読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【謡曲を読む】新潮日本古典集成 伊藤正義校注『謡曲集 上』その2

「善知鳥」のなかの「南無幽霊」という科白はなんだか衝撃的だ。
南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、南無大師遍照金剛と同列に南無幽霊とは普通言わないだろう。ちなみに「善知鳥」の作者は不明だそうだ。

【右近】
桜葉の神と鹿島の神職との交歓の劇

げに今とても神の代の げに今とても神の代の 誓ひは尽きぬしるしとて 神と君とのおん恵み まことなりけりありがたや まことなりけりありがたや 

 

【善知鳥】
生前の殺生のため苦しむ猟師の霊と旅僧の語りの劇

南無幽霊出離生死頓証菩提(ナムイウレイシュツリショオジトンショオボダイ)
※南無幽霊、生死の迷いを離れ、すみやかに成仏し給え

 

采女
帝の心変わりを恨み池に身を投げた采女の霊と旅僧の語りの劇

恥づかしながらいにしへの 采女が姿を現はすなり 仏果を得しめおはしませ もとよりも人々(ニンニン)同じ仏性なり なに疑ひもなみの上 水の底なる鱗類(ウロクズ)や 乃至草木国土まで 悉皆成仏 疑ひなし

 

【鵜羽】
龍女豊玉姫の霊と廷臣の語りの劇

山も入り海 海をも山に 成すこと易き 満干(ミチヒ)の玉(タマ) かほどに妙(たへ)なる 宝なれども ただ願はしきは 聖人の 直(スグ)なる心の 真如の玉を 授け給へや 授け給へと 願ひも深き 海となつて そのまま波にぞ 入りにける

 

【梅枝】
楽人の富士と浅間のあいだで鼓の役をめぐって争いが起こり、嫉妬で富士が殺されてしまった。富士の妻は嘆きのうちに亡くなり霊となる。その富士の妻の霊と旅僧の語りの劇

われも御法に 引き誘はれて われも御法に 引き誘はれて いま目前に 立ち舞ふ舞の袖 これこそ女の 夫を恋ふる 想夫恋(ソオブレン)の 楽の鼓 うつつなのわが ありさまやな

 

【江口】
西行法師にゆかりのある江口の遊女の霊が旅僧との語らいの劇

実相無漏(ジッソウムロ)の大海(タイカイ)に 五塵六欲の風は吹かねども 隨縁真如の波の 立たぬ日もなし 立たぬ日もなし

 

【老松】
都の梅津某と天満宮の老松の神との語らいの劇(+菅原道真の故事)

太宰府にて詩をおん作り候 家を離れて三四月 落つる涙は 百千行(ハクセンコオ) 万事はみな夢の如し よりより彼蒼(ヒソオ)を仰ぐ またおん歌に 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそと遊ばされ候へば 紅梅飛び来りて候 また桜は君のおん別れを悲しみ 都にて枯れ申し候 またその時 梅は飛び桜は枯るる世の中になにとて松はつれなかるらんと かやうに遊ばし候へば この松おん跡を慕ひ この所へ来りて候ふにより 追松(オイマツ)と申し候

 

【鸚鵡小町】
老いた小野小町と新大納言行家との語らいの劇

昔は芙蓉の花たりし身なれども 今は藜藋の草となる 顔ばせは憔悴と衰へ 膚(ハダエ)は凍梨(トオリ)の梨のごとし 杖つくならでは力もなし

 

【小塩】
在原業平の霊と花見の男との語らいの劇

心やをしほの 山風吹き乱れ 散らせや散らせ 散り迷ふ 木(コ)の本(モト)ながら まどろめば 桜に結べる 夢か現か 世人(ヨヒト)定めよ 寝てか覚めてか 春の夜の月 曙の花にや 残るらん

 

【姥捨】
老女の霊と都の男との語らいの劇

そのまま土中に埋もれ草 かりなる世とて今ははや 昔語りになりし人の なほ執心は残りけん 亡き跡までもなにとやらん 物凄ましきこの原の 風も身に沁む 秋の心

 

 

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伊藤正義
1930 -2009