小説、だろうか。愛する人をなくしたなかで書かれた散文。ただ、ひたすら悲しく空しい想いのなかでなされた仕事。
本を読んでいると時々こういう作品に出会う。その時に感じるのは人間が生きていることの重量感だ。死者の後を追って死ぬこともできない。生きて、時間を過ごし、自分の仕事をする。ほかの動物とは違って感情の痕跡が仕事として、記録として残る。鎮魂ともまた異なる、異なる世界が突然はじまってしまったために起こった有無を言わさぬ基礎工事の跡。良し悪しを言って終りにできない、どうにもならない時を確実に生きていた人の痕跡が、読み手にも確実に刻まれる。
気球で飛びまわることは自由を意味した。ただし、それは風向きや天候に左右される自由だ。気球が動いているのか止まっているのか、上昇しているのか下降しているのか、乗っている本人にすらわからないことがよくある。最初のころは羽根を一つかみ放って、それが上へ行けば気球は下降中、下へ行けば上昇中と判断していた。(Ⅰ「高さの罪」p15)
気圧の差が風を生む。強風も無風も時に残酷な姿を見せるが、風や空気自体には善悪も意味もない。
ジュリアン・バーンズ
1946 -
土屋政雄
1944 -