読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

泉谷周三郎『人と思想 80 ヒューム』(清水書院 1988)

ヒューム関係の本は高くてなかなか手が出ないことが多いのだが、清水書院の「人と思想」シリーズのヒュームは手ごろな値段で内容も充実していてとてもありがたい。解説文も偏りがなく、ポイントを手際よく押さえてくれているので、入門書として文句なしの出来栄えだ。

どんなときでも知覚なしに自己自身を捉えることはできず、また知覚以外のいかなるものに気づくこともありえない。それゆえ、知覚がないときには、自我は存在しないと言ってもよいのである。このあとで、ヒュームは、有名な自我の定義をつぎのように述べる。
「人間とは、思いもよらない速さでつぎつぎと継起し、たえず変化し、動き続けるさまざまな知覚の束ないし、集合にほかならない、ということでる。・・・・・・心とは一種の劇場である。そこではいくつもの知覚がつぎつぎに出現する。それらは通り過ぎ、舞いもどり、すべり去り、さらに混り合って無数の多様な状況をつくりだす。」
(中略)
心の構成要素である知覚は、どれもそれぞれ別の存在であって、ほかの知覚と異なり区別され分離される。このような区別と分離にもかかわらず、われわれは知覚の全体が同一性によって結ばれていると想像する。そこで、同一性という関係について、つぎのような問題が生じる。この同一性の関係が知覚を実際に結びつけるのか。それとも単に想像によってそれらの知覚を連合しているだけなのか。換言すれば、ある人の同一性について語るとき、知覚のあいだにある実在するきずなを観察しているのか。それともそのようなきづなが感じられるだけなのか。ヒュームの答えは後者である。
(Ⅱヒュームの思想 「知性を主題として」p99~102 「自我の定義」、「人格の同一性の解明」部分)

語られる内容の鮮烈さもさることながら、ヒュームも解説者の泉谷周三郎も文章がうまい。ゆったりとして奥行きのある読んでいて心地よくなる語り口で、哲学関係の本であるのに、単純に本を読むことの満足感も得られる。いいもの読んだ、という心地よい疲労感。


目次:
ヒュームについて
Ⅰヒュームの生涯
 ヒュームの時代
 ヒュームの生涯
Ⅱヒュームの思想
 知性を主題として
 情念を主題として
 道徳を主題として
 宗教思想
 政治思想
 経済思想
 ヒュームから学ぶこと
 あとがき


泉谷周三郎『人と思想 80 ヒューム』(清水書院)


デイヴィッド・ヒューム
1711 - 1776
泉谷周三郎
1936 -