読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ニコラウス・クザーヌス「ニコラウスへの書簡」(1463)

全能と限界付き能力の差異。人格神としてではなく神=無限として読み替えて参考にしている。

神においては不可能なことは何もないのであるから〔ルカ1・37〕、様態についてのいかなる問いも〔神においては〕消え失せるのである。なぜならば、神のうちでの存在容態は、全能を遂行する意志なのだからである。人が文字を書く場合には、その行為に向けて必要なだけ一定の様態が整っていない限り人間は書くことが出来ないのであるが、この事態の源は、多くのことが人間には不可能であるということ、さらには、人間というものは自分に不可能であることをもたくさん欲するということに存在しているのである。それゆえに人間は様態にこだわるのである。ところが、自由で全能なものとして行為する神にあっては、これとは全く異なっていて、彼は様態に束縛されることがないのである。その様態が理解できない限りは神がなすことが可能であるとは信じないとする者は、神に基づいてではなく、むしろ自己に基づいて判断しているのであって、全くの誤りを犯すことになるのである。
(第43節より 岩波文庫『神を見ることについて』 八巻和彦訳 p206-207)

 

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ニコラウス・クザーヌス
1401 - 1464
八巻和彦
1947 -