読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

片山杜秀・佐藤優『平成史』(2018)

片山杜秀佐藤優と四つに組んで戦わせた対談の記録。今後を生き抜くための処方箋を見出すための平成30年間の読み解き。結論部分で処方箋として出てきたのは教育の立て直しということで、おもに未来を担う人々に向けての環境整備をしていかなくてはならないということ。スローガンとしては「70年代以前に戻す」(佐藤優 p425)。人生の下り坂に入り込んでしまった年齢の私は、本当は教える側の視点でものごとを考えなければならないのだろうが、自分のことを考えるのでけっこう精一杯というか、身を持ち崩さないよう注意しながら不安のなかを少しずつ生きているのが現状といったところ。時に気を弛めて、今日は半日猫のつもりとか思いながら。いつまで勉強して働かなければいけないのだろうかと、見通しの悪い状況に気分をどんよりさせながら。終身雇用+年金生活という働き方のモデルが崩壊した後の世界で、だからといって事業を興して夢をかなえてみようという気持ちもないので、よりよくやり過ごす道がどこかにないものかと思いながら日々を送っている。でも、「70年代以前に戻す」ってのは、ちと難しいと思う。教育の現場とは異なるが、固定相場で金本位制で1ドル360円で、オイルショック前で、高度経済成長期で人口増加期(二次ベビーブーム以前)でロシアでなくソ連で、っていうのがない70年代以前というのは、感覚的には昭和初期あたりまで遡ったほうが近い感じになるのではあるまいか。よりシビアな時代。希望がなかなか見えない時代。上り坂をのぼる体力をつける教育よりも、下り坂を滑落せず放棄もしない知恵をつける教育のほうが自分だったら受けたい気がする。

さて、猫好きの佐藤優は猫には最も関係ないような地点から驚くべき事象の読み解きをしてくれるところが魅力、というか脅威。

実は、この年(引用者注:2010年)、日本の軍事力の高さが可視化された出来事があったんですよ。6月、小惑星イトカワを観測した探査機ハヤブサが約7年ぶりに地球に戻ってきた。これで日本が大気圏外から任意の場所になんでも落とせる能力を持つことを世界中が知った。(第五章「「3・11」は日本人を変えたのか」 p217)

国家運営に携わっていたこともある人の現実認識というのは怖い。佐藤優が厳しい現状認識を展開するなかで、こちらも厳しい視線ではあるのだが、佐藤優とは別の情報を片山杜秀が自分の生活感情も絡めつつもたらしてくれるところは好ましい。

丸山眞男は、マックス・ウェーバーロシア革命論に言及しながら、ロシア革命はモスクワやペテルブルクに電気や水道、ガスなどのインフラがなかったから遂行できたと語っている。まだランプや水汲みで生活していた。近代生活は、電気やガス、水道が1日でも止まったら成り立たない。近代社会の都市生活者は、電気、ガス、水道が止まることをいちばん恐れる。インフラの維持にもっとも関心を持つと言うのです。
インフラが止まるような騒乱状況は民衆の支持を得られない。高度資本主義国の市民は電気やガスや水道を自分の肉体の血流と同様に考えているから、止まるとなったら、対応だけで頭がいっぱいになって、政治や経済や社会の大きな話はそっちのけになってしまう。したがって丸山は高度資本主義社会では暴力革命を起こしても失敗するという。
これに梅本克己は反論しますが、3・11を見ると、丸山の正しさが証明されたように感じました。原発が爆発するかもしれない状況だというのに、冷蔵庫が使えなくなったらどうしようと計画停電の心配が先に立ったでしょう。停電したらパソコンがどうなるかとか、原稿仕事も電気に依存しているからできなくなるのではないかとか、私もそんなことで頭がいっぱいになっていました。
福島の一部が住めなくなるという大事が起きたにもかかわらず、それでも価値観は変わらなかった。生活を保守することが何事にも優る。文明生活がたどり着いたところです。(第五章「「3・11」は日本人を変えたのか」 p244-245)

インフラに問題がある世界は怖い。でも化石燃料はいつか枯渇する。独居老人になってインフラ問題なんかに直面したら、それは怖いだろう。シンギュラリティが来るかどうかよりも、エネルギー調達問題のほうがより確実でより恐ろしいことではないかと思う。個人の力ではどうにもならないことではあるけれど…

 

こちらは念力主義に陥る可能性が無きにしも非ずだが、直近でヤスパースを読んでいたので実存主義という言葉が出てきたときはハッとした。

ホラー映画の文脈では、人間としての実存が試された結果、生き延びる人もいるということでしょう。存在に根拠がなくてもそれでも生きているという経験が自信になって自己回復するというのが実存主義的思考のポジティヴな展開形体でしょう。そうなってくると希望の原理ですよね。哲学や思想がなくても希望はありうるというのが神なき時代の実存主義の明るさですね。(第六章「帰ってきた安倍晋三、そして戦後70年」 p319-320)

実存主義。実存に向き合い続けるのは過酷だが、向き合った経験があると、歯止めやバネとしてある程度は機能してくれるだろう。

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目次:
第一章 バブル崩壊55年体制の終焉  
平成元年―6年(1989年―1994年)

第二章 オウム真理教がいざなう
千年に一度の大世紀末 51
平成7年―11年(1995年―1999年)

第三章 小泉劇場、熱狂の果てに 
平成12年―17年(2000年―2005年)

第四章 「美しい国」に住む
絶望のワーキングプアたち 
平成18年―20年(2006年―2008年)

第五章  「3.11」は日本人を変えたのか 
平成21年―24年(2009年―2012年)

第六章 帰ってきた安倍晋三
そして戦後70年 
平成25年―27年(2013年―2015年)

第七章 天皇は何と戦っていたのか 
平成28年平成31年(2016年―2019年)

 

佐藤優
1960 -
片山杜秀
1963 -