読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド「過去の研究」(1933)

労働力商品を売る生活のなかでの自由について。

大都市ならいづこにおいても、ほとんどすべてのひとが被雇用者であり、他人によって厳密に定められた通りのやり方で、その就業時間に従っている。また、それらのひとびとの態度物腰でさえ、一定の型にはめられることがありうる。純然たる個人の自由に関する限り、チャールズ一世が国王であった一六三三年ロンドン市における方が、現在の世界のどのような産業都市におけるよりも、もっと多くの自由が広く存在したのである。(中略)さまざまに異なる気質を持った諸個人の多岐にわたる諸欲求は、真剣な諸活動によってそれぞれに満たされることがもはや不可能なのである。今あとに残っているものは、雇用という鉄のように固い諸制約と、余暇のためのとるに足りない娯楽だけである。(『象徴作用』所収「過去の研究」p142-143)

 一六三三年ロンドン市。二大革命を準備している時代の雰囲気。文学の世界だとシェークスピア(1564-1616)、ジョン・ダン(1572-1631)からジョン・ミルトン(1608-1674)などが活動していた時代の感覚。「もっと多くの自由が広く存在した」って本当なのかなという気もするが、詩の領域に限ってはそんな感じもする。日本では、私の祖先は農民であった確率が高そうなので「生かさず殺さず」のなかで生活していたのだと思う。
さて、二一世紀の日本の私。曜日の感覚に左右されて生活しているというところがすでに型にはまっているという感じが大きく、とるに足らなくないヒリヒリするような楽しみというのにも縁遠い。寝る間も惜しんでロケット飛ばすことを考えるとか、革命を考えるとかはないので、本を読んで、昼風呂に浸かって、酔っ払ってと、ちょっとした愚行権をつつましやかに行使している。

 

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ルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
1861 - 1947
市井三郎
1922 - 1989