大学での講義の書籍化。小峯隆生が聞き手となり対談形式で話が進む。この講義での佐藤優は圧倒的な知識を背景にアクロバティックに話を展開していく。レクチャーしながらも、圧縮された情報で相手の思考を揺さぶっていくようなスタイルには、怖さを感じる。講義の内容に感心するよりも、この人と話をするのは大変だという印象が先に立った。

ここでふまえておかなければいけないのは、ゲルナーも、アンダーソンも、広い意味でのマルクス主義の影響を受けて近代主義を提唱している点です。
近代において支配者階級と労働者階級が誕生しました。産業社会の誕生と国民形成の関連性から民族とナショナリズムについて研究しています。
ですから、私は、近代主義という切り口よりも、道具主義の視座で見たほうが、しっくりくるのではないかと思っています。
――道具主義ってなんでしょうか?
道具主義とは、「概念、理論は、それらがいかに精密で無矛盾であっても、仮説とみなされるべきである。概念、理論は、道具である。すべての道具と同様に、それらの価値は、それ自身の中にあるのではなく、その使用の結果、現れる作業能力(有効性)の中にある」というアメリカの哲学者ジョン・デューイの考え方です。もちろん道具主義近代主義の流れに属します。
産業社会で生まれた資本家たちや、支配する階級が、自分たちの暖かい場所を維持するために、自分たちが国民、民族の代表であるといった形を作ろうと、いろんなイデオロギー操作、イメージ操作を行いました。その結果、エリート層というものが生まれ、さらにそれらの人間が、自分たちの特権を維持するためにナショナリズムという物語(道具)が必要だったのです。(第九講「ナショナリズムについて」p125-126)

ここでの「道具主義」はプラグマティズムpragmatism)の訳語。中途半端な知識で耳で聞いているだけだと、なんだろうって考えているうちに、話は先に進んでいってしまう。物語が道具だというのも、とまどっているとおいてけぼりをくいそうな部分である。書籍化されているから何とかついていける話の速度と密度であった(全十七講で237頁だから、編集で圧縮しすぎている面があるのかもしれない…)。

 

www.php.co.jp

佐藤優
1960 -
小峯隆生
1959 -