摺りの技術がよく紹介されているような印象を持った。
(雲母摺は)宝暦十二年(1762)、勝間龍水が、部分的にではあるが『海の幸』に用いたのが最初。その後二十数年を経た寛政元年(1789)、歌麿が初めて雲母摺を大首絵の地塗りに登用した。以来、この技術は写楽をはじめ、後の浮世絵師たちに受け継がれてゆく。光の加減で浮かびあがる煙草の煙は、雲母摺の上からさらに空摺を施したもの。そのさりげなさの中に江戸人の”粋”がのぞいている。(p6 「婦女人相十品・煙草を吸う女」解説)
ヨーロッパでの歌麿受容の先鋒としてのゴンクールに関する記述も興味深い。
ゴンクール「鍾愛の画家」となり、「日本のヴァトー」と称された風俗画家歌麿は、文豪の東洋芸術家列伝の第一冊目に選ばれた。その傾倒ぶりを伝える逸話をひとつだけ引いておこう。いわゆる歌麿伝説にまつわる一節である。「私のお気に入りの芸術家、歌麿が描くすらりと背の高い女たち、『(青楼)十二時』の中の一枚、蜘蛛の空色の巣を織ったような薄青い着物がずれて小さな肩を露わにし、胸がときめくようにやせた女の逸楽をそそるあの優雅さに、私はうっとりと放心してしまうのだ。」(p107 「ヨーロッパ歌麿成功史」、青楼十二時・巳ノ刻)
あと本書の記述から野口米次郎がゴンクールの『歌麿』を翻訳していたことが知れる。
目次:
「女絵」之章
歌麿女絵の決め手(下村良之介)
「博物図譜」之章
歌麿流「博物図譜」(安村敏信)
「枕絵」之章
艶本で読む歌麿(林美一)
ヨーロッパ歌麿成功史(稲賀繁美)
歌麿の生涯
喜多川歌麿
1753 - 1806
下村良之介
1923 - 1998
林美一
1922 - 1999
安村敏信
1953 -
稲賀繁美
1957 -