読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【謡曲を読む】新潮日本古典集成 伊藤正義校注『謡曲集 下』その5

「山姥」はすこし独特。一般的には、日常が崩れた後に浄化・沈静化されてまた日常に戻されるドラマ仕立てだが、山姥は神や精霊とは違って人間と地続きの世界に生きていながら別の日常、別の世界に住んでいる。人間からの移行、人間への移行もなさそうな不思議な存在の匂いがある。

【山姥】
女曲舞(百ま山姥)と都の男に語る真正山姥の自分語りと舞の劇。

そもそも山姥は 生所(ショオジョ)も知らず宿もなし ただ雲水(クモミズ)を便りにて 至らぬ山の奥もなし しかれば人間にあらずとて 隔つる雲の身を変へ 仮に自性(ジショオ)を変化(ヘンゲ)して 一念化生(イチネンケショオ)の鬼女となつて 目前に来れども 邪正(ジャショオ)一如と見る時は 色即是空そのままに 仏法あれば世法あり 煩悩あれば菩提あり 仏あれば衆生あり 衆生あれば山姥もあり 柳は緑 花は紅の色々 さて人間に遊ぶこと ある時は山賤(ヤマガツ)の 樵路(ショオロ)に通ふ花の蔭 休む重荷に肩を貸し 月もろともに山を出で 里まで送る折もあり

 
【夕顔】
光源氏への執心が残る夕顔の霊が旅僧に弔問を願い、成仏する劇。

不思議やさては宵の間の 山の端出でし月影の ほの見え初めしいふがおの 末葉の露の消えやすき 本(モト)の雫の世語りを かけて現はし給へるか 見給へここも自づから 気疎(ケオト)き秋の野らとなりて 池は水草に埋づもれて 古りたる松の蔭暗く また鳴き騒ぐ鳥の嗄声(カラコエ)身に沁みわたる折からを さも物凄く思ひ給ひし 心の水は濁り江に 引かれてかかる身となれども

 

【遊行柳】
西行に詠まれた柳の老いた精が、遊行の聖の念仏を受ける劇

清水寺のいにしへ 五色に見えし滝波を 尋ね上りし水上(ミナカミ)に 金色の光さす 朽木の柳忽ちに 揚柳(ヨオリウ)観音と現はれ 今に絶えせぬ跡とめて 利生あらたなる 歩みを運ぶ霊地なり

 

【湯谷】
病んだ老母のため熊野が花見の宴の同席を望む主の平宗盛から暇をかち得るまでの劇。

あら嬉しや尊やな これ観音の御利生なり これまでなりや嬉しやな これまでなりや嬉しやな かくて都に御供せば またもや御意の変はるべき ただこのままに御暇(オイトマ)と いふつけの鳥が鳴く 東路さして行く道の やがて休らふ逢坂の 関の戸ざしも心して あけ行く跡の山見えて 花を見捨つる雁(カリガネ)の それは越路われはまた 東に帰る名残かな 東に帰る名残かな

 

楊貴妃
楊貴妃の霊が玄宗皇帝の命を受けた方士に形見を渡す劇。

月の夜遊の羽衣(ウイ)の曲 そのかざしにて舞ひしとて また取りかざし さす袖の そよや霓裳羽衣(ゲイショオウイ)の曲 そよや霓裳羽衣(ゲイショオウイ)の曲 そぞろに濡るる袂かな なにごとも 夢幻の戯れや あわれ胡蝶の舞ならん

 

頼政
頼政の霊が戦いの果ての自害を旅僧に語る劇

さるほどに入り乱れ われもわれもと戦へば 頼政が頼みつる 兄弟の者も討たれければ 今はなにかを期(ゴ)すべきと ただ一筋に老武者の これまでと思ひて これまでと思ひて 平等院の庭の面 これなる芝の上に 扇をうち敷き 鎧脱ぎ捨て座を組みて 刀を抜きながら さすが名をえ得しその身とて 埋れ木の 花咲くことも無かりしに みのなる果ては あはれなりけり

 

【籠太鼓】
殺人事件の科で入籠させた関の清次が破籠、清次の主人が妻を引っ立て、行方を聞くが答えないため代りに入籠させる。そのために狂乱し夫への恋慕を詠う。主人はその姿に心を打たれ夫婦ともに助命し、夫婦は再会する。

やあいかに女 なにゆゑさやうに狂気してあるぞ なにゆゑ狂気するぞと承る 人の心の花ならば 風の狂ずるゆゑもあるべし いはんや偕老同穴と 契りし夫も行方知らで 残る身までも道狭き なほ安からぬ籠(ロオ)の内 思ひの闇のせんかたなさに 物に狂うは僻事(ヒガゴト)か

 


新潮日本古典集成 謡曲集 上・中・下 通読完了。
全100曲。ほかの謡曲集も大体100曲程度収録されているが、収録曲には微妙に差異がある。たとえば、新潮社版にはわりと有名だと思われる「蝉丸」が入集していない。各社・各校注者の特徴がその辺に出てくると思うので、今後リスト化できるよう他社謡曲集も見ていくこととする。

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伊藤正義
1930 -2009