読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【謡曲を読む】新潮日本古典集成 伊藤正義校注『謡曲集 中』その3

小野小町は老いても落ちぶれたり取り乱したりする可能性は少ないと思うのだが、劇としては、若く美しい往年の姿と老いて醜い現在の姿の対比が効果的で好まれ、同趣旨の作品がいくつもつくられている。

【角田川】
人商人に拐わされ死んでしまった梅若丸の霊とその母(狂女)との劇

残りても かひあるべきは空しくて かひあるべきは空しくて あるはかひなきははきぎの 見えつ隠れつ面影の 定めなき世の慣らひ 人間愁ひの花盛り 無常の嵐音添ひ 生死長夜(ショオジジョオヤ)の月の影 不定の雲覆へり げに目の前の憂き世かな げに目の前の憂き世かな

 

誓願寺
和泉式部の霊と一遍上人の応対の劇

神といひ仏といひ ただこれ水波(スイハ)の隔てなり しかれば和光の影広く 一体分身(イッタイフンジン)現はれて 衆生済度の御本尊たり されば毎日一度(ヒトタビ)は 西方浄土に通ひ給ひて 来迎引摂(インジョオ)の誓ひを現はしおはします

 

【善界】
仏法妨害を企てる大唐の大天狗善界坊と比叡山の飯室僧正との対抗劇

不思議や雲の 中(ウチ)よりも 不思議や雲の 中(ウチ)よりも 邪法を唱ふる 声すなり もとより魔仏 一如にして 凡聖不二(ボンショオフニ)なり 自性清浄(ショオジョオ) 天然動きなき これを不動と 名づけたり

 

【関寺小町】
老女となった小野小町と関寺住僧の劇

ささ波や 浜の真砂は尽くるとも 浜の真砂は尽くるとも 詠む言の葉はよも尽きじ 青柳の糸絶えず 松の葉の散り失せぬ 種は心と思しめせ たとひ時移り事去るとも この歌の文字あらば 鳥の跡も尽きせじや 鳥の跡も尽きせじや

 

殺生石
殺生石に取り憑いたかつて玉藻の前であった野干(狐)の魂と玄翁との劇

石に精あり 水に音あり 風は太虚に渡る 形を今ぞ 現はす石の 二つに割るれば 石魂忽ち 現はれ出でたり 恐ろしや 不思議やなこの石二つに割れ 光の中(ウチ)をよく見れば 野干(ヤカン)の形はありながら さも恐ろしき人体なり

 

【千手重衡】
頼朝が遣いとして派遣した千手前と虜囚平重衡の交歓と別離の劇

その時千手立ち寄りて 妻戸をきりりと押し開く 御簾の追ひ風匂ひ来る 花の都人に 恥づかしながら見みえん げにや東(アズマ)の果てしまで 人の心の奥深き その情(ナサケ)こそみやこなれ 花の春紅葉(モミジ)の秋 誰(タ)が思ひ出となりぬらん

 

【卒都婆小町】
老残の小野小町深草の少将の霊が憑依し狂乱する劇

とよの明かりの節会(セチエ)にも 逢はでぞ通ふにはとりの 時をも変へず暁の 榻(シジ)の端書き 百夜(モモヨ)までと通ひて 九十九夜になりたり あら苦し目まひや 胸苦しやと悲しみて 一夜を待たで死したりし 深草の少将の その怨念が憑き添ひて かやうに物には 狂はするぞや

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伊藤正義
1930 -2009