読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

吉田武『虚数の情緒 中学生からの全方位独学法』(2000)

名著。虚数を通して量子力学の世界にも手引きしてくれていて、お得。先日科学哲学の入門書で何の説明もなしに出てきて困った「虚時間」や「ファインマン経路積分法」についても紹介があり、さらに興味付けもしてくれて大変ありがたい。千頁の大冊だが19年で31刷。いいものは重くてもそれなりに売れるということを実証してくれている。

【虚時間】

アインシュタイン相対性理論は、その名前とは裏腹に、「光の速度は、光源の運動とは関係なく、如何なる観測者から見ても不変である」という、光速度不変を”絶対視する”理論、即ち「光の絶対性理論」なのである。この前提から、質量や時間や空間といった、基本的な物理量もある種の変換を受ける。(中略)私達は、右に左に、空間内を自在に往来できるが、一方、時間は過去から未来への一方通行である。この不統一は虚時間の世界では一掃される。虚時間では、空間と同様に、自由自在に過去も未来も行き来することが出来る。如何に奇妙に見えようと、時間と空間を区別せず、対等に扱うのが相対性理論の主張であるから、虚時間をまったく無意味であるとして、簡単に捨て去ることはできないのである。(第七章「虚数:想像された数」7.6.4「時空の物理学:世界は虚数である」p513)

ファインマン経路積分法】

ハイゼンベルク不確定性原理は、量子力学の世界には、古典力学の如き「粒子の軌道」という概念が、成立しえないことを具体的に示したものである。然し、人間が考える為には具体性が必要である。如何に抽象的な概念であっても、それを初めて考えた人の頭の中には、具体的な対応物が存在していた筈である――”抽象的概念を抽象的に考える”などということが出来る筈がない。その意味で、”軌道の追放”を宣言したハイゼンベルク流の方法は、理論物理学者にとって頭痛の種であった。(中略)(ハイゼンベルク流の方法にもシュレディンガーの方法にも)どちらの手法にも馴染めなかったファインマンは、遂に”学ぶ”ことを諦めた。”作る”ことにしたのである。彼は、有名なディラック量子力学の教科書に刺激を受けて、古典的な軌道の考え方を復活させようと試みた。但し、それは「可能なすべての経路」という、これまでの物理学の歴史の中に登場した事の無い突拍子もない代物であった。(第12章「波と粒子の狭間で」p920-922)

 相対性理論量子力学の話を数学の教育者が日本語表現の技術だけで情報量を落とすことなく分かりやすく見事に伝えている。本書の凄さは、数式に依らずに理論の革新部分を伝えてしまう、著者の表現能力にあると思う。数学嫌いということだけで知らない世界が出来てしまうことを決して許さないという教育者の熱い魂が感じられ、読後には感動さえ湧き上がって来る。

最後に2000年当時最先端の知見であったであろう量子脳力学(Quantum Brain Dynamics)とそこで主張されている記憶のメカニズムを紹介してくれているところも刺激的。ベルクソンの『物質と記憶』あたりを持ち出してAIを語ったりされるよりも衝撃度が強い。


目次:
第I部 独りで考える為に
0章 方法序説:学問の散歩道
0.1 数学教育の問題点
 0.1.1 数学は積み重ねか
 0.1.2 数学は暗記科目か
 0.1.3 数学は役に立つか
0.2 選択の自由と個性
 0.2.1 選択の自由とは何か
 0.2.2 個性とは何か
 0.2.3 生き甲斐とは何か
0.3 子供とは如何なる存在か
 0.3.1 子供は無邪気か
 0.3.2 子供は自分をどう見ているか
 0.3.3 「民主主義」とは何か
0.4 文明と文化と
 0.4.1 読書の意味
 0.4.2 時代の表記法:干支と元号
0.5 「科学」と「技術」
 0.5.1 歴史小説と歴史年表
 0.5.2 狩猟民族としての科学者
 0.5.3 適性を見抜く
 0.5.4 高次のロマンを求めて
0.6 物理と数学の関係
 0.6.1 数式と記号:なぜ数式を用いるのか
 0.6.2 推論の道具として
 0.6.3 帰納と演繹
 0.6.4 特殊から一般へ
0.7 数学を敬遠するとどうなるか
 0.7.1 人を愉しませる文化
 0.7.2 無意味な区分け
 0.7.3 二分法を越えて
 0.7.4 マスコミの影響
 0.7.5 人文嫌いは何故生まれるか
 0.7.6 数学に挑む
0.8 知性の誕生
 0.8.1 宇宙の誕生
 0.8.2 物質の誕生
 0.8.3 星の誕生
 0.8.4 太陽、地球、そして生命の誕生
 0.8.5 人類の誕生
 0.8.6 文化の誕生
 0.8.7 我々は如何なる存在か
0.9 旅立ちの前に
 0.9.1 研究とは何か
 0.9.2 ものの見方
 0.9.3 過去の全人類の頭脳の集約として
 0.9.4 第一部の終りに

第II部 叩け電卓!掴め数学!
1章 自然数:数の始まり
1.1 すべては自然数から始まる
 1.1.1 素読の勧め
 1.1.2 計算の初め:九九
1.2 計算の規則
1.3 数の原子:素数
 1.3.1 素数素因数分解
 1.3.2 エラトステネスの篩
1.4 約数と倍数
 1.4.1 原子論
 1.4.2 数の原子論
1.5 奇数と偶数
1.6 空きの記号「0」
 1.6.1 記数法:10進数
 1.6.2 指数法則
 1.6.3 記数法:60進法
2章 整数:符号を持つ数
2.1 数としての「0」
2.2 自然数から整数へ
 2.2.1 整数の持つ方向性
 2.2.2 指数法則:整数の場合
 2.2.3 整数の濃度
2.3 暗算の秘術
 2.3.1 法則を探る
 2.3.2 式の展開と因数分解
2.4 パスカルの三角形
2.5 基本的な図形の持つ性質
 2.5.1 太陽光線と同位角
 2.5.2 三角形の内角の和
 2.5.3 地球を測った男
 2.5.4 図形の等式:合同とは何か
 2.5.5 図形の拡大と縮小:相似とは何か
2.6 三平方の定理
 2.6.1 ピタゴラス
 2.6.2 プリンプトンNo.322
2.7 フェルマー・ワイルスの定理
3章 有理数:比で表せる数
3.1 分数の加減乗除
 3.1.1 足し算・引き算
 3.1.2 掛け算・割り算
3.2 電卓のホラー表示
3.3 小数の種類
 3.3.1 有限小数無限小数
 3.3.2 循環小数の「新しい表現」
3.4 少数の表し方
 3.4.1 10進数の指数表記法
 3.4.2 2進数ととエジプトの数学
 3.4.3 2進小数
3.5 電卓の誤差
3.6 小数と分数:相互の変換
3.7 計算の精度
3.8 バビロニアン・テーブルの秘密
3.9 有理数の濃度
4章 無理数:比で表せない数
4.1 帰謬法の考え方
4.2 無理数と少数の関係
4.3 ギリシャの思想と無理数
 4.3.1 タレス
 4.3.2 ピタゴラス
 4.3.3 もう一つの粘土板
 4.3.4 プラトン
 4.3.5 洞窟の比喩とイデア論
4.4 平方根の大きさを見積る
4.5 無理数の居場所
4.6 無理数有理数の関係
 4.6.1 指数法則:有理数の場合
 4.6.2 無理数を近似する有理数
 4.6.3 指数法則:無理数の場合
4.7 数を聴く・音を数える
 4.7.1 ピタゴラス音律
 4.7.2 純正調音律
 4.7.3 十二平均律
4.8 無理数の「循環する表現」
5章 実数:連続な数
5.1 実数の連続性
 5.1.1 繰り返し計算の行き着く先
 5.1.2 数の減り方
5.2 実数の濃度
5.3 数と方程式
 5.3.1 式に関する用語
 5.3.2 一次方程式の解法
 5.3.3 方程式と関数
5.4 座標と関数のグラフ
 5.4.1 グラフと座標
 5.4.2 一次関数のグラフ
 5.4.3 連立方程式とグラフ
 5.4.4 座標の交換
5.5 等号の意味と怪しい用法
 5.5.1 等号の用法
 5.5.2 英文法と等号
5.6 実数の濃度と平面の濃度
6章 実数:拡張を待つ数
6.1 二次方程式
 6.1.1 根の公式
 6.1.2 誤差と相対誤差
6.2 円周率を求める
 6.2.1 三平方の定理と漸化式
 6.2.2 桁落ちを避ける
 6.2.3 角度と弧度
6.3 二次方程式と二次関数
 6.3.1 二次関数の最大値と最小値
 6.3.2 接線の傾きと極値
 6.3.3 関数の連鎖
 6.3.4 等積変形から反比例へ
6.4 平方根を四則から求める
6.5 美の論理と自然の神秘
 6.5.1 複写用紙の幾何学
 6.5.2 黄金分割
 6.5.3 見事な,余りにも見事な
 6.5.4 フィボナッチの数列
 6.5.5 黄金数とフィボナッチ数の精妙な関係
6.6 天才・アルキメデスの剛腕
 6.6.1 不世出の天才の業績
 6.6.2 取り尽くし法
 6.6.3 二段階帰謬法
7章 虚数:想像された数
7.1 虚数の誕生
7.2 数の多角形
 7.2.1 1のn乗根
 7.2.2 ガウス素数
 7.2.3 アイゼンシュタインの素数
7.3 二次方程式と確率
 7.3.1 サイコロの確率
 7.3.2 虚根の確率
7.4 誕生日と確率
 7.4.1 鳩の巣論法
 7.4.2 誕生日と鳩の巣
7.5 階乗と「いろは歌
7.6 虚数の情緒
 7.6.1 数学と感情 
 7.6.2 虚数への旅路を振り返る
 7.6.3 原子と光の物理学:万物は虚数である
 7.6.4 時空の物理学:世界は虚数である
 7.6.5 我々は虚数である
8章 指数の広がり
8.1 指数法則の復習
8.2 指数関数
8.3 指数関数の近似とネイピア数
 8.3.1 指数関数を近似する
 8.3.2 新しい定数
 8.3.3 近似式の威力
8.4 近似の程度を高める
8.5 指数関数の連鎖
8.6 指数関数の逆の関係
 8.6.1 指数法則の裏返し
 8.6.2 手動計算機を作ろう
9章 虚数の狭間:全数学の合流点
9.1 虚々実々なる関係
 9.1.1 eの虚数乗を求める
 9.1.2 虚数単位を指数で表す
 9.1.3 周期性を探る
 9.1.4 虚数虚数乗を求める
9.2 幾何学との関係
9.3 三角関係
9.4 オイラーの公式
9.5 オイラーの公式の応用
 9.5.1 指数法則の利用:加法定理の導出
 9.5.2. 三角関数の連鎖
9.6 三角関数の値の新しい系列
 9.6.1 1のn乗根の利用
 9.6.2 正多角形の利用
9.7 粘土板は古代の電卓か
9.8 何故「年代」が判るのか
 9.8.1 ミクロとマクロを繋ぐもの
 9.8.2 放射性同位体半減期
9.9 一つの旅を終えて

第III部 振子の科学
10章 物理学の出発点:力学
10.1 問題設定と実験の準備
 10.1.1 ゴジラの悩み
 10.1.2 振子を作る
10.2 基本的な事柄
 10.2.1 「静止」を考える:作用・反作用の法則
 10.2.2. 掌の上のボール:重さと質量
 10.2.3 振子の台を動かすと
 10.2.4 斜面の実験と慣性
10.3 運動に関する用語
10.4 ガリレイの探究
 10.4.1 斜面から落下へ
 10.4.2 重力加速度を測る
 10.4.3 落下の法則
 10.4.4 水準器と加速度計
 10.4.5 大自然の制約
10.5 ニュートン力学
 10.5.1 微積分の発見
 10.5.2 ニュートンの三法則
10.6 重さと質量とバネ秤
10.7 運動量の保存法則
 10.7.1 空間の一様性
 10.7.2 ロケットの推進原理
10.8 回転運動の基礎
 10.8.1 重力の中心:バットの重心を求める
 10.8.2 回転の基礎方程式
 10.8.3 「梃子」と「天秤」
10.9 エネルギーとは何か 
 10.9.1 仕事とエネルギー 
 10.9.2 力学的エネルギーの保存
10.10 温度と分子の運動
 10.10.1 経験的温度目盛
 10.10.2 気体分子運動論
10.11 相対論と三平方の定理
 10.11.1 「運動」を見る二つの立場
 10.11.2 動く座標の考え方
10.12 運動量保存則の応用:体育との関係
 10.12.1 野球:打撃用語の確立
 10.12.2 「壁」を調べる
 10.12.3 反射の法則:ビリヤード
 10.12.4 反射の法則:打撃への応用
 10.12.5 回転の中に隠された直線運動
10.13 音による打撃の解析
 10.13.1 「素振りの音」の物理学:順問題の解析
 10.13.2 「素振りの音」の物理学:逆問題の解析
11章 重力と振子の饗宴
11.1 調和振動子
 11.1.1 理想の振子
 11.1.2 調和振動子とその解
 11.1.3 線型方程式と数ベクトル
 11.1.4 曲芸的計算
 11.1.5 解を調べる
 11.1.6 古典力学因果律
11.2 実際の振子の運動
 11.2.1 振子を動かす力
 11.2.2 運動方程式と振子の周期
 11.2.3 振子による重力加速度の測定
 11.2.4 サイクロイド振子と橋渡し振子
11.3 振子の応用
 11.3.1 身体の中の「振子」
 11.3.2 現実の振子
 11.3.3 バットの振り心地
11.4 最短時間バット軌道
11.5 急がば回れトライアスロンと屈折率
11.6 様々な振子
 11.6.1 遅い振子:やじろべえ,逆さ振子
 11.6.2 速い振子:二本吊り振子
 11.6.3 連成振子:ブラックバーン振子
 11.6.4 減衰振子:ドア・クローザーと糖尿病
 11.6.5 強制振子:共振現象
 11.6.6 音の足し算:フーリエ級数
11.7 隠れた振子
 11.7.1 自励振動:はためく旗
 11.7.2 乗り物の自立安定性に就いて
 11.7.3 反撥係数と 「送りバント
 11.7.4 パラメータ励振:揺れるブランコ
11.8 宇宙へ誘う振子
 11.8.1 ナイルの曲線
 11.8.2 フーコーの振子
12章 波と粒子の狭間で
12.1 波動方程式
 12.1.1 波とは何か
 12.1.2 波動方程式を求める
 12.1.3 弦の運動
12.2 干渉と回析
 12.2.1 波の干渉
 12.2.2 波と複素ベクトル
 12.2.3 二つのスリット
 12.2.4 回析格子
 12.2.5 「一つのスリット」での回析
 12.2.6 ヤングの実験の解析
12.3 光学と電磁気学
 12.3.1 マックスウェル方程式
 12.3.2 光の歴史
 12.3.3 量子の革命
12.4 量子力学の基礎
 12.4.1 文学部卒・ノーベル物理学賞受賞
 12.4.2 シュレーディンガー方程式の発見的導出
 12.4.3 基本粒子の世界
 12.4.4 不確定性原理
 12.4.5 交換関係
 12.4.6 波動関数とは何か
12.5 電磁場の量子化
 12.5.1 量子力学に於ける振子
 12.5.2 演算子の計算
 12.5.3 場から粒子へ
12.6 径路の魔術:量子電磁力学
 12.6.1 君は何処からやって来たのか
 12.6.2 光は何故その場所を知っているのか
 12.6.3 光は本当にすべての径路を通っているのか
 12.6.4 光は真っ直ぐ進まない
 12.6.5 踊る光子の不思議な絵
12.7 場の量子論:そして「量子脳力学」へ
 12.7.1 場の量子論の誕生
 12.7.2 「場」と「真空」
 12.7.3 ボソンとフェルミオン
 12.7.4 「自発的対称性の破れ」とは何か
 12.7.5 南部・ゴールドストーン粒子
 12.7.6 脳の機能:記憶の物理理論
 12.7.7 量子脳力学
 12.7.8 「フェルミオン思考」から「ボソン思考」へ
 12.7.9 若きハムレット達に捧げる

東海大学出版部|書籍詳細>虚数の情緒


吉田武
1956 -