読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

伊藤恵理『みんなでつくるAI時代 これからの教養としての「STEAM」』(2018)

STEAMは科学、技術、工学、芸術、数学の頭文字。AI時代、データサイエンティストの時代と言われてから大学以降の数学の価値が急速に高まってきている。そこを選択し勉強してきた人、競争は激しくなったと思うけど、受け皿が拡大して良かったね。『容疑者Xの献身』(原作:東野圭吾 2005)は映像しか見ていないけれど、今は「違った数学」というものを選択できる時代になっているようで、その業界の人にとってはいいことだ。GAFAのような今の先端を行く企業は、高度な数学的知識を持つ人間を放ってはおかないだろう。

さて、一般人たる私。四則演算と条件分岐の愚直な適用で、プログラマ&SE業界で何とか糊口をしのいでいる。コーディングより読書が好きな文系人間。そして文芸+芸術かぶれが人生を脱線させやすいことを身をもって知り、生きる中年。論理はある程度分かるけれど、エレガントなアルゴリズムとか、高速なアルゴリズムとか、価値創出的な数学とかに対する感性は、ない。あったらいいなと思うけれど、ない。単純に数学の蓄積がないから。数学を逃げたから。憧れがすこしでもあるなら、自分たち世代の子供の年齢の人間にも教えを乞いながら勉強すれば、今からでも別の世界を見ることもできそうな気がするけれど、どうにもパッションが足らない。
本書の著者、伊藤理恵(本年40歳。無論、私よりだいぶ若い)は、読者にパッションを伝えようとしている。たぶん入り口としての役割は十分果たしている。パッションは日本語では「情熱」であるとともに「受難」と訳される。私はパッションは基本的に受動的なものだと思っている。他なるものに出会い注入されるもの。出会いの機会は、恐らく誰にとっても何度もある。問題はそれを自分の中で維持していけるかどうか。「受難」の部分に向き合えるかどうか、他の可能性をひと先ず断って、とげとげの先端に専念できるかどうか、そこがたぶん分岐点だ。

科学技術の研究開発やそのビジネスにたずさわる人たちに求められる4つの要素は、「目先」、「口先」、「手先」、そして「胸先」です。
(第5章「教養を身につければAI時代の舞台は世界になる」p209)

先見の明を持つ「目先」、コミュニケ―ション能力としての「口先」、技術力の「手先」、それに加えてモチベーションとしての「胸先」。著者ははこの中で成功の原動力になるのは「胸先」だと言っている。

「目先」「口先」「手先」の3つの要素をひとりで備えるのは、とっても大変です。達成目標が大きくなれば、それは不可能というもの。
そこで、プロジェクトチームを組み、各人の個性を生かしながら、チームプレーで3つの要素を実現していくのです。つまり、チームの中で「目先」「口先」「手先」のどれかは、自分のものでなくてもいいということですが、「胸先」だけは自分のものとつながって欲しいです。
(第5章「教養を身につければAI時代の舞台は世界になる」p211)

「胸先」。あるに越したことはない。けど、ない場合もある。というよりも無くなったというか、薄れたとかいうか、目をそらして離れてしまったというケースのほうが多いだろうか。それでも「目先」「口先」「手先」のいずれかの分野で比較優位が発生することもあり、低位の「胸先」を手に入れられる可能性もある。完全に自分自身に目を背けなければ、光明が射してくる方向もある。必要とされ、権利を主張できる領域も出て来る。自分の視線の位置がブレなければ(ようは高望みしなければ)、まあ何とか不確定性に向き合うこともできる。極限ではなく中間の位置からなんとなくっていうのも無いことはない。

 

【メモ】
・STEAM(スティーム):科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、芸術(Art)、数学(Mathematics)の頭文字をつなげたもの
・ジャーナリストのマルコム・グラッドウェルと経済学者のスティーヴン・レヴィットはシリコンバレーでは必須の教養。

 

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目次:
はじめに
第1章 AIはわたしたちの存在を脅かすのか?
第2章 みんなでつくるAI時代の社会システム
第3章 AI時代の対話力になる基礎教養「STEAM」
第4章 AI時代に求められる科学的思考力の鍛え方
第5章 教養を身につければAI時代の舞台は世界になる
おわりに

伊藤恵理
1980 -