読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

永井荷風訳 仏蘭西近代抒情詩選『珊瑚集』(1950 中公版、1991 岩波文庫)でボードレールの『悪の華』72 Le Mort joyeux を読む

『濹東綺譚』などの変った老人とは違った永井荷風。はじめからひねた老人ではなく、変った青年であり、中年でもあった。洋モノ好きでもあった一面を、生涯手を入れていた訳詩集『珊瑚集』で味わう。本日引用するのは巻頭詩のボードレールの「死のよろこび」。私にとってボードレール悪の華』といえば集英社文庫版の安藤元雄訳なので並べて味わってみる。

 

死のよろこび シャアル・ボオドレエル 永井荷風
陽気な死人  シャルル・ボードレール 安藤元雄

蝸牛(かたつむり)匍(は)ひまはる泥土(ぬかるみ)に、
蝸牛(かたつむり)でいっぱいのねばねばとした土の中に
われ手づからに底知れぬ穴を掘らん。
ひとつこの手で掘るとしようか 深い穴を。
安らかにやがてわれ老いさらぼひし骨を埋(うず)め、
その穴にのんびりと わが古ぼけた骨を並べて
水底(みなそこ)に鱶(ふか)の沈む如(ごと)忘却(わすれ)の淵(ふち)に眠るべし。
波間の鱶(ふか)のように忘却の中で眠れるといい。

われ遺書を厭(い)み墳墓をにくむ。
遺書などはごめんだ 墓もごめんだ。
死して徒(いたずら)に人の涙を請(こ)はんより、
世間の涙を乞(こ)い願うくらいならむしろ、
生きながらにして吾(われ)寧(むし)ろ鴉(からす)をまねぎ、
生きたまま、鴉(からす)どもを呼び寄せる方がましだろう。
汚(けが)れたる脊髄(せきずい)の端々(はしばし)をついばましめん。
おのれのけがれた図体(ずうたい)のどこからでも血を採ってくれと。

あゝ蛆蟲(うじむし)よ。眼(め)なく耳なき暗黒の友、
おお 蛆虫(うじむし)よ! 耳もなく目もない黒い仲間よ、
汝(なれ)が為めに腐敗の子、放蕩(ほうとう)の哲学者、
ごらん 自由で陽気な死人がひとり 君たちのところへ来たぞ。
よろこべる無頼の死人は来(きた)れり。
悟りすました道楽者よ、腐敗の生んだ息子たちよ、

わが亡骸(なきがら)にためらふ事なく食(くい)入りて、
さあ くよくよせずにおれの残骸(ざんがい)を通りぬけて、
死の中(うち)に死し、魂失せし古びし肉に、
言ってくれ まだ何か苦しめる手段が残っているか
蛆蟲よ、われに問へ。猶(なお)も悩みのありやなしやと。
魂もなく 死者のうちでもとりわけ死んでいる この古い肉体を!

 

永井荷風訳】

死のよろこび シャアル・ボオドレエル

蝸牛(かたつむり)匍(は)ひまはる泥土(ぬかるみ)に、
われ手づからに底知れぬ穴を掘らん。
安らかにやがてわれ老いさらぼひし骨を埋(うず)め、
水底(みなそこ)に鱶(ふか)の沈む如(ごと)忘却(わすれ)の淵(ふち)に眠るべし。

われ遺書を厭(い)み墳墓をにくむ。
死して徒(いたずら)に人の涙を請(こ)はんより、
生きながらにして吾(われ)寧(むし)ろ鴉(からす)をまねぎ、
汚(けが)れたる脊髄(せきずい)の端々(はしばし)をついばましめん。

あゝ蛆蟲(うじむし)よ。眼(め)なく耳なき暗黒の友、
汝(なれ)が為めに腐敗の子、放蕩(ほうとう)の哲学者、
よろこべる無頼の死人は来(きた)れり。

わが亡骸(なきがら)にためらふ事なく食(くい)入りて、
死の中(うち)に死し、魂失せし古びし肉に、
蛆蟲よ、われに問へ。猶(なお)も悩みのありやなしやと。

 

安藤元雄訳】

陽気な死人 シャルル・ボードレール

蝸牛(かたつむり)でいっぱいのねばねばとした土の中に
ひとつこの手で掘るとしようか 深い穴を。
その穴にのんびりと わが古ぼけた骨を並べて
波間の鱶(ふか)のように忘却の中で眠れるといい。

遺書などはごめんだ 墓もごめんだ。
世間の涙を乞(こ)い願うくらいならむしろ、
生きたまま、鴉(からす)どもを呼び寄せる方がましだろう。
おのれのけがれた図体(ずうたい)のどこからでも血を採ってくれと。

おお 蛆虫(うじむし)よ! 耳もなく目もない黒い仲間よ、
ごらん 自由で陽気な死人がひとり 君たちのところへ来たぞ。
悟りすました道楽者よ、腐敗の生んだ息子たちよ、

さあ くよくよせずにおれの残骸(ざんがい)を通りぬけて、
言ってくれ まだ何か苦しめる手段が残っているか
魂もなく 死者のうちでもとりわけ死んでいる この古い肉体を!

 

日本のボードレール好きは、自作になるとボードレール好きを貫けないのがなんとなく寂しい。好みを貫いたのは夭折した富永太郎くらいだろうか。ボードレールは詩のひとつの頂点であるので、やわな日本人の身の丈に合わないというところも出てくるのだろうが、一読者としては、身をよじって世間に抵抗している詩というものをもっと読みたいと思ってしまう。もっと虚構の塔を!バザールもいいけど、やっぱり伽藍も欲しいのよ。正の伽藍に向き合う、負の伽藍を、呆気にとられながら見てみたい。


永井荷風
1879 - 1959
安藤元雄
1934 -
シャルル・ボードレール
1821 - 1867