高野素十は高浜虚子の提唱する「客観写生」を最も突き進めた俳人。特に近景描写にすぐれると言われる。小さなものを巧みにとらえ造化の妙を俳句形式に定着させている。また、あまり言われないことだが個人的には言葉のもつ音、韻律に敏感な俳人であったと考える。
食べてゐる牛の口より蓼の花
よみ:たべているうしのくちよりたでのはな
母音:あええいうういおういおいあえおああ
子音:TBTIRUSNKCYRTDNHN
※母音のみの場合、子音の行でも母音をそのまま表記しています
「たべ」と「たで」、「うし」と「くち」が共鳴することで映像の輪郭がより鮮明になっているように感じる。
甘草の芽のとびとびのひとならび
よみ:かんぞうのめのとびとびのひとならび
母音:あんおうおえおおいおいおいおああい
子音:KNZUNMNTBTBNHTNRB
「の」が3つ、「と」が3つ、「ぞ」「び」「び」「ひ」「び」と音が連なるところが直線の映像を補完している。
方丈の大庇より春の蝶
よみ:ほうじょうのおおびさしよりはるのちょう
母音:おうおうおおおいあいおいあうおおう
子音:HUJUNOOBSSYRHRNCU
「ほう」「じょう」「おお」「ちょう」の重なりが蝶の翅のはばたきがうみだすリズムある上昇感を生みだしている。
とりあえず三句を紹介。