読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

マルセル・モース「ボリシェヴィズムの社会学的評価」(1924)

『贈与論』のマルセル・モースのもう一つの顔は社会主義の思想家。設立間もないソヴィエトを批判しながら展開されるモースの社会主義の思想は、彼にとっての希望の原理。

結論を述べよう。ロシアであろうとこちら(引用者注:「わたしたちの西欧諸社会」)であろうと、社会主義>によってありとあらゆる所有形態が廃止され、ただ一つの所有形態がそれに取って代わるなどということはあってはならないことである。そうではなく、<社会主義>は、そのただ一つの所有形態のほかの所有形態にも一定数の権利を付与するのでなくてはならない。職業集団の権利や、地域集団の権利や、国民の権利などがそれである。もちろん、新たに導入される諸権利と相矛盾するような権利は、権利システムに反作用をもたらさずにはおかないだろう。なぜなら当然のことながら、たとえば永代相続権であるとか、あるいは地価の上昇分に対する個人の権利であるとかは、社会主義とは(それがいかなる社会主義であろうとも)両立しえないからである。こうした付与も廃止も、ソヴィエトが真になしとげたことであって、それは疑いもなくソヴィエトの業績の堅固な部分をなしている。ソヴィエトがそこにとどまっていてくれたらよかったのに!
したがって、ラッサール(プロイセン政治学者・社会主義者・労働運動指導者)に着想を得てエマニュエル・レヴィ(モースと同時代のフランスの法学者・社会主義者)が提示した説得的な表現によるならば、「<社会主義>とは既得権なき<資本主義>なのである」。(森山工編訳 岩波文庫版『国民論』p32-33 太字は実際は傍点)

「既得権なき<資本主義>」というのは自由主義側のハイエクが考えていたことにも近いのではないかと思ったりする。モースにせよハイエクにせよ理論的な面でも生涯をかけて探求し続けなければならなかったような、ハードルが高く領野の広い希望の原理の姿なのだろう。

 

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マルセル・モース
1872 - 1950
森山工
1961 -