読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

堀江貴文『すべての教育は「洗脳」である』(2017)

教育は洗脳、学習は自己調教。言い方だけという気もするが、相対化していくことは大事だと思う。堀江貴文はそんなことよりも「没頭する力」が大切と言っているけれど、アクセルを踏むための環境を整えるための状況確認として本書のような文章もとても大切。

学校はもともと、子供という「原材料」を使って、「産業社会に適応した大人」を大量生産する「工場」の一つだったのである。
今の学校も、この原則はまったく変わっていない。学校で押し付けられるのは、「工場=会社」の予行演習のようなことばかりだ。
(第1章「学校は国策「洗脳機関」である」 p25)

「できるわけがない」という言葉は、「変化したくない」や「このままでいたい」の言い訳でしかない。しかし、本当に今のその会社で、苦しい働き方をしながら「このまま」でいていいのか。
(第5章「会社はいますぐ辞められる」 p179)

賃金労働以外で稼ぐことを考える必要が出てきた時代の書。

すべての教育は「洗脳」である 堀江貴文 | 光文社新書 | 光文社

目次:
はじめに 「何かしたい」けど「今はできない」人たち
第1章 学校は国策「洗脳機関」である
第2章 G人材とL人材
第3章 学びとは「没頭」である
第4章 三つの「タグ」で自分の価値を上げよ!
第5章 会社はいますぐ辞められる
おわりに

堀江貴文
1972 -