読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

レーニン『帝国主義』(1917)

プルードンマルクスレーニンなどによる資本主義に関する研究は、労働者層よりも資本家層の学習により役に立つ。万国の労働者階級が資本主義の不可避性に抗って共闘するよりも、資本主義の必然性の流れに乗って、その流れを加速させるほうに参入するほうが無理がないから。ストレスが少ないほうがどんどん学習し、吸収もできる。

資本主義とは、労働力もまた商品となる、発展の最高段階にある商品生産である。一国内だけでなく、とくに国際間の交換の増大は、資本主義の区別的特徴である。個々の企業、個々の産業部門、個々の国の発展における不均等性と飛躍性とは、資本主義のもとでは不可避である。
(中略)
資本主義が資本主義としてとどまるかぎり、資本の過剰は、その国の大衆の生活水準をひきあげることには用いられないで――というのは、そうすれば資本家の利潤をひきさげることとなるであろうから――国外へ、後進諸国へ資本を輸出することによって利潤をひきあげることに用いられるであろう。これらの後進諸国では、利潤が高いのが普通である。というのは、資本はすくなく、地価は比較的に高くなく、労賃は低く、原料は安価だからである。
(第四章「資本の輸出」p102-103)

 

フランスでは、鉱山業の労働者は「大部分」外国人、すなわちポーランド人、イタリア人、スペイン人である。合衆国では、東ヨーロッパと南ヨーロッパからの移入民は労賃のもっとも低い地位をしめているのに、アメリカ人の労働者は、監督に昇進してもっとも高い労賃をえているもののなかで最大の比率をしめている。帝国主義は、労働者のあいだでも、特権をもつ部類を遊離させ、これをプロレタリアートの広汎な大衆から引きはなす、という傾向をもっている。
とくに注意しておかなければならないことは、労働者を分裂させ、労働者のあいだで日和見主義を強め、労働運動の一時的退廃をうみだすという帝国主義の傾向が、イギリスでは、一九世紀末および二〇世紀初めよりもはるか以前にあらわれた、ということである。
(第八章「寄生性と資本主義の腐朽化」p172-173)

百年前の世界と現在の世界は構造という点では、ほとんど変わりがない。目の前のより高い賃金に食いついてしまう人間は、その賃金体系にみずから従う日和見主義者ってことになるのだろう。マルクスの『経哲草稿』の結論は、たしか「もっと多くの余暇の獲得」だった。ほどほどの賃金で、あとは余暇を楽しむっていう選択肢も、グローバリゼーション下での中流階級の没落の流れの中では、少数者の贅沢、プチブルユートピアのようになっていて、なんとなく寂しい。

 

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ウラジーミル・イリイチレーニン
1870 - 1924
宇高基輔
1911 - 1994